C3-28 永遠に結ばれる二人(骨奏士オルチノ 挿絵あり)
「くそっ……トドメはさせなかったか」
進はどうしてもアルジェの額を刺せなかった。「私には、夢があるの」と切ないアルジェの声が、刺す前に頭に鳴り響いたから。
ゆえに彼女の涙溢れる顔を傷つけられなかった。だが代わりに喉を貫いた。このまま何もなければ苦痛の末に、その生涯を閉じるだろう。
「これで死ぬ前に少しでも罪滅ぼしを……!!」
進は思わず戦慄する。強大な土臭さを含む甘い。それが信じられないほどの速度で迫ってきている。どこにいるのかは定かではないが、オルチノが遠くから見ていたのだろう。
ーーマズイ! 逃げないと!
進はアルジェも何もかも放置し、仲間たちとの待ち合わせ場所へと一目散に駆け出す。 敵とは距離が大きく離れていたので何分か全力で走ることはできた。しかしどうやら、追撃は振り切れそうにない。
ーーもう追いつかれる! 殺される!
「伏せて!!」
それは数ヶ月ぶりに聞く懐かしい少女フォランの声。進は咄嗟に頭から、前のめりにスライディングする。
「ぶっ飛べ!!」
ゴオオッ!!
進が伏せると同時に火炎が後方を包む。だがオルチノの歌う骨は、炎を浴びてもほとんど炭になることはなかった。
「勢いは弱まったけど、燃やせないか……」
「進! 早くこっちへ来るんだよ!」
メリアが進を誘導する。目先にはかつて共に戦った四人の仲間と、馬車が停まっていた。進は急いで荷台へ飛び乗る。
「た、助かった」
「まだだ、敵の魔法が残ってるぞ!」
ラハムは両刃剣を生成し、防御の姿勢をとる。進以外の全員が馬車から防衛のための姿勢をとる。だが……
「何だ? 停止したのか?」
オルチノの追撃はそこで途絶えた。歌う骨は高い集中力を要する。治療や救助、保護と並行しての攻撃は不可能。魔法は停止し、数秒で霞のように消えていく。
「なんだか知らないけど、とっとと引くよ!」
馬車は全員を乗せると、全速力で駆け出した。進は車体の揺れに身を任せながら、これでようやく帰路に着くことができると胸を撫で下ろした。
「ふう、何とかなったわね」
「これ、返すよ」
「あ……ありがとう」
進とフォランの二人は目を合わせて、互いに懐古の表情を浮かべる。実際には数ヶ月しか経っていないのに、まるで何年も会っていなかったかのような錯覚を覚える。
「ごめんなさい。私がこのナイフを渡したばっかりに……」
彼女は静かに俯き、唇をかすかに震わせながら謝罪の言葉を紡ぎ始めた。今まで見たこともないような、心の奥底から湧き出る暗い影がその表情に浮かんでいた。
「私は最低よ。巻き込ませないなんて言った癖に、追い込まれたらあんたを利用しようとして……」
深い哀しみと後悔の声が滲み出す。しかし進にとって、もはやそんなことはどうでもいい。黒ずんだ瞳の進、ゆっくりと口を開く。
「いいから燃やそう、奴らを。油漬けにして」
「!!」
まるで死人そのもので、生気を失ったかのような深淵を感じる無表情。抜け殻のような進を動かしているのは、唯一残った憎しみと復讐心だけ。以前とは別人のように成り果てていた。
「うっ……くっ……」
少女は歯を噛み締め、瞼を強く強く閉じて泣き始める。悟ったのだ、彼が味わった苦しみと絶望を。自分たちと同じように。
「ええ、やりましょう。とことん」
悪魔は穏やかに暮らしているだけの、罪のない人間たちを笑顔で殺しに来る。戦い、駆逐しなければ、ただ奪われるだけ。
ゴゴゴと重厚な鉄の扉が開く音がする。地獄の炉が扉を開けて待っている。早く悪党どもを中に放り込めと言わんばかりに。
——————
ーー生きてる!?
