C3-11 花から団子まで
「壮観だな、これは……」
アルジェのテントから進が外に踏み出すと、目に映る光景が彼の息を呑ませた。広々とした草原に点在する幾つもの大きなテントと、立派な馬車が数台。
あたかも小規模な戦にでも出陣するかのような、その規模に彼は圧倒された。 驚いていると、微かにザザアと潮風の匂いが鼻をかすめる。
遠くない場所に海があるのだと感じさせる。自分が捕らえられてから、おそらくそれほど離れて移動していないのだろう。
「じゃあまずは、皆と顔合わせね」
「皆?」
「私の音楽隊のメンバーたち」
「音楽隊? 敵情視察なのに?」
「ええ、私はいい音楽を一日一回は聴かないと病気になるから」
ふふ、と少女は冗談混じりに話す。ただ、彼女の歌や音楽への狂気的な執着を見ると、あながち冗談とも思えないのが怖いところ。
「行きましょう、進」
アルジェの寝床は彼女の歌がもたらす影響を考慮してか、他のテントからかなり離れた場所に設置されていた。そのため、二人は長い道のりを歩く。
やがて、彼らはもう一つの大きな天幕の前に辿り着いた。アルジェは何の躊躇いもなしに、内部へと歩みを進める。中には複数のテーブルと椅子に加え、いくつもの楽器と楽譜立てが置いてあった。
「皆、さっき歌ったけど大丈夫?」
「なんとか……立ってるだけで精一杯だけど」
「僕はもうダメだよ……魔法に対する抵抗力が少なくて……」
目の前には二人の男女が座していた。女性は金髪の整えられたを揺らし、緑色の派手なドレスを着用している。彼女の年齢は二十歳前後で若々しく、つり目が特徴的な美人だ。
男性の歳は三十近いように見える。髪は茶色で、クラシックなセンター分けが彼の落ち着いた雰囲気を引き立てている。白いシャツに品のある黒のベストを着こなし、顔には手入れの行き届いた髭が整えられている。
「歌うなら先に教えてくださいよ、アルジェ様」
「あら、ごめんなさい。しばらくお茶休憩にしましょう」
アルジェの強制的に発動する魔法のせいで、その場の人たちの体調は優れなさそうだった。だが二人とも、その装いと佇まいからは、今すぐにでも演奏会を始められるようなプロフェッショナルな気配が漂っていた。
「隣にいる彼は、スミスというの。今日から一緒に暮らすわ」
「よ、よろしくお願いします」
「ああ、彼が例の捕虜なんだね」
どうやら進はスミスという名前で呼ばれることになるらしい。発音が似ていることから、その偽名に対して特に違和感を覚えることはなかった。
アルジェはゆっくりとお茶を用意し、全員に振る舞う。その気品ある匂いに進は癒されながら、しばらくの休憩時間を堪能した。
「皆体調は落ち着いたかしら? 紹介するわ。男性はバイオリストのレザー、金髪の女性は歌手のティリスよ。そしてーー」
「オルチノ。お前を捕獲したのは私だ」
テントの奥から、白い髪をポニーテールに結んだ女性が現れ、自身の名前を名乗った。冷たい威圧感のある雰囲気が彼女から滲み出て、この場にいる他の者たちとは明らかに異質な空気を纏っていた。
「オルチノは私たちの用心棒よ。彼女は上級アークウィザードね」
「じょ、上級!?」
世界に僅か百人しかいないアークウィザードの中でも、彼女は上位二、三十人に位置する存在。実際に劇場のある丘で、進は匂いを感じとった次の瞬間には気絶させられていた。
加減されていたので威力の底は分からないが、少なくとも魔法の攻撃速度は尋常でないほど速い。
「そうよ。私が死んだら次の七星は彼女にすべきと思ってるくらいに強いわ」
「私はあなたの足元にも及びませんよ。それに冗談でも、死んだらなんて言わないでください」
「よしよし」とオルチノの頭を撫でるアルジェ。無感情に見えたオルチノだが、アルジェに可愛がられている時は微笑みを浮かべ、手の感触を味わうかのように目を閉じて集中していた。
「ふーん、彼がアル姉の王子様なのね」
「王子様?」
「ちょっとティリス……」
金髪でボブカットの歌手、ティリス。彼女は進を査定するかのようにじっくりと上から下まで見定める。年は彼女の方が上だろうが、呼び方からしてアルジェに対して姉のように敬意を抱いているようだ。
ティリスは笑顔を浮かべてはいるものの、彼女の視線には変な虫がついていないかと、訝しむような鋭さがあった。
「はいはい、とりあえず三人とも演奏して。そうすれば分かり合えるわ」
「りょーかい。ささ、二人とも準備、準備。お客さんが目の前だよ」
レザーは明るい男で、軽快に用意を始めた。「演奏すれば分かり合える」というアルジェの言葉は、筋があまり通ってないようにも思える。
しかし先ほどの歌を聴いて、彼女に対して強い敬意と好意を抱いた進にとって、その意見を否定することができなかった。
進が考えている間に、彼女の仲間たちは慣れた手つきで手早く演奏の準備を整えた。彼らの動きには無駄がなく、まるで長年の相棒のように息が合っていた。
「一、二、三、はい!」
レザーの掛け声とともに、演奏が始まる。アルジェほどではないが、ティリスもプロ以上に歌が上手だった。彼女のハスキーな声は澄み渡り、聞く者を魅了する。
さらに、レザーのバイオリンも巧みに奏でられ、進はその響きに夢中になる。 一方、オルチノはティンパニーを叩いているが、二人に比べると未熟に感じられた。
しかし、それでも彼女の演奏は素人を超えており、懸命に練習を重ねた努力の跡が伺える。おそらくアルジェに褒められたい一心で、努力してきたのだろう。
「……ふぅ、ご清聴ありがとう」
「すごい、すごいよ!」
パフォーマンスが終わり、進はスタンディングオベーションで拍手を送り続ける。彼の称賛はただの儀礼的なものではなかった。それは心の底から湧き上がる純粋な感動の表現だった。
「素人だから具体的な褒め方は分からないけど、感動したよ!」
すっかりアルジェの歌や今聞いた音楽に取り込まれた進は、ここが敵地であることも忘れ、能天気にはしゃぐ。だが幸運にも、その無垢な姿はその場にいる全員が好感を持てるものだった。
「ふふ、帰ったら奏者全員でフルオーケストラを聞かせてあげるわ。きっと涙が止まらないわよ」
「本当に? そんなこと聞かされたら、落ち着かないよ」
奏者たちも進の純粋かつ大きなリアクションによって、硬かった表情が柔らかくなる。どうやら目の前にいる男は悪いやつではなさそうだと、彼らの警戒心を少しだけでも溶かせたようだった。
「皆お疲れ様、お昼にしましょう」
「やったー! 待ってました!」
ささっと三人は楽器類を片付け、全員で食事用のテントへ移動する。そこでは皿の一つ一つに至るまで、味も香りも見た目も全てが最上級の料理が振る舞われた。まるで王家のようなもてなしに、進はただ圧倒されるばかりだった。
「美味しい……こんな上等なもの、今まで食べたことがない」
進は裕福な家庭の出身であり、粗悪な食べ物が食卓に上がることなどほぼなかった。しかし、ここで振る舞われる食事は格が違う。
「ようこそ、アルジェ音楽団へ」
進の満悦した表情を見逃すことなく、アルジェは優しく口を開く。その美しくも身の毛もよだつ声は、まるで神話に登場する魔鳥の囁きのようだった。
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