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第十部

 仰天して飛び上がった林田の目に、店のテーブルやイスを蹴り飛ばす前原の姿が映った。

 前原の突然の暴挙に、人質たちは叫び声と泣き声を喚かせていた。

 なにが起きたのかさっぱり分からなかった林田は、ブルブルと震えている恩田をそのままにしてカウンターを飛び出した。

「なにがあったんだ?」

 と、林田はめぐみと一緒にあぐらをかいていた小笠原に聞いた。

「知らねえよ。携帯が鳴って出たと思ったら、いきなりこのありさまさ。早くなんとかしてくれよっ」

 小笠原は目を剥きながら叫んだが、前原によって蹴り飛ばされたテーブルとイスが立てる音と、人質たちが上げる悲鳴によってほとんどかき消されていた。それほど、今の店内は修羅と化していた。

 ともかく騒ぎを収めようと林田は前原に近付いた。

「前原クン、なにがあったんだ?」

 現場の騒々しさに負けない声量で林田は聞いた。

 前原は暴走をやめたものの、激しい興奮状態に陥っているらしく両肩を上下に揺らしながら、荒い息遣いを繰り返した。

 表情もかなり険しく一触即発と言ったところだったが、林田はもう一度声をかけた。

「なにかあったのか?」

「『なにかあったか』ですって? …フンッ、滑稽な話ですよ」

「なんだって?」

「今しがた、仲間から連絡がきたんですよ。銀行襲撃は成功、金をたんまり手に入れたとね」

「そうか…。しかし、それなら目的は果たしたわけだろう。なのに、なにを取り乱していたんだ?」

「最後に一言、『あばよ』と言ったんですよ」

 林田はハッとした。

「見捨てられたのか?」

 俄然、前原は床に落ちていたカップを掴むと、壁めがけて力一杯放り投げた。

 パリーンッ、と恩田がカップを落としたときとは比較にならない大きな音を立てて破片が四散した。

 的中だったらしい。

「まったく…こんな情けない話があるかよ。元々、連中とは顔を合わせて間もなかったんだ。信頼関係だってほとんどないと分かっていたくせに、どうして手を組んじまったんだろう。なんで、オレが率先して警察の目を引くなんて言っちまったんだろう。畜生…とんだ貧乏クジを引いちまったぜ」

 前原は嘲笑を浮かべながら一人ブツブツとつぶやいた。

 脱力感にさいなまれた前原の両手はだらんとぶら下がっているが、片手には相変わらず猟銃が握られている。しかし、握り方が弱々しいので今なら簡単に奪えてしまえそうだった。

 林田はそっと前原の背後に近付いた。

 籠城したときの威勢のよさを完全に失ってしまった前原から、自分たちを支配下に置いた最大の原因である猟銃を奪うチャンスは、今しかなかった。

 失敗は許されない。揉み合いになった場合、年齢的に考えて林田が負けるのは確定だったし、尊敬する林田にも裏切られたと思った前原が癇癪を起こせば、それこそ現場が地獄絵図と化すのは言うに及ばなかった。

 落ち着きを取り戻した人質たちが固唾を呑んで見守る中、林田は抜け殻になった前原の背後へと着実に迫っていた。

 ピロピロリ~~ン。

 緊迫した空気に不釣り合いなメロディが突然流れた。

 林田がサッと身を引くと、紙一重の差で前原も猟銃を構えて、店内を見回した。

 音の出所を調べようと、前原は猟銃を構えながら歩き始めた。

 音は、店の片隅に転がっていたビジネスバッグから聞こえていた。

 前原はバッグを開け、やかましい音を響かせている携帯を取り出した。

「おい、社畜ヤロー」

 前原の一声で、営業マンの男がスクッと立ち上がった。教員に名指しされた生徒顔負けの素早さだった。

 前原が携帯をかざすと、営業マンはペコペコと頭を下げながら人質たちの間をかき分けた。

 小走りで近寄ると、また恐縮そうに頭を下げて電話に出た。

「も、もしもし。…あ、部長。…申し訳ありません。実はちょっと、…ゴホッ。…失礼しました。実はちょっとトラブルが起こりまして。…え? …いえ、とんでもありません。決してゴホゴホ、…決して油を売っていたわけではなく、立ち寄った喫茶店で…ゲホッ! …はあ、少し暑かったもので。…申し訳ありません、これから先方に…ゴホン、連絡を入れます。…かしこまりました。では…ゴホンッ」

 額を流れる汗をハンカチで拭いながら、営業マンは電話を切った。

 ふと、営業マンは鋭い視線を感じハッと振り返った。

 険しい表情を浮かべた林田光雄の姿を彼は捉えた。

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