C3-7 天権の歌姫アルジェ
「焦らず、慌てず……もう怪我はごめんだ」
進は相手に見つからぬよう、巧みに建物や障害物の影を利用して、ニオイが強まる方向へと急いだ。闇に溶け込むように身を潜め、一瞬一瞬を大切にしながら進むその姿は、まるで狩人のようだった。
「あそこか」
視線が小高い丘の上に止まった。誰かがそこに立っているのが見える。慎重に一歩一歩進んでいくと、道中には悶え苦しみ、倒れている人々の姿が次々と確認できる。
これは無差別的な攻撃なのだと、改めて理解する。その光景に胸が締めつけられるような痛みを感じながらも、彼は進んだ。
「早くなんとかしないと……」
裏からゆっくりと人物に近づく。それはつい先ほど見たばかりの、綺麗で華麗な緑色のベストを着た女の子だった。
「!! くそ……なんであの子はこんなことを?」
戸惑うものの、仲間の命は守らねばならない。バレないように慎重に慎重に、足音を殺して歩む。だが……
ピーピピィ
「!?」
進の後方で野生の鳥が鳴いてしまった。その音に反応して少女もそちらに目を向け、同時に進の存在にも気づく。
「誰!? どうして動いていられるの?」
「大人しく、攻撃をしないと誓ってくれ」
「!! あなた、まさか魔力がないの?」
「さあね」
進はナイフの切先を驚く少女の顔面に向ける。彼女との距離は馬五頭分ほど。話し合いが通じなければ、走って刺しにいける。
しかし、実際に自分にそんなことはできるのだろうか。前回の敵、女王デスコヴィへトドメを差す時は、介錯だと思えた。彼女が死ぬのは自明だったから、自らの手で殺せた。
だが、この子の場合はどうだ? 若くて容姿端麗で優秀な魔法使い。きっと輝かしい未来が待っているだろう。
ーーいくら敵でも、俺にこの子の未来を奪う権利はあるのか? 苦痛を与える権利はあるのか?
頭の中で、そんな自問自答が続く。怯える進を見て、少女は微笑む。
「大丈夫よ。あなたと私は分かり合える」
「もう何もしないのか?」
「ええ。それに私は帝国の七大分国が長の一人、アルジェよ。ランクはプラウ・ウィザードで、通称七星。戦ってもいいことなんてないわ」
「!!」
やはりフォランが言っていたとおりだった。通常の枠を超越した最高位の魔法使い。可憐な少女にしか見えないが、分国の王になるようなクラスの怪物。その自信に溢れる表情を見て、震える体がさらに揺れる。
「落ち着いて武器を納めて」
「仲間が来たら、そうするよ」
意外と話が通じる相手のようで、本当は進もすぐにでも凶器をしまいたかった。だが、仲間が危機に瀕している今、そんな要求をあっさりと聞き入れるわけにはいかない。
緊迫した場面とは裏腹に、小高い丘には心地よく生温かい潮風が漂っていた。
「そのまま、じっとしてるんだ」
進はアルジェを睨みつけたまま静止した。こうやって何もできないように牽制しているだけで、意味はある。回復した仲間が必ず駆けつけてくれると信じ、出来るだけのことはやる。
「何もしなければ、俺も仲間も君を傷つけはしない」
「ふふ、優しいのね」
こんな状況でもアルジェは余裕の表情を崩さない。ナイフなぞ自分には効果がないと思っているのだろうか。実際、通常の刃物では高位の魔法使いは傷つけられない。それとも……
「そもそも、なんで君はこんなことをしたんだ?」
「殺さないで!!」
「え? なんだいきなり?」
話の流れを断つような、脈絡のない叫び声が突然に少女から発せられる。だが、程なくして進は理解する。それは自分に向かって放たれた言葉ではないのだと。
「!?」
刹那、強烈な甘さと土のようなニオイが後方から香る。慌てて振り向いた瞬間、何かの骨が見えた。それは進の顔をぶん殴り、気絶させる。そして、初めてこの世界で襲われたときのように、彼は再び地に伏せた。
皆様の★評価やブクマをお待ちしています。




