C3-10 今日から新生活
それから数分後、進とアルジェは一旦落ち着いてから、互いに向かい合って椅子に座る。両者の間隔は子供一人分くらいしか離れていない。心も体も、先ほどよりも遥かに近づいている。
「それじゃあ、改めて話し合いましょう。……失礼したわ。その前にまず、あなたの名前を聞かないと」
「それは……」
できれば敵に本名はバラしたくはない。ただでさえこの世界で珍しい見た目をしているのだ。名前まで特定されれば、逃げられなくなるやもしれない。進が偽名でも名乗ろうかと考えていた、そのときーー
「大丈夫よ、決して知らせない。あなたの本当の名を、誰にも」
それは、愛情と独占欲が複雑に絡み合う、底知れぬ深淵を宿す面持ちと響きだった。破顔だったにも関わらず、進はその迫力に圧倒されて思わず吐露する。
「す、進だよ」
「ススム……不思議な響きね。魅力的だわ」
名前そのものを褒められたのは、生まれて初めてだった。最初にこの世界に来て、珍妙な扱いをされたのとは対照的な反応。それは進にとって新鮮で喜ばしいものだった。
「進、一度こちら側に来てほしいの。敵国から来たとはいえ、一等の客人として迎え入れるわ。私の名において」
「それは……」
一週間ほどとはいえ、家族以上に密度の濃い日々を共に過ごした仲間たち。彼らを見捨てて何事もなかったかのように敵側につくなど、進には到底考えられなかった。
「いきなり言われても、辛いわよね」
悩む男子の姿を見て、アルジェも考え直す。いきなり街に無差別攻撃を仕掛けるような狂人のはずなのに、人の思慮を察する力を彼女は備えている。おそらく身につけてきた教養があるのだろう。
「そうね、じゃあ……三カ月間、一緒に暮らしましょう」
「一緒に暮らす……」
「三カ月後にあなたが帰りたいのなら、エディティアでもどこでも送るわ」
「……」
決して悪い条件ではないと、進は思った。敵として捕らえられたにもかかわらず、何の危害も加えられない。たった三カ月の我慢で解放される上に、送迎のオマケ付きだ。
「そのときに、一緒にいたいと思ってくれるならこちら側に来て。あと、きっと仲間もいるのでしょうから、その人たちを見つけたら保護するわ」
「保護……仲間が嫌がったら?」
「放っておくつもりだけど、抗うなら動けなくするわ。その後は監禁ね」
「!!」
アルジェが物騒な言葉を発した瞬間、進の表情は渋面になる。その緊張が顔に現れるのを見て、少女は優しく微笑んだ。それはまるで我が子をなだめる母親のような、愛情に満ちた笑顔だった。
「はっきり言うけどあの程度で対抗できないなら、いつか捕まって酷い目に遭うのがオチよ。今まで相手に恵まれていただけ。将軍級の魔法使いにとって、彼らは一般人と大差ないわ」
「そんな……」
「現に私には手も足も出せなかった。早めに理性ある人間に捉えられたほうが幸せよ」
人を簡単で焼き殺せる者ですら小物扱い。分国の王である彼女と比較すればそう扱われても仕方がないが、どうやら仲間たちはその一つか二つ手前の魔法使いたちにも敵わないらしい。
「そもそもどうしてその人たちは帝国に刃向かうの? 関係ない人間も巻き込みそうだけど?」
「それは……そうならないように、皆考えてると思うけど」
確かに言われてみればそうだ。数日間寝食をともにした彼らは、決して罪のない人たちを攻撃するような人間ではなさそうだ。
しかし、帝国側の人間としっかりと話合ったことはあるのだろうか? 争う前にできることはなかったのかという疑問は、進の中にも芽生える。
「もしも俺が、提示された条件を飲めないと言えば?」
「無期限で幽閉するわ。暴行は加えないけど」
「……」
選択肢はあるようで、実は無かった。だが、十分に妥協できるラインが確保されていると感じられる。幸か不幸か、こうして敵国の重鎮との奇妙な共同生活が始まる。
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