C4-8 世界の全体像
「前にも言ったけど、この世界には二つの国しかない。南のエディティア国と北のミルグ帝国。そのミルグは、領土も戦力もエディティアの何倍もある」
古びた地図が机の上に広げられた。メリアの指が北部をなぞる。彼女の指先の動きに合わせ、帝国の広大な領域が露わになる。それと比較すると、エディティア国はまるで海に浮かぶ小さな点のようだった。
「あんたも知ってるとおり、ミルグは危険な国だ。自国の人間以外を虐殺の対象にしている。だから私たちはテロ活動で奴らの戦力を削いでゆくのさ」
進は眉をひそめた。エディティアとミルグの戦力差がそれほどまでに大きいのに今の状況があるのか、と。
「それならどうして、エディティアはまだ滅ぼされていないんだ?」
進の疑問に「そりゃそう思うのは当然だ」と緩やかに口を開きながら、メリアは静かに答えた。
「表向きはミルグとエディティアは同盟国ってことになってるからさ」
「本当にか? アルジェたちなんか、完全にこっちを敵だって言ってたぞ」
「当然ね。昔、うちと帝国は戦争したことがあるわ」
「……!?」
思わず目を見開いてしまう。今まで明かされなかった事実に驚きを隠せなかった。
「人獣戦争って言ってね。大半が獣で構成されるエディティアの軍と、ミルグ帝国との戦いだったのよ」
「その戦争では、帝国が勝者となった。ただ、向こうも大きな被害が出て、停戦することになったのさ」
「それだけじゃないわ。完全に潰すよりも、残しておいたほうが利用価値があるの」
「利用価値?」
「たとえば、納税や徴兵の理由にね。敵対国がいると言えば、民衆の不満を逸らしやすいし、国内の結束も保てる。適度な敵は、支配層にとって都合がいいわ」
進はそれを聞いて苦々しい思いを抱いた。まるでエディティアという国が、帝国の都合のいい生贄のように思えたから。愛しいケシアとロクスが犠牲になったのも、この腐った構図のせいなのかと。
「冗談じゃない。そんな理由で飼い殺しにされてるのかよ」
拳を握り締めて荒い声を上げる進とは対照的に、メリアは冷静な声で言葉を続けた。
「まあ、それだけじゃないさ。もう一つ、もっと直接的な理由がある」
「直接的な理由?」
「エディティアの王様が世界で一、二を争う強さの魔法使いだからさ。相当な犠牲を払わないと、王様は倒せないんだよ」
「帝国の魔法使い達が束になっても?」
「そうさ。前の戦争でも、うちの王様は倒せなかった。あの方に太刀打ちできるのは、帝国でも数えるほどしかいないだろうね」
進は想像を絶する事実に言葉を失った。アルジェのような化け物が何人か挑んでようやく戦いになる。その王とは、一体どんな存在なのか。
「つまり、向こうも足踏みしてるってことよ。勝つのは向こうだろうけど、無傷では済まないわ」
「だからこそ、表立った戦争が再開されることはない。でも、裏での小競り合いや調査、工作活動が続いているのさ」
メリアは地図を指差しながら続ける。が、進はどうしても止められず疑問を発した。
「そのエディティア国の王様ってどんな人なんだ?」
「人前に出たがらない、静かな人って有名よ。私たちの中で直接会ったことがある人は、誰もいないわ」
「いや、ラハムはあるんじゃないのかい?」
メリアの視線がラハムへ向けられる。進もその視線を追った。ラハムはしばらく俯き、何かを考えた。そして、思い出を振り返るように答えた。
「祖父が王と知り合いらしくて、一度だけ謁見させてもらったことがある」
「どんな人だったんだい? 二枚目だった?」
「……いや、俺も顔を見たことはない。会ったことはあるが、カーテン越しだった」
考え込む時間が長いラハムの態度に、皆が王についてのさらなる謎を感じずにはいられなかった。
「おっと、話が逸れたね」
メリアが地図を軽く叩き、改めて視線を戻す。
「とにかく、私たちは秘密裏に帝国の戦力を削ぎつつ、奴らの動きを探るのが任務だよ。密偵、破壊活動、そして中級までのアークウィザード討伐。それが私たちの役目だ」
進はその言葉を飲み込み、じっと地図を見つめる。この国の闇の中で、自分がどんな役割を果たすべきか、今までより数段深く理解できた気がした。そして同時に、自らが足を踏み入れた世界の過酷さを改めて思い知らされる。だが……
——やってやる。この世界がどれほど歪んでいようと。
進はもう、止まれなかった。彼の背中を押すものが、あまりにも大きくなり過ぎてしまったから。それはもはや呪いと変わらなかった。
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