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第四部

 林田が目を開けると、男が信じられないようなものでも見るような眼差しで見つめていた。

「作家の林田光雄か?」

 男が再度尋ねた。

 林田はおもむろに頷いた。

 男は立ち上がると、興奮した様子でうろうろとその場を歩き始めた。

 人質である客と店員たちが、男の挙動を不審そうに見つめた。

「信じられないな。まさか、こんな形で出くわすなんて」

 男はブツブツと独り言を言いながらその場を行ったり来たりした。

「あ、あの…」

 林田が声をかけると、男は突然体を振り向かせて迫って来た。猟銃を持ったままだったので林田と人質たちは一斉に身をすくませた。

「オレ、林田先生の大ファンなんです。処女作の『首領の首』はもちろん、ベストセラーになった作品も欠かさず読破したし、日の目を浴びなかったマイナーな小説もちゃんと読みました。オレにとっての愛読書です」

 と、男は憧れの人物を前に子どものように熱を込めて言った。

 さっきまで猟銃をぶっ放し店内を恐怖のどん底に陥れた男の意外な素顔を目の当たりにした林田、そして人質になった客と店員たちは呆気に取られながら興奮する男を見つめた。

 男は思い出したようにポケットから手帳とペンを取り出した。

「こんな機会は滅多にないから、サインお願いします」

 と、林田に手帳とペンを強引に渡した。

 言われるがまま林田はサインを書いたが、状況が状況なのでサイン会のときよりも手付きがぎこちなくなってしまった。

 不格好なサインになってしまったが、男は満足げに手帳とペンを受け取ると、

「前原浩と言います。どうぞよろしく」

 と、林田の手を取り握手した。

 林田は苦笑いを浮かべながら応じた。

 前原は猟銃を持ったまま林田の前であぐらをかいた。

「林田先生の作品を初めて読んだのは高校の頃でした。友人関係の悪化で人間不信に陥っていたオレが唯一たしなんだのが読書で、そのときに出会った林田先生の『首領の首』が不安定だったオレの心の支えになってくれました。というのも、主人公の性格だけでなく境遇までオレと似通った部分があったからです。その主人公が、最終的にヤクザ稼業から自立して堅気になる。そのプロセスが感動的で、オレは一度読んだだけで先生のファンになりましたよ」

「そ、それはどうも」

「それから、処女作から間もなく発表された『欲望の旅』っていう冒険小説ですが、あれも中々の傑作でしたよ。あ、それから…」

 前原は、自分のしでかした行為のせいで目の前の林田を含む店内の人間たちが恐怖の渦中にいるのも知ってか知らずか、矢継ぎ早に林田の作品に対する批評を始めた。批評と言っても、ほとんどが好意的な評価ばかりだったが。

 林田は売れっ子作家だったが、彼自身は自分の作品を過小評価していた。先輩作家たちへの遠慮もあったが、それ以上に成功者としての自惚れが将来への障害になり得ると考えたからだ。だから、世間で高い評価を得ても林田は決して天狗にならないように努めた。そのためにも林田は、なるべく自分の作品は劣った出来であるという自己評価をするように意識していた。

 それでも、今の前原のように熱弁を振るって自分の作品をひたすら褒めちぎられると、つい嬉しくなると同時に照れ臭くなってしまう。

 次第に前原への警戒心を解いた林田は、彼に調子を合わせるように相槌を打つようになっていた。

 しかし、背後で未だ怯えている人質たちが軽蔑の眼差しを向けていることに気付いた林田は空咳をし、冷静な口調で前原に言った。

「キミが私の大ファンだというのはよく分かった。ここまで熱心な読者がいたことに私は心底嬉しい」

「ホントですか」

「もちろん。出来れば、別の場所でキミとじっくり話す機会が設けられたらいいなとも思っている」

「感激です」

「ところで、一つお願いがある。ここにいる人質を、全員解放してはくれないだろうか?」

 少しの間があってから前原は苦笑いを浮かべ、

「それはちょっと無理な相談ですね。いくら尊敬する林田先生の頼みでも、それだけは聞き入れられません」

 と、手を振った。

「どうしてもダメか?」

「生憎ながら。オレにはここに立てこもって、警察の目を引き付けておく役割があるんです。その間にある計画を遂行している仲間が成功の連絡を入れて、オレを迎えに来たら引き上げる手筈です」

 と、前原は声を落とすことなくペラペラとしゃべった。

「せめて子どもを含む女性だけでも解放してあげられないかね?」

 と、林田は背後から注がれる人質たちの視線を気にしながら言った。

「ダメです」

「どうして?」

「万全を期すためですよ」

 と、前原が言った途端、店に常備された電話が鳴った。

 前原が人質たちに警戒しながら電話まで小走りし受話器を取った。

 相手が警察からだと知ると、前原は得意げな口調で店員と客たちを数人、人質に取って立てこもっていると告げた。妙な小細工をすれば人質の命は保証出来ない、と決まり文句も忘れずに。

(この様子だと、誰も解放する気はないな)

 林田は困惑顔で人質たちを見回した。

 当初ほどの緊迫した雰囲気は感じられなかったが、それでも人質たちからは未だに怯えの色が窺えていた。

 前原の言うことが本当ならば、彼の仲間が計画の成功を電話で連絡してくれば、籠城事件は誰も傷つかず収束する。つまり、おとなしく待っていれば何事もなく出られるということだ。

 しかし、それはあくまで成功した場合だった。

 万が一、彼の仲間たちが計画を失敗したり逮捕者が現れたりしたとき、もしかすると前原は腹いせに人質に危害を加える可能性があるのも否めなかった。もしもそうなってしまったら、林田はどうにかして今のうちに解放させるよう前原を説得させるべきだった、と後悔してしまうかもしれない。

 また、これは難しいかもしれないが前原に自首をするよう説得しようかとも考えた。そうすれば、人質の解放もだが、諦めた前原の供述によって計画の全貌が語られ、現在別の場所で進行中の犯罪も食い止められるかもしれないと思ったからだ。

 だが、作家が専業で交渉人でもない自分がその大役を引き受けるには荷が重い気がした。いくら相手が自分を尊敬しているとは言っても、自首に持っていかせるのは容易なことではない。

 彼らがやっているのは犯罪行為、すなわち是が非でも成功させる意思を持って挑んでいるはずだから、素直に聞き入れるとは到底思えなかった。

 いつしか、人質たちの林田を見る視線に変化が表れていた。

 前原と語り合っていたときの見下すような眼差しから、窮地を救ってくれる期待の眼差しになっていたのだ。

 林田はいたたまれない気持ちにならざるを得なかった。

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