C3-14 転調するセカイ
「私ね、進にお願いがあるの」
「お願い?」
「ええ、私の騎士になってほしいの」
「騎士?……」
「私には重大な欠点が一つあるの。魔力がない存在には圧倒的に弱いのよ、動物とかね。一度毒蛇に噛まれて酷い目にあったことがあるわ」
「ほら、ここよ」と言いながら、少女はスカートの裾を持ち上げ、滑らかな生足を見せてきた。太ももに極小ではあるが、穴が空いたような箇所があった。
進は一瞬その絹のような白い肌と傷跡に目を奪われたが、気恥ずかしくてすぐに視線を逸らした。
「魔法使いには魔力のない物理攻撃はほぼ効かないけど、毒とかは一応効果があるのよ。それに水辺に引き摺り込まれでもしたら、窒息死もするわ」
「そうなのか……魔法使いも無敵じゃないんだな」
「だから前もって危険な動物がいないか調査するの。そうしないと、安心して魔法を使えないから」
彼女は不快な記憶を呼び覚ますと、静かに俯いた。もの悲しげな表情すらも見目麗しく、進は目を奪われてしまったが。
「でも、あなたが現存する魔道具を持って騎士になってくれるなら、鬼に金棒よ。私の魔法が発動しているときは、魔力を持っている存在はほぼ動けないから」
「なるほど……でも、現存する魔道具? 新しい物は作られないのか?」
「無理だと思う。殺害されたのよ。魔道具の開発者たちは根こそぎ」
「!?」
進は二つの意味で恐れ慄く。一つは狂った殺意に対する恐怖。もう一つは魔法を持たない自分や一般人が、今後十分に強くなれるという希望が儚ないものとなったこと。
「並の魔法使いにとって魔道具は脅威だったわ。いつ利権や命を奪われるか分かったものじゃないから。だから開発者が全員狙われて、施設も破壊され尽くした」
「そんな……」
「どこかでひっそりと研究者たちが生き残ってるかもしれないけど、大きな設備はもう無いの。だから、今後大した物は作れないでしょうね」
「でもね」とアルジェは進を潤んだ瞳で見つめながら、艶かしい唇を動かす。
「今残っているものは、私の財と権力を使ってかき集めてくるわ。だからお願い、私を守って」
その言葉とともに、彼女は進の右手を両手で包み込む。自身が守ってあげなければいけない、か弱いだと存在を訴えてくるかのように。その父性を擽るところも、アルジェの魔性の一つだった。
「ああ、ごめんなさい。いきなりこんなに重たい話をされても辛いわよね。ゆっくり考えて」
時間はいくらでもあるし設けられると、余裕の笑みを浮かべる歌姫。何の屈託もない自信に満ちたその表情は、真剣な表情で悩みこむ進の心を鷲掴みにした。
——————
それから一週間が経過した。アルジェの一団は、情報収集のためか、不動のまま同じ場所でキャンプを張っていた。その間、進は贅沢なもてなしを受け続ける。彼を取り巻く雰囲気はまるで華族のようであった。
「上手になったわね、オルチノ」
「はい、アルジェ様のためならこれくらい」
再び訪れた演奏用のテントで、アルジェと進は音楽に酔いしれていた。オルチノの上達ぶりに、誰もが驚嘆した。寝る暇を惜しんで練習していたのだろうと、一同が感心する。
「皆、もう一曲お願い。舞踏用のね」
「はい、喜んで」
「踊りましょう、スミス。私の真似をして」
「えっ、ちょっ……」
アルジェに手をとられ、進は一緒に踊り始める。彼女のリードは巧みで、初めての進でもそれなりに踊れていた。
「うふふ、上手よ」
「いや、君のリードが達者だからだよ」
ーー楽しいな、最近は。不吉な夢も見ない。
地獄のような日々から解放された進は、歌姫の接待によって順調に飼い慣らされていた。目の前には自分と同じ理念を抱いてくれる少女がいると、心の底からの安堵と喜びも感じる。
ーー俺はこの子と一緒に世界を救うためにやってきた勇者なのかもしれない。
ーー異世界に転移して、左手まで失ったんだ。これくらいの幸せはもらって当然だろ。
散々悪夢を味わって心が疲労困憊していた彼には、そんな考えが芽生え始める。
ーー帝国側の重鎮にだって、こんなにいい人がいるじゃないか。話し合えば分かり合える。
もう争わなくても済むのだと。きっと素晴らしい未来が待っているのだと信じ始めていた。
——————
踊りの余韻を残しながら、二人はしばらくして外に出た。静かな夜の空気を感じながら、並んで歩く。
「いや、オルチノはすごいや。たった一週間であんなに上達するなんて」
「一分一秒でも私に構ってもらうために猛練習してらしいの」
舞踏も音楽も堪能した進は、アルジェを寝床まで送るため一緒にキャンプ地を歩いていた。虫たちの優美なさざめきが耳に響き、月明かりが柔らかな光が芝生の小道を照らしていた。
「うふふ、本当に従順で愛い子よね。もしも私が男なら嫁にしたいくらい……あっ!」
アルジェはわざとらしく足を躓かせ、進の体に身を預ける。その瞬間、彼女からは洗濯して干し終えたばかりの布団のような、柔らかな感触と心地よい香りが漂ってきた。
「……進だけは私と一緒にいてくれるわよね? 見離さないでね」
小さな声が乙女の口から漏れた。その声は微かで、まるで風にさらわれる綿毛のように儚かった。しかし、進の耳にはしっかりと届いている。
「その……すごく前向きに考えてるよ」
「ありがとう」
青年の胸に顔を埋める乙女。色鮮やかで甘い空間がそこにはある。今、世界の中心は二人なのだと感じられるほどに。
「……ん? 見離さないでねってどういうこと?」
「ああ……ちょっと思い出しちゃったの。親のことを」
暗黒が広がるような錯覚に襲われた。朗らかなアルジェの顔が、凍てつく無表情へと変化する。
「私の毒親たち。私が魔法に目覚めてから、怖くて私を捨てて逃げ出した。歌を聴いてとおねだりするたびに、この世の終わりみたいな面をしてたわ」
「え?」
「アルジェ、世界で一番愛してる。お前の歌を聞くために生まれた。なんて言ったくせに、ふざけやがって」
輝いていた目が、常闇のように真っ黒に染まる。きっと彼女にとって一番のトラウマであり、怨恨なのだろう。
「まあでも、仕方がないわ。あの人たちには才能がなかったのだから。私と一緒にいるための」
進は何も聞き返せなかった。いつまでも頭の中で響き続ける、呪詛のようなアルジェの声。その晩、何度も目を覚まし、静かな眠りを得ることは叶わなかった。
 




