C3-18 歌う骨
全てが終わった後、進は両手を縛られて連行されていた。一緒に連れてこられた何頭かの牛の姿も相まって、その光景の悲哀さは計り知れなかった。
「もう勝手に離れちゃだめよ」
アルジェの子供を宥めるような優しい一言とともに、進は縄を解かれて自由にされる。だが、言われなくとも分かる。次に独断で動けば、どこかに監禁されるのだと。
「また逃げたら、骨の二、三本は覚悟しておけ」
オルチノは進にしか聞こえないように、低く呟いた。その僅かな声が、やけに進の脳裏に響き渡る。しかし、当の本人は決してそこに留まるつもりなどなかった。
ーー冗談じゃない。逃げるぞ。
残り数ヶ月も、こんな狂人たちと暮らしていられない。奴らの底気味が悪いということもあったが、弱者に対する悪逆無道な振る舞いを躊躇わない思想に、進は反吐が出るほど嫌悪感を抱いていた。
逃げる方法を必死に探し、ひたすら考え続けていた。その日の晩は、まるで宴だった。何頭もの牛の丸焼きと、大量の酒が振る舞われた。おそらくあの集落からの戦利品で盛り上がったのだろう。
「進、食べる?」
「いや……食欲がないからいいよ」
アルジェが一人、孤独に佇む進の寝床を訪れた。彼女の手には切り分けた牛を焼いた肉があり、その香りが食い気を刺激する。しかし、忌まわしい光景を見た彼は、何も胃に入れたくはなかった。
「そう……取っておくから」
進はその夜、ずっと自室のベッドに横たわっていた。もう、アルジェの一団の誰とも会話をしたくない。そして翌日の早朝、進はぼんやりとした頭を冷やすため、テントの外に出た。
ーー皆、寝静まっている?
普段なら何人かが起きているはずだが、前日に飲み騒いだせいか、皆が寝静まっていた。同室のレザーも酒臭い息を吐きながら、大きないびきをかいて眠りこけている。
昨日あれだけ凄惨な場面に出くわしたので、誰もが進は逃げ出さないと腹を括ったのかもしれない。もっともアルジェ以外の全員が、進に出ていってもらって構わないと思っているようでもある。
ーー今がチャンスだ!
進は倉庫からフォランに託されたナイフを回収し、再び走り出す。どこに行けばいいのか見当もつかないが、ここにいることが正解ではないという根拠のない自信だけはあった。
「……馬鹿だね、自分がどれだけ恵まれているのかも知らない。君のそこが嫌われる理由なんだよ」
——————
「こっちに逃げたとも考えられますね。おそらくどちらか、もしくは両方が囮でしょうが」
それから約一時間後。進の足跡は南に向かって続き、途中で途切れていた。同じように北にも足跡が続いており、こちらも途中で消えていた。これは彼が仕込んだ偽装だった。どこに行ったのか分からなくするために。
「あなたも私を見捨てるの?」
「もう放っておきましょう」
「……話がしたいわ。探索をお願い」
「……畏まりました」
オルチノは両手を掲げ、目を閉じて集中する。手のひらに、強く大きな青白い光が灯り始める。
「歌う骨」
カラカラカラカラカラカラ
無だった空間にいくつもの骨が出現した。誰かを嘲笑うかのよう震え、ぶつかり合っては笑うような音を響かせて。
その骨の数は、成人男性一人分の骸に相当する。それらはまるでコンサート会場に配置された楽器のように、半円状に広がっていく。
オルチノは進の膝の高さほどに、数多の骨を浮遊させた。そして、ピザ生地を伸ばすかのように、骨々を回転させながら徐々に拡張させ始めた。
これが彼女の魔法、歌う骨の能力であり、異常なほどの強度と速度を誇る何本もの骨を、手足のように操作可能だ。
「これで半径3kmまでは探知できる」
それらはまるでメリーゴーランドのように、広がりながら回り続け、あらゆる物体に接触する。当たった物体を壊さないよう、威力は最小まで抑える。オルチノは魔法を通じて、触れたものの感触や大きさを間接的に確かめることが可能だった。
「くっ、見つからない……魔力が無いから骨越しに感じることもできない」
どれもこれもが草木や毛だらけの動物の感触。人間らしきものは何も感じられない。魔力があれば、それも知覚できるが、進相手には意味を成さない。
「私も王子様を探したけど、どこにもいない……どこまで逃げたのかしら?」
「僕も見つけられないや。おかしいな、昨晩までいたはずなのに」
探索に加わっているのはアルジェとオルチノだけでなく、レザー、ティリスを含めてキャンプの参加者全員だった。しかし人海戦術を駆使しても、進を見つけられずにいた。
