第三部
野球帽の男の指示で、客と店員全員が一ヶ所に集められた。
カップルの女が男を頼るように服を握りしめたが、男も恐ろしい出来事に遭遇し頭の中が真っ白なのか、野球帽の男を見つめたまま硬直していた。井戸端会議を満喫していた主婦たちは体を密着させながら、石のように身動き一つしなかった。老人たちは比較的冷静で、取り乱す様子も見せず床に座っていた。
「すみません」
不意に、子連れの男が声をかけた。
「なんだ?」
「お願いがあります。せめて、息子だけでも逃がしてやってください。まだ中学生で、気が動転しているんです」
父親が頼んだが、野球帽の男は非情にも無視を決めた。
落胆した父親は半ベソをかく寸前の息子を落ち着かせようと背中をさすった。
営業マンの男が持っていたカバンの中に手を伸ばそうとした。
それを見た野球帽の男が即座に銃口を向けた。
「なにをやってる?」
「か、会社に電話を…」
「会社に電話だぁ?」
「は、はい。戻りが遅くなると…」
と、金縁メガネをかけた営業マンが声をどもらせた。
男は営業マンからカバンをひったくると、勢いよく壁に投げつけた。
バンッという音が響き、人質たちは体を委縮させた。
「命が危ないってときによく会社のことなんか考えられるな。少しは自分の置かれてる立場を考えたらどうだ?」
男はフンッと鼻を鳴らすと、ポケットから携帯電話を取り出した。
人質たちが見守る中、男は携帯に向かってやや興奮気味に話し始めた。
「ちょっとばかり時間が早まったが、計画実行だ。…そうだ、警察に連絡してカフェ『ロデオ』に籠城犯が立てこもっているって電話してくれ。そしたら連中は揃って店の周囲に集まるだろうから、その間にそっちはそっちでやってくれ。…うん、任せろ。…そうだ、成功したら連絡をくれ。…おお、じゃあな」
男は携帯をしまうと、猟銃を再び構えて店内をうろつき始めた。
(とんだ災難に巻き込まれてしまった)
と、林田は嘆いた。
半年前から悪質なイタズラ電話に悩まされ続け、ようやく相手と一対一で話し合いが出来る機会が訪れたかと思えば、猟銃を手にした危険な男にカフェを乗っ取られてしまい、人質として捕らえられてしまった。
(なんとか無事に出られればいいが…)
と、林田が店内を見回したとき、野球帽の男がいきなり目の前に迫ってきた。
「なにをキョロキョロしてる?」
「べ、別に…」
「本当か? ほかのやつらと比べると余裕そうに見えるが、オレの気のせいか?」
「だと思いますが」
「そうやってすぐ言葉が返ってくるところがますます気に入らないな。ひょっとしてデカか?」
「そんな…。私は決して警察なんかじゃーー」
「怪しいな」
男がグッと林田に顔を近付けた。
林田は心臓の鼓動が徐々に激しくなるのを感じた。クーラーの効いた涼しい空間にも関わらず一滴の冷や汗が額を流れた。
林田は込み上げる恐怖を必死に押し殺しながら歯を食い縛った。
男が両目を細めた。
男の鋭い眼光に耐え切れず林田は目を閉じた。
しばらくして、男が口を開いた。
「…あんた、ひょっとして林田光雄か?」