C4-1 クイスの日記 Part2
「クイス、最近何か変な音が聞こえないか? カサカサ、ゴソゴソって」
ある日話しかけてきたのは同じ部屋で寝ころんでいたイーズでした。僕は彼と同じ部屋で生活していました。部屋といっても、小さな牢屋の錆びた鉄格子にカーテンをかけただけの簡素なものでしたが。
「不気味だね。鼠でもいるのかな?」
「待てよ。数年前に似たような音を聞いたことがあるぞ。あれは確か……」
しばらくたって、イーズは何かを思い出したかのように掌を叩きました。
「そうだ! ミスティがこの孤児院を卒業した日に聞いた音だ」
「ミスティ?」
「俺はその子と一緒にこの孤児院に入ったんだ。俺よりも年上の女の子で、弟みたいに可愛がってくれたよ」
イーズはまるで初恋を思い出すかのように、澄んだ瞳で天井を見上げました。ミスティは彼にとって、とても大切な人だったに違いません。
「できればもっと長く一緒にいたかったのに」
「卒業って、この孤児院を出ていくってこと?」
「そう。俺たち全員いつか卒業するらしい」
卒業。その言葉を初めて耳にしたとき、僕の背中には冷たい汗が流れました。今まで当たり前のように繰り返してきた日々が、まるで砂のように指の間からこぼれ落ちていくような感覚を覚えたから。
「一体どこへ行かなきゃいけないの?」
「街に送られて、新しい暮らしをするんだって」
「新しい暮らし……」
新しい暮らし。普通ならその言葉は胸を躍らせるものかもしれません。しかし、僕の場合は違いました。だって、ここから離れたくなかったのですから。
「でも、卒業した全員がここに顔を出しに来ないんだ。寂しいな」
「え……それって大丈夫なの?」
「何人かは手紙を送ってくるから大丈夫だと思うけどな。それに、あんなに優しい先生が危ないところに送るわけがない」
「そうだね、先生に限ってそんな訳ないね」
そう、心配ないはず。ですが、僕は胸の中に引っかかるような違和感を感じていました。どうして先生は僕に卒業の話をしてくれなかったのだろうと。
「でも、僕は卒業したくない。みんなとずっと一緒に暮らしたい」
「ま、イーズはフリーダ先生に骨抜きにされてるからな」
「な、何を言ってるんだよ!」
僕の顔はみるみるうちに熱を帯び、真っ赤になっていました。恥ずかしさが一気に押し寄せる、そんな僕の様子を、イーズは見逃しません。彼は僕の弱点を発見したかのように、目を細めて口元に笑みを浮かべました。
「毎日毎日見過ぎだし、抱きつきすぎなんだよお前」
「そ、そんなに分かりやすい?」
「ああ、そんなに」
イーズは「ははっ」と笑いました。それはとても子供らしい、無邪気で悪戯っぽい笑い声でした。むかつきました。
「まあ、頑張れよ。先生は美人な上にすごく強い魔法使いらしいぜ。簡単には落とせないだろうな」
「イーズだって、ヴィディに夢中じゃないか」
「な! お前、それは……」
ヴィディはイーズと同い年のかわいらしい女の子でした。イーズは何かにつけては偶然を装い、一緒に食事や遊びをしようと彼女にもちかけていました。本人は気づいてないようですが、イーズの気持ちは周りにバレバレです。
「大丈夫だよ、秘密にするから」
「……約束だぞ」
今度は僕がニヤニヤと笑う番でした。イーズの照れて悔しそうな表情を見るのは楽しく、思わず笑顔を浮かべました。でも恨まれるが怖いので、ほどほどにしておきました。
「ヴィディと一緒に卒業できるといいね」
「お前も一緒に卒業するんだよ。誰もここにずっといられるわけじゃないんだから。養ってもらうだけじゃいられないんだよ」
「そう……だね」
「先生を惚れさせたいなら、ちゃんと独り立ちしたほうがいいと思うぜ」
「……うん」
それでもやっぱり僕は、卒業という言葉が嫌いです。
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