弘徽殿の女御による悪役令嬢もの『源氏物語』
桐壺の更衣が後宮に入ってきてから、私の立場がなくなってしまいました。
彼女より随分前から、それこそ帝がまだ東宮(皇太子)でいらっしゃった時から、ともに長年過ごした仲ですのに、桐壺の更衣ばかりご寵愛を受けています。一の皇子を産んだ私の立場はどうなるのでしょうか。
彼女の方が身分も低く後ろ盾もないのです。
彼女は大納言の娘、対して私は右大臣の娘。母親は皇家の方ですが、私を差し置いてそのような方を寵愛なさるなど、お父様もきっとお怒りになるはずです。
毎夜毎夜彼女ばかりが帝のところへ呼ばれますので、私もそろそろ耐えられなくなって、帝に御自身の立場を考えてくださるよう頼みました。
「他の更衣や女御の立場も考えていただきたいのです。あなたは彼女だけのものなのではなく、この国のものなのです」
しかし、聞き入れてくださる様子はありません。
「しかしお前、私が愛しているのは彼女なのだ。このような気持ちになったのは初めてである。愛に身分など関係あろうか、いや、ない」
私はため息をつかずにはいられませんでした。
そして今度は桐壺の更衣本人に、少し言ってみることにしました。
「帝はあなただけのものではありません。他の更衣や女御の皆様は、あなたが入内するよりも前から帝に仕え、それによって帝は国の役人との大事な関係を築いているのです」
「ですが、私をお呼びになるのは主上です。私にはどうもできません」
「ならば帝にあなたからもほどほどにするよう伝えてくださいませんか」
「しかし……」
話になりませんでした。今後が思いやられます。唐土(中国)の方では、玄宗皇帝が楊貴妃を溺愛したことで、国が傾いたと、白居易の長恨歌で読んだことがあります。いわゆる傾国の美女、というものでしょうか。確かに桐壺の更衣は美人ですが、だからといって国が傾いては困ります。
そうこうしているうちに、帝が桐壺の更衣を愛している、という噂が、貴族の間中で広まりました。
やはり、他の更衣や女御は、面白くありません。桐壺の更衣の淑景舎は、帝の住む清涼殿からはかなり遠く(といっても最近入内してきたのだから仕方がないのですが)、要は邪魔をし放題というわけです。
私は許可を出した覚えなどなかったのですが、帝から聞くに、どうやら他の更衣や女御の方が、桐壺の更衣に大変酷い虐めをしているようです。
その虐め方、聞くに耐えられません。彼女たちは、桐壺の更衣の通る道の両側を示し合わせて故意に閉じたり、廊下に私の口からは言えないようなものを撒いて、裾を汚したり転ばせたりしていたそうです。
私が桐壺の更衣をよろしく思っていないのは事実ですが、だからといって他の方がそんなことをしていいわけがありません。
それなのに、帝の怒りの矛先は私ばかりです。
「桐壺の更衣をいじめるなど、お前はなんて酷い女なんだ……! これまで私を騙していたのか……!」
勘違いにも程があります。私は虐めた覚えはありません。
しかし、帝は聞き入れてくださいませんでした。どうやら、桐壺の更衣が私に虐められたと帝に泣きついているらしいのです。
そのような覚悟でよく後宮に入れたものです。帝の寵愛を得るために蹴落とし合う女たちの園、それが後宮。切磋琢磨なんて生温いものではないのです。
私は家族からも、生まれた時から帝の中宮になることを期待されていました。幼い頃からはずっと妃教育をされ続け、私の人生では、常に帝のことだけを考えてきました。
私ははっとしました。私の生きる意味とは、妃になるということ以外にはなかったのかもしれません。
桐壺の更衣には、嫉妬するというよりも、羨ましいと感じました。
しばらくして桐壺の更衣は、体調を悪くされてしまいました。ずっと悪口を言われていたので、悪い気がついたのでしょう。実家に帰る頻度が多くなりました。そのような精神力では、いつまでもつのでしょう。可哀想ではありますが、呆れてしまいます。
貴族の間でも噂が絶えず、上達部などの殿上人たちも、避けるように目を背けつつ、楊貴妃の先例を引き合いに出していました。