翌朝、アルジェは天幕の中で眼を覚ます。首には厚く包帯が巻かれている。待機していた回復魔法の使い手たちが、全力で彼女を治療したのだ。よって一命を取り留めたアルジェだったが……
「あ……ぅ!?」
喉を刺された後遺症のせいで、まともに話せない。歌も歌えない。
「え……あ……」
涙が止まらない。それもそのはず。歌姫は、積み上げてきた全てを失ったのだから。
ーーもう歌も魔法も何もない。私はこの世の底にいる。
「起きた!? 大丈夫、アル姉!?」
「良かった! 生きてた!」
突然、横に座っていたティリスとレザーの大きな声が響いた。二人はずっとアルジェを看病していたらしく、その証拠に目の下には濃いクマがくっきりと刻まれていた。
「こ……ぇ……で……ぃ」
アルジェの悲痛な叫びも、今や掠れた声となってかすかに響くだけだった。その声には、彼女の苦しみと絶望が凝縮されているようで、聞く者の心を深く抉るものだった。
力なく震えるその響きは、かつての強さを失い、ただ虚ろに部屋の中を漂う。
「声が出ないのね……なんて可哀想に」
「なんとかして姫様の喉を直してもらおう」
「そうね、今までもらった恩を返さないと」
「み……ん……な」
涙が再び溢れ出る。もはや自分は玩具にされて死ぬだけだと思っていたのに。僅かながらも確かな希望が、今目の前にある。
アルジェは才能なき人間たちにとっては悪魔でも、ここにいる人間たちにとっては天使であり英雄だった。彼女の功績が形を成した瞬間だった。
自分たちの庇護者が消えては困るという打算も多少あったものの、彼らは心の底からアルジェの幸せを願っていた。
絶望だらけの歌姫の心の中に、希望の光が満ちていく。親から捨てられ、最愛の男から拒絶されようとも、仲間だけは彼女を見捨てなかった。彼女の新しい物語の幕が上がった。
「それにしてもあの男、絶対に許さないわ!」
「全くだ。どんなことをしてでも捕まえないと」
憎悪と復讐に燃える二人の瞳は、怒りの炎で輝いていた。それはアルジェも同じ
ーーよくも裏切ったな。あいつらと同じように、地の果てまで追い詰めてやる。
しかし同時に、彼女の中に後悔もあった。
ーーでも、私もあの人から大切な人間を奪ってしまったと言えば、そう。
ーー結局この世界は、やったやられたを繰り返してるだけなの?
——————
「!!」
その日の晩、アルジェは胸騒ぎがして起きてしまう。それは満月が怪しく輝く夜中だった。
「うあああああ!!」
「いやああああ!!」
「!?」
暗闇の中、いくつもの悲鳴が断続的に響き渡り、重い殴打の音がそれに続いた。強大な魔力がその場を支配し、空気が重く淀む。
ーー何が起こっているの!? この魔力の感じ……まさか……
「生きてて本当によかった。私のアルジェ」
「!?」
天幕の切れ目から、鋭く幽幽たる眼光が差し込んだ。その視線の先に立っていたのは、オルチノだった。
その姿が現れると同時に、空気が鉛に変わるかのように、重く冷たく感じられる。彼女は返り血に染まった衣服を纏っていた。そこには計り知れない混沌が漂っていた。
「ずっと邪魔だったのよね、どいつもこいつも全員が。私とアルジェの間に割り込んできて」
「じゃ……ま?」
「ああ、アルジェ! アルジェ!」
普段の彼女からは想像もできないような騒々しさと感情の起伏が見える。だが、これこそが彼女の本性であり、今までそれを巧みに隠していただけだったのだろう。
「この時を待ち望んでいた! 私の全て、アルジェ!」
「どぅ……し……て?」
「決まってるじゃない! あなたを独り占めにしたかった! 自分だけのものにしたかった!」
ゆっくりと、オルチノは近づいてきた。その姿を見つめるアルジェは、まるで大海に沈みゆく孤島に取り残されたかのような感覚に陥っていた。
「あの男に初めてを奪われたのは血が煮えたぎるような思いだった。しかも首を刺すなんて、絶対に許さない! もし再会したら、骨の全てが目玉大になるまで砕き尽くしてやる!」
今まで必死に我慢していた、オルチノの狂気が爆発する時がきた。異常なまでに大きく開いた瞳孔で、歌姫を凝視する。次に始まった物語は、決して喜劇ではないようだ。
「まあ、アルジェを私だけのモノにしてくれたのは感謝してるけれど。魔法が使えない、ただの可愛い女の子にね。強すぎて今まで手も足も出せなかったから」
「そ……ん……な」
「暗い表情を浮かべないで。全て私が面倒を見てあげるから。何もかも満足させてあげるから!!」
アルジェはベッドに潜り込んだオルチノに強く抱きしめられる。耳元で囁かれる甘ったるい言葉が、まるで毒のように彼女の心に浸透していく。
吐息が頬にかかり、鳥肌が立つのを感じた。恐怖が全身を貫き、彼女の体は小刻みに震え始めた。闇夜の中に、乙女の恐れが静かに満ちていく。
「永遠に結ばれましょう。アルジェ」
「う……んん!?」
オルチノからの口付けと同時に彼女は寝台に押し倒される。そして、色々なものが触れて、混じり合う。決して忘れ得ない音を響かせながら。
アルジェが最大の長所である魔法や歌を失おうとも、歪んだ愛は惜しみなく注がれる。オルチノにとってアルジェは、ありのままで誰よりも愛おしい存在だから。もう誰も邪魔のできない理想のセカイが、そこに生まれたのかもしれない。
Chapter 3までお読みいただき、ありがとうございました。実際のところ、物語はまだまだ始まったばかりです。
この話はいわゆるチート能力ものではなく、主人公はどこまでいっても魔法を持ってない魔力0の凡人で、敵はほとんどが格上。狂気が溢れる地獄の中で、彼と仲間たちが必死に生き抜く話を書き続けます。
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