C3-8 囚われの身
「はっ!?」
そこは大きなテントの中だった。普通の人間なら七人程が眠れそうな、巨大なサイズの真っ白なベッドの上。入り口の純白なレースカーテンから日差しが差す中、進は目覚める。
「ごきげんよう、目が覚めた?」
「ここは!?」
驚きに駆られて進はベッドから飛び出し、立ち上がる。目の前には、街の人々を苦しめた魔法使いが静かに座していた。
「心配しないで。何も危害は加えないわ」
「なんなんだ!? 何が目的なんだ!?」
「落ち着いて。話し合いましょう」
彼女はふぅと一呼吸置き、座っていた上品な椅子から立ち上がる。なぜかわからないが、その表情には緊張が漂い、動きはぎこちない。まるで見合いの席にいるかのように。
「改めてはじめまして。私の名前はアルジェ、帝国の七大分国が長の一人よ」
アルジェは右手を胸まで持っていき、左手でスカートを持ち上げながら会釈する。貴族の礼儀正しい挨拶だ。思わず見惚れてしまうくらい、しっかりとした姿勢と所作。やはりこの子は筋金入りの名家の娘なのだろう。
「まず確認したいわ。あなたは帝国とは敵対関係なの?」
「……」
「ああ、ごめんなさい。言える訳ないものね。ただ、身分を明かした私に挑んできたのだから、帝国と戦ってもいいと思っているのは間違いないわね」
進は何も言えず、ただ肩に力を入れたまま目の前の少女を見つめる。返答を誤ればどんな目に遭うか分かったものではない。緊張が喉を締め付けるようで、思わず唾を飲み込んだ。
「その前提で話を進めるけれど、どうして? 争っても意味なんかないわ。それとも、私個人に恨みでもあるの?」
少女の口から出た言葉には知性が感じられ、進が予想していたよりも平和的な話し合いになりそうな気配が漂った。少し安堵し、慎重に息を整えてからゆっくりと口を開いた。
「君に対して憎しみは無いけれど、帝国は罪のない人たちを平気で殺めている」
彼女は目を閉じ顎に手を当てる。ゆっくりと思慮を巡らせ自分の記憶を探るような、そんな佇まいを感じる。
「なるほど。そういうふうに吹き込まれたんでしょうね」
「吹き込まれた? 俺は実際に国境の城で、大量殺人をしている帝国の魔法使いを見たぞ」
「魔法使い? 名前は知ってるの?」
「知らない。けれど赤と黒の縞模様の服を着ていた。あと、魔法でトランプの兵隊を召喚していた」
「トランプ?」
少女は手のひらを軽く叩きながら、「あぁ、あの人か」と思い出したように呟いた。その仕草があまりにも可愛らしく見えてしまい、進は内心で「ずるい」と感じざるを得なかった。
「それは知り合いの妹さんね。ただの顔見知り程度だけど」
「あの魔法使いは有名なのか?」
「ええまあ、ある意味。そう、彼女はそこにいたのね」
彼女の表情は懐かしそうで、まるで思い出の中に浸るかのようだった。おそらくあの女王とは大分前に面識があったのだろう。
「確かにミルグの中には残酷な所業を行う人たちはいるわ。あなたが出会った人もその内の一人」
アルジェは人差し指をピンと伸ばし、前に突き出す。その動きはまるで子供を静かに制するかのような、柔らかな威厳を帯びていた。
「でも、仮にエディティアに主導権が移ったとして、それで本当に争いの無い、平和な世界ができるの? 魔力による狂気の発症率は、どっちの国でもそんなに変わらないって聞くわよ?」
「それは……」
進は言葉に詰まる。正直なところ、この世界や狂気についてほとんど知っていない。人から聞いた話を鵜呑みにしているだけだ。
「つまりあなたは、そっちの国側からの一方的な情報しか教えてもらってない。それは洗脳と変わらないわ。全てを知った上で判断してほしいの。こちら側の事情を話すわ」
「……」
進は一旦大きなベッドに腰掛け、耳を傾ける。この世界は分からないことだらけで、今から相手が話すことが真実か確かでない。だが、それでも敵側の権力者から話を聞けるのだ。貴重な機会には間違いない。
「そもそもミルグの王様は、国内の殺人や強奪を法で取り締まっているわ。実際に私であっても、法を破ればどうなるかわからない。権利を剥奪される可能性だってある」
「でも俺が初めて来た村は無法地帯で、野盗が暴れ回ってたぞ」