桐壺の更衣は、帝だけを頼りにしていました。
そんな中、桐壺の更衣が身籠りました。その子どもは、大変美しい男の子でした。
私は嫌な予感がしました。
帝はその男の子をたいそう可愛がりました。私が産んだ一の皇子のことも体面を保つ程度には大事にしてくださいましたが、桐壺の更衣の子に注ぐ愛情の量とは、比べものになりません。
子が産まれてからというもの、更衣への寵愛はますます大きくなったようでした。
「主上、ほどほどにしてください。何度も言っておりますが、あなたには立場があります。桐壺の更衣のことだけでなく、周りを見て行動してくださいませんか」
その頃の帝は、桐壺の更衣の子を次の東宮にしようとしているように見えました。あまりにも非常識で、呆れ果ててしまいます。
東宮とは、次の天皇とは、容姿の美しさだけで選ぶものではありません。愛している方の御子だからといって選ぶものでもありません。
天皇になるには様々な貴族の支えが必要であり、その為には身分と後ろ盾が大事なのです。それを無視した暁には、その子は後々大変苦労するでしょう。
桐壺の更衣の御子が三歳になりました。袴着の行事が行われましたが、私の子どもの時と同じくらい豪華で、どういうつもりなのかと腹立たしく思いました。もちろん帝に対してです。
ええ、ええ、皇子は美しかったですとも。しかし、このようなやり方には世間からの批判が多く、その点をどうお考えなのか、気が知れないというだけなのです。
その年の夏のこと、桐壺の更衣が病気になりました。もともと体が弱かったそうです。それなのに帝は、何故か彼女が実家に帰るのを引き留めました。更衣の容態は案の定日に日に悪くなり、彼女の母親が泣く泣く実家に帰らせました。
帝はやはり御自身の立場がわかっていないようです。桐壺の更衣も、帝に逆らうことはできないのですから。自分が一緒にいたいから引き留めるというのは、いかがなものでしょうか。
何か二人で別れの言葉のようなものを言っているようですが、私は耐えられずにその場から離れました。
桐壺の更衣がお亡くなりになりました。帝の様子は見るに耐えません。沈みに沈んで、公人だというのに、何をしているのでしょうか。
私を含め、女御や更衣を部屋に呼ばれることもありません。帝はやはり勘違いをなさっているようです。愛だとか恋だとかも大事かもしれませんが、それがなくても表面的にやらなければならないことというのはあるのです。
「主上、そろそろ気持ちを切り替えてはどうでしょうか。桐壺の更衣が亡くなられた後までそこまで悲しまれるほど、彼女をご寵愛していたのですね。しかし悲しむのは、すべきことをしてからなのではないでしょうか」
「お前は厳しいなあ……。私の気持ちはわかるまい……」
それならば私の気持ちもわかっていないのでしょう。私が産んだ一の皇子をご覧になった時でさえ、あの桐壺の更衣が産んだ美しい皇子のことを考えているようでした。
政治のほうも疎かになり、中国の楊貴妃の例のようだと言われるばかりです。
段々と、帝への愛着がなくなっていきます。
美しい若君は成長していき、日に日に美しくなっていきます。
藤壺に、新しい妃も入ってきました。桐壺の更衣にそっくりで、帝は彼女を若君とともに溺愛なさいます。
それでも、私には帝の妻であること以外には、なにもありません。一生をこの帝に仕えようという覚悟で今までやってきたのです。
他の方も同じです。皆様、幼い頃からこのためだけに勉強を頑張り、入内できない方もいる中、やっと入れたかと思えば、この有様です。帝のご寵愛などないまま、ただ、一生をこの後宮で過ごしていくのです。
この気持ちが、帝にわかるでしょうか。
私が報われる日は、いつ来るのでしょうか。
弘徽殿の女御は元祖悪役令嬢なのではないでしょうか。ただ、かなり悪者として描かれているので、私もこの辺りまでしか美化はできませんでしたが(笑)。
興味を持たれた方は、原作や現代語訳、漫画などを見て、実際の描かれ方を見てみてください。
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