「呑気なことを言ってる場合か。昨日も今日も見逃して」
「そうね。レザーは今月は禁酒ね」
「ええ! そんなあ……」
「この大罪がそれくらいで済んで良かったでしょ。もっとアル姉に感謝しなさい」
アルジェ一行が途方にくれる中、実のところ当の進は大して離れていなかった。足跡がつかないよう、昨日散々食い散らかされてキャンプ地近くのゴミ捨て場に逃げていた。
足跡を南北に残すことで、相手を二択に誘い込み、実際は第三の留まるという選択肢を選んでいた。そして、廃棄された何頭分もの牛の生皮を、被って隠れていた。 オルチノの骨は牛皮には触れていたが、その中身まで知ることはできなかったのだ。
ーーもしもここを深く調べられれば、すぐに発見されるだろうな。
と、進は心の中で呟いた。だが、足跡のおかげで遠く離れていると錯覚させれることはできたようだ。それに、万一バレても、少なくとも今回は殺されはしない。それだけの希少性はあるのだから。
ーーとはいえ見つかれば、何発かは殴られるかも。
そんなリスクを背負ってでも、何もせずにこんな度し難い連中と暮らす方が、よっぽど彼には耐えられないことだった。
ーーうう、生臭い……ヌメりもある。気持ち悪い。うげっ!! 虫も湧いてる……
焼く前に剥がれた牛の皮から腐臭と血の匂い、その他もろもろ不快なものが漂い、不愉快極まる。しかし、進は苦悶の表情を浮かべながら、何とか耐える。
「こういうのは探しても見つかるものじゃないわ。地中に潜ってるかもしれないし。彼の目的地を考えるのよ」
「私が親どもを見つけたときのようにね」とアルジェは小声で呟きながら解説する。その言葉には得意げな軽快さと、泥沼のような暗い深みが同居しており、言い表せない不気味さがあった。
「まぁ、九割九部エディティアの方向でしょうね。もしかして仲間たちが来ていて合流した?」
様々な考えを巡らせるアルジェ。そして、暫くして行動の方針を決定する。
「後方へ離れてなさい。エディティアの中心地に向かって歌うわ」
「!!」
まるで今から爆撃でも始まるかのごとく、全員が一目散に遠方へと避難する。アルジェは鋭い眼光を放ちながら、胸を張り、口を開く。
「Grün grün grün sind alle meine Kleide!」
「!? うえ!」
信じられないくらいに充満する、甘いニオイ。怪物が規格外の魔法を放ったと、進は一瞬にして理解する。気分は最悪で嘔吐寸前だが、必死に我慢する。
彼女は歌の一部分を口にしただけだった。だが、アルジェが歌い終えた瞬間、あちこちから野鳥が飛び立ち、ドサドサと何かが倒れる音がする。
進にとっては音以外の性質を持たないが、魔力を持つものにとっては閃光手榴弾でも投げつけられたような感覚なのだろう。
「これでこっち側の魔法使いは、半日動けなくなるはず。あの子達が回復したら探すか」
その効果範囲は7km先にも及ぶ、まさに規格外。だが、これだけの力にもかかわらず、彼女は決して全力を出してはいない。
十分ほどして、ガラガラと馬車が移動する音が聞こえる。アルジェたち一向が動き出したのだ。
ーーまだだ、あともう少し留まらないと。
それから更に約十分ほどが経過した。音も魔法のニオイも何もかも消え去ったとき、進はようやく牛の生皮の下から這い出る。
「うええ……」
あまりの気持ち悪さに近くで少し、胃の中のものを吐出してしまう。だが、ゆっくりしている暇はない。よろけながらも、早足で移動する。だが、何もあてはなく、闇雲に移動し続けるだけ。
エディティア国首都のサネス近辺にて、潮の香りがしていたことを思い出す。そして、一先ずは海を探して進む。
「くっ、ここは一体どこなんだ?」
一時間ほど彷徨い、辿り着いたのは切り立った崖の下にある、砂浜と海岸だった。まるで今の進の状況を表すかのように、海の向こうには何も見えず、砂がひたすら足を重くする。
「これからどうするか……ここがどこかも分からないし」
初めてこの世界に来た時も、似たような気分だった。散々苦労して、ようやく安心して住めそうな国を見つけたというのに。再び難民に逆戻りしてしまったという悲嘆が押し寄せる。
「誰?」
途方に暮れる進は後ろから、突然誰かに声をかけられる。それは清くて優しい、いつまでも聴いていたくなるような声色だった。
ちなみアルジェの歌の元ネタですが、歌詞で検索すれば出てきます。
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