「それはまともな統治者がいないような場所でしょ? 私みたいに七星がいる場所なら、ちゃんとルールはあるわよ」
「!?」
言葉に詰まる。そんなことは仲間たちから聞いていなかった。彼らが意図的に隠したのだろうか。直感的にそんな風には感じなかった。もしかすると、当事者たちも知らなかったのかもしれない。
「言っておくけど、この大陸全ての平和を維持するなんて、どこの国でも無理よ。エディティアの王様だって、国内を完全に管理できてないはず」
「そっちの権力者たちが、ちゃんと全域を管理さえすれば……」
「無理よ。皆が自国のことで精一杯で、時間も人も足りないわ」
何も言い返せない。知識がないから。彼女の言葉通り、進の視野は一つの国の枠に囚われていた。狭い窓から覗く世界は限られた真実だけを映していたようにも感じられる。
「そもそも世界中の約三割の人間は狂気という病にかかっているのよ。それのせいで争いが起きてるのに、統治する側だけの問題にしても解決しないわ」
「それは……そうかもしれないけど」
「それに、私たちの王様はなんとか魔法の狂気から人々を救おうとして、色んな手段を講じてきた。私もそれに賛成、協力した。帝国が最高だと言う気はないけれど、少なくとも自分たちのためだけの政治はしてないと断言できるわ」
「百歩譲ってそれは正しいとしても、どうして君はあの街に攻め入ってきたんだ?」
「それはきっと、あなたに出会うためよ」
「え?」
話の流れを突然断ち切るような、意味不明な冗談を彼女が口にした。しかし、その表情はおふざけとは到底思えないほど真に迫っていた。
「ふふ、本当のきっかけは敵情視察のためよ」
「敵情視察?」
「最近こっちの国の有力な魔法使いが何人か暗殺されてるのよ。その実行犯らしき人物があそこにいることを掴んだから、先手を打ったの。捕えたのはあなただけだったわ。私の魔法が効かないなんて想定外すぎて、慌てて退散したから」
ーー今聞いた話が事実ならば、仲間たちは無事なんだろう。
彼女の言葉を完全に信じるべきかどうか見極め難いものの、進は少しだけ胸をなで下ろす余裕を得た。
「あとは優秀な音楽家を誘か…………私の楽団に招くことね」
「音楽家? ああ、だからあの劇場にいたのか」
「ええ、そうね」
「……」
進は、思わずその場で動きを止めた。彼女の顔に浮かぶ表情が、何とも言えない執着の色を帯びているように見えたからだ。まるで音楽というものに、深い因縁があるかのように。
「あなた、ここまで近づいても魔力を感じないのだけれど、どこから来たの? 私たちと違う人種に見えるわ」
「……違う世界だよ。信じてもらえるとは思ってないけど」
緊迫した表情の進とは対照的に、彼女の瞳は星のように輝いていた。まるで未知の世界への扉が開かれる瞬間を迎えたかのように。
「異界からの渡り人ね……素敵な響きだわ」
「受け入れるのか?」
「ええ、この世界の魔法は何を起こすか分からない。別世界から人が呼ばれてもおかしくはないわ。多少驚きはするけど」
柔らかく落ち着いた口調。加えて真剣な眼差しから、彼女の言葉に嘘偽りはなさそうに見える。初めて異界から来たと、誰かに心の底から信じてもらえた気がする。
「ということは、たまたま最初に辿り着いたのがエディティア側だっただけなの?」
「まあね」
「だったら、私たちにもあなたを説得する機会を与えて欲しいの。両側の話を聞いて、どうするか判断すべきだと思う」
「機会……」
「だから、あなたには捕虜になってもらうわ」
「またか」と、進は俯いた。これが最後の拘留でありますようにと、心から願うばかりだ。
「でも勘違いしないで。私たちはあなたを監禁も拷問もするつもりもない。監視と移動範囲の制限はするけど、基本的に自由よ」
「自由? 本当に?」
「ええ。最終的にあなたに仲間になってほしいの。まず私たちと一緒に生活しましょう」
一体彼女は何を企んでいるのか。進がレア物ということもあって、味方側に引き入れたいのかもしれない。実際、アルジェの魔法が効かない稀な人間であることは、その身をもって証明済みだ。
「その前に……私の歌を聴いてくれる?」
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