C3-6 七星
彼女は魔法名とともに、丘陵から歌い始める。大きく強く響く、透き通る歌声。それは瞬く間に街中を包み込む。
歌ったのは短い間だったが、それでも少女の目的を遂行するには十分だった。
「!? うえぇ!!」
進は思わずえずく。信じられないくらいに感じる強い甘いニオイ。今まで嗅いだどんなものより強烈なもの。蜂蜜で満たしたプールに入ったかのように、甘ったるい香りが脳内を埋め尽くす。
「!? ぐううぅぅ!?」
音速で襲い来る魔法に、街中の人間全員が寒気を感じる。身体中が痺れて痛み出し、動けなくなる。まるで身体中の細胞が暴れ回るかのような感覚。それは悉くに襲いかかる。タダ一人を除いて。
「だ、大丈夫なのか皆!?」
「なんなんだ……この聞こえてくる歌は……魔法なのか?」
「体中が……痺れて……痛むの……魔法も出せないわ」
進を除く四人は立ってられず、その場に横たわってしまう。あたかも猛毒でも注入されたかのように、全員の顔が青白くなる。誰も彼も、冷たい汗が額を伝って落ちていく。
「規格外の効果と膨大な魔力だ……こんなことができるのは……最高クラスの魔法使いか?」
「七星……王の次に権力を持つ、七つのミルグ分割区の一つを統べる者……かもしれないね」
「最低でも……上級のアークウィザード以上だ……」
進は今にも昏倒しそうな仲間たちを見て戦慄する。どうやら相手は世界トップクラスの化け物らしく、震えが止まらない。だがその一方で、全く被害を受けてない自身の体を不思議がる。
「俺に影響がないのは、もしかして魔力がないから?」
「そう……みたいだね」
進は気づく。メリアが自分を勧誘してきた理由はこれだったのかと。自分は魔法も何も使えない脇役だと思っていた。しかし、こういった特殊なケースで強さを発揮する、ジョーカーのような役割があるのだと。
ーーだとしても無理だ。もう誰かと争いたくなんかない。 傷つけたくも、殺したくもない。
数日前に壮絶な死闘と殺人を経験し、身も心も疲弊した進。もう一人も害する気持ちなど起きはしない。
ーーでも、もしここで逃げ出せば、他の人たちがどうなるか分からない。
そもそも、相手の目的が分からない。狂気的な無差別攻撃だとしたら、戦友や無関係な人々が、無事でいられる保証など何もない。
「このためなんだろ、俺を引き入れたのは」
相手の魔力をトリガーにして発動する魔法。確かにメリアにとって、進をぶつけたい仮想敵ではあった。しかし、今はあまりにも準備が不足している。敵の情報は0に等しい。
「見くびるんじゃないよ……無駄死にさせる気なんてない……逃げるんだ」
「説得してみる。それが無理でも、魔法を使わせないよう妨害はできるかも」
進は恐怖に押し潰されそうになりながらも、震える声で言葉を紡ぎ出した。この魔法が魔力のある人間を対象にするなら、敵は単独行動のはず。 なぜなら仲間も巻き込んでしまうから。
ゆえに一人でも十分だと、自らを奮い立たせる。殺しは二度としたくないが、それでも味方を見捨てる訳にはいかない。
「いきなりこんなことしてくる奴に……話なんか通じるはずないでしょ……引くのよ」
「やめるんだ……危険すぎる……」
「見に行くだけでも、行ってくるよ」
「どうしても……行くの?」
「うん」
前回の血戦を経て、進は恐怖を塗りつぶすほどの、誇大な度胸と行動力を手にしてしまった。 殺しは二度としたくはないが、それでも誰かを救いたい気持ちは失っていない。実力は伴っていないが。
「これを持って行って……回復したら……追いつくから」
フォランはそう言いながら、真紅の持ち手のナイフを手渡す。それはかつて、進が彼女らに尋問されたとき、彼の親指に当てられたナイフだ。
「下のスイッチを押せば一度だけ……なぜか一日だけ三秒間は何でも切れる……私の家宝よ」
「分かった、ありがとう」
「無理せず逃げてほしい……でも、もしも止められるのなら……」
悲痛な声をあげるフォラン。ずっと無関係な人間を巻き込ませまいと、進をパーティから外そうとしてきた。だが、追い込まれて頼ってしまった。
ここまで来てはもう仕方がない。本人も逃げるつもりはない。魔力0の青年一人に託すしかない。
「ふぅ……」
進は深呼吸をする。甘さ極まるニオイが不快でたまらない。それでも気持ちを切り替えるために、祖母の言葉を思い出す。
ーー大丈夫、進はきっと特別になれる。
彼は受け取ったナイフとともに、駆け出した。地獄の門へと向かって。
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