C1-11 特別な何か
「へへ、ツいてるな。可愛い子ちゃんが二人か、逆張りしといて良かったぜ」
「!?」
数分かけて戻った進が発見したものは、人相の悪いあの男。進が初めて出会った男だ。再びズキリズキリと左手から苦痛が生じる。それに加えて、恐怖と嫌悪で吐きそうになるのをこらえる 。
——あの二人、逃げられていない。
男は手を親子にかざし、じりじりと近づく。おそらく脅しに何発か魔法を打ったのだろう。親子の背後の木々が切れて倒れている。
切られた木の年輪は大きく、歴史を感じるが、綺麗にぶった斬られている。それほどに男の魔法は強力なのだ。
「私はどうなってもいいわ! この子はまだ十歳にも満たないのよ!」
女の子がずっと震えている。母親のスカートの裾を強く掴んだまま、動くことができずにいる。幼い子供だ、危機的状況に母親から離れらないのは当たり前だ。
少女に一人で逃げ出す勇気があればよいのだが、そう都合よくはいかない。丸い丸い小さな瞳は涙で潤んでいる。
「だから、今ここで大人にしてやればいいんだろ」
「そんな……」
母親は近くにある、硬そうな木の棒を両手で持つ。だが、そんなものでは男に太刀打ちなどできやしない。
相手は名刀以上に鋭い切れ味の、魔法の円盤を飛ばしてくるのだから。それは母親もわかっているようで、震えが止まっていない。
——無理だ、敵うはずがない。
恐怖でいっぱいなのは進も同じだ。自分の左手を切り落とされた相手、誰よりも恐ろしさと拒絶反応を示す。戦う気など毛頭ない。起きない。恐怖は本能に刻まれてしまった。
——でも助かった。あの親子を犠牲にすれば逃げられる。一度は助けたんだ、許されるだろ。そもそも俺にできることなんてない。
進はそんな言い訳とともに、静かにその場を離れようとした。しかし……
——本当にそれでいいのか。
頭の中に声が響く。どうせ今見ているこれは夢か幻想だ。何が魔法だ、ふざけるな。助ける意味なんてない。必死に声を否定する。
——誰かを見捨てていいのか。
仮にこれが現実でも、世の中は弱肉強食だ。対策ができないやつが悪い。悪いはず、それなのに。ただ、ただ……
特別な何かになりたかった
「らあああぁ!!」
「があっ!?」
気付けば、地面にあった石を掴み、残っていた右手で思いっきりなげつけた。それは男の後頭部に直撃し、ガンッと骨と鉱物がぶつかる大きな音を出す。
男は倒れ込み、後頭部の傷口から血が滴り落ちる。部活で鍛えた肩がこんな形で役立つとは。
「逃げろ! 早く!」
「は、はい!」
親子は無我夢中で走りだす。恐怖のせいかあまり速くはなかったが、それでも可能な限り急ぎ、その場から離れる。進は男の状態を確認するために、近くに駆け寄る。
「し、死んだのか? ……」
生死の確認などせず逃げるべきだった。しかし、どうしても気になり、見にきてしまった。
「いってえなぁ……お前かぁ? やったのは?」
「!?」
男はむくりと立ち上がり、こちらを向く、目は血走り焦点はどこにも合っていない。怒りでおかしくなっているのか、はたまた最初から狂っているのか。全身に力が入り、小刻みに震えている。
「殺してやる!」
「ひっ!」
進は全速力で駆け出す。当然男も追う。正しい進行方向など全く分からないが、とにかく走る。細かい枝葉が邪魔をする。加えて、無くした左手によってバランスは不安定だ。
だが、何がなんでも逃げ切らなければ。捕まれば命はない。これだけ怒り狂った男が相手なら、もはや死ぬだけ済むかも分からないが。
「死ね!! 臨終の輪!」
「ひっ!?」
後ろからいくつも光の輪が飛んでくる。当たるわけにはいかない。必死に後ろを振り返り、なんとか軌道だけでも捉えて避ける。だが、完全に避け切れるわけではなく、いくつかの円盤は進の体を掠っていく。
「痛い! 痛い!」
掠った箇所のあちこちから出血する。もう走りたくない、傷口を塞ぎたい。だが、止まれば二度とは治らぬ傷がつくだけだ。傷なんて生易しいものでは済まないが。
「うおわ!!」
走っている最中、地面を這うツタに足が絡み、ずっこける。何回転もして、硬い岩に背中がゴツンとぶつかり、かろうじて止まる。
「いってぇ……」
「お前、俺が左手を切った奴じゃねえか」
相手も進の顔に気づく。懐かしい玩具を見たように喜ぶ男は、進の頭に向かって手をかかげる。遊びはなく、どうやら一発で殺すようだ。弄ばれて殺されるかと思ったが、そんなつもりはないらしい。
急いであの親子を追うつもりだろう。それは止めたいが、岩にぶつかった場所が悪く、まともに体が動かない。
「赤く染まった運命の出会いだな。ちゃんと責任もって最後まで面倒見てやるよ」
最後に聞くであろう言葉は意外と詩的だ。死ねばこの腐っている世界から解放されるのだろうか。だが、やはり、苦しみたくない。死にたくない。
進にはまだまだ、やりたいことはたくさんある。まだ、彼はなにも成し得ていないのだから。
「そうね、赤い赤い運命ね」
「は?」
どこかで聞いた、少女の声が背後から響く。そういえば、前にもこんな場面はあった気がする。
「味わいなさい。M1」
「ぎゃああああああぁ!」
再び見る矢のような炎。手から出たそれは、今度は男を逃さず狙い撃つ。近くにいれば、熱だけで火傷しそうなほどの火力。男はあっという間に、声も出せない炭になる。
「ま、よくここまで逃げたわね」
何かを目指していたわけではない。ただ、比較的走りやすそうな道を選んで走っていただけだ。だが、偶然彼女と再会することができた。
こんなろくでもない世界でも、神様はいるのかもしれない。いるとしても悪戯の度が過ぎているが。
「は、はは……」
苦笑いしてすぐに進は意識を失う。この世界に来てから二度目の気絶だ。
ちなみにM1は火炎放射器のモデル名の一つです。読み方は作者が独自に考えたものですが。




