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第十二部

「実を言うと、ボクも日下部編集長には同意見だったんです。先生には読者を惹き付けるほどの独創性溢れる物語を生み出す才能がある。それを集中的に活用した方が、書籍の売り上げのみならず林田光雄という作家の知名度を上げる効果をもたらしてくれる、と。ですが、今度ばかりはその考えを捨てます。先生、もう一度言いますがこれは絶対に小説化すべきですよ」

 身振り手振りで熱心に語る編集担当の須藤の前に座る林田は、相変わらず無表情のまま目だけを下に向けていた。

「ちなみに、日下部編集長も賛同の意を示しています。林田先生の創造力を誰よりも推していた編集長が、珍しく実話モノの執筆に納得する意向を示してくれたんですよ」

「さっきも言ったが、私は小説としてあの出来事を書くつもりは毛頭ない」

 林田は重々しい口調で言った。

 対する須藤は普段と変わらない口調で、

「もったいないことを言わないでくださいよ。第一、林田先生は実話モノを書くのが夢だと以前からおっしゃっていたじゃありませんか。それを叶える絶好のチャンスですよ、今が。もしもそれを逃したら、二度と本当に書けなくなるかもしれませんよ」

 と、須藤は「二度と本当に」の部分に力を込めながら言った。

「そうなっても構わないと思っている」

「なにをそんなに悩んでいるんですか?」

「キミに話しても通じないだろう」

「一応、聞かせてください」

「あの籠城事件に遭遇して一週間経つが、あそこで見た記憶が未だに頭から離れない。猟銃を振り回す前原、怯える人質と店員たち。特に焼き付いて離れないのが天宮親子、恩田圭介、営業マンの三沢俊一たちの顔だ」

「先生が創作意欲を失ったのはその人たちが原因ですか?」

「私はあの籠城事件が起きたとき、念願の実話を書けられるチャンスが舞い降りたと小躍りしたい気持ちになった。しかも、籠城犯の前原はあろうことか私の熱狂的なファンだった。これはもう小説にしない手はないと思ったよ。歪んだ創作意欲にかられた私は作品に面白味を足すため、あえてあの状況が長続きするようにした。…が、天宮統の言葉を聞いた瞬間から、心境に変化が表れたんだ」

「その天宮という人はなにを言ったんですか?」

 と、須藤は興味津々と言った様子で身を乗り出した。

 林田は天宮から聞かされた海外の作家が体験したテロ事件を話した。

「つまり、それを聞いて先生は自分がその作家と同類になるかもしれない、と思って気持ちに変化が表れたわけですか」

「人間の心理は不思議だよ。私自身、作品を書くために人質の気持ちをくみ取らないのは間違っていると思いつつも、結局は前者を優先させてしまった。ところが、父親の天宮統に指摘された途端に、その気持ちはあっという間に消えてなくなった。第三者からの言葉が、いとも簡単に人の心を揺り動かす説得力を秘めていると、あのとき思い知らされたよ」

「残り二人の恩田圭介と三沢俊一という人たちは?」

「恩田圭介はとても怯えていた。前原が怖くて仕方がなかった彼は、私があの現場に居合わせたことがなによりもラッキーだったと言ってくれた。そんな彼を見て、私は改めてあの籠城事件を長引かせようとした自分が、どれだけ愚かだったかと思い知らされた」

 林田はいったん言葉を区切った後、妻が淹れてくれたお茶を一口飲んだ。

 須藤も釣られて口に運ぶ。

 フーッと息を吐いてから、林田は再び口を開いた。

「最後の三沢俊一だが、私は彼をひどく罵倒してしまった。というのも、私が彼を無言電話の犯人だと確信を持ったからだ」

 お茶をすすっていた須藤がむせた。

「本当ですか」

 ゴホゴホと咳込む須藤に林田は頷いてから、

「だが、今では事実かどうか自信が持てないでいる。それなのに、あのとき頭に血が上った私は一方的に決めつけ、彼を大勢の人質と前原がいる前で罵ってしまった。卑怯者だ、臆病者だ、とね。そのとき、彼も同じことを私に対して言った」

「先生が言ったことと同じことを、ですか」

 須藤がハンカチで口元を拭いながら言った。

「そうだ。そのときは彼が犯人と確信を得ていて無性に腹が立ったが、今思えば三沢の言う通りなんだ。私は念願の実話を仕上げたいがために人質たちの気持ちを犠牲にした卑怯者だし、前原に立ち向かう勇気が湧かなかった臆病者だ。が、カッとした私は三沢に掴みかかろうとした」

「その直後に前原は死んだんですね」

「窓から発砲した警官隊によってね。前原は悪党だが、あの中では誰よりも私を尊敬し、崇めてくれた。その男の死に顔を見た途端、私の中で完全に創作意欲は跡形もなく消失してしまったんだ」

「先生、やはりこれは小説として記録を残すべきですよ」

「キミはまだそんなことを言ってるのか」

「天宮さんから聞いたという海外の作家ですが、彼は偶然出くわしたテロ事件の人質になりながらも、その状況を喜々として眺めていた。林田先生はその作家を自分自身に投影し、私小説として体験した今度の出来事を忠実に文章として書くのをためらった。しかし、それは私小説だからでしょう」

「なにが言いたい?」

「つまり、先生ご自身を主人公にした私小説ではなく、人質たちの目線で作品を書いてみるならどうでしょうか、ということです。人質たちが体験したリアルな立てこもり事件の実情を書けば、文学を通じて籠城事件の恐ろしさを読者に伝えられますよ。私小説ではなくなりますが、ひとまず海外の作家みたいな批判を浴びることはありません」

「誤解しているようだが、私は別に小説化することで批判されるのを恐れているわけじゃないんだ。倫理的な問題だよ」

「分かっています。ですが、文学を通じて籠城事件の実情をリアルに伝えることが、今回の立てこもりの被害に遭った人たちのためになると思いませんか?」

「………」

「先生は籠城事件を実体験した被害者たちの様子を目の当たりにしたわけでしょう。その人たちの生々しい心理状態を知り尽くした先生が書けば、初のノンフィクションということも加わって多くの人が注目し、メッセージ性のある犯罪小説を読んでくれるでしょう。その結果、卑劣な事件に対する世間の認識がより高まり、犯罪の撲滅を願う社会への貴重な原動力となるに違いありません。是が非でも書くべきですよ」

 と、編集担当の須藤はとにかく林田に筆を執ってもらおうと真剣だった。

(人質だった彼らのため、か)

 林田は天井を見上げながら心の中でつぶやいた。

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