マリーシ
食堂で穏やかに過ごしている、ジャンとロアナ様を見る。
ほっとした気持ちと、何とも言い難いあえて言えば、無念な気持ちで胸の中がいっぱいになる。
「マリーシェル諦めろ。ロアナ様が望んだことだ」
そう言うとゼルスエールは、悲し気に俯く。
最近、ジャンとロアナ様の仲が急激に進展しているような気がする。
勇者と女神
そう伝わっている建国伝。ただ、その真実はわずかに違う。女神と言われたのは、今は名前すら語ることのできない我らの魔王の姫。こともあろうに人間の男に恋をされた。そこまではいい。だが、それをだしに、人間は、魔族との戦いが有利に進むように、姫君に前線の闘いを強いた。魔族は、この世界に生きる上で、魔王を通じて、魔力……すなわち生きるための力を供給されている。その魔王の姫君に槍を向けるなどできようはずもなく、我らは、未だ人が到達していない場所まで後退し、この大陸の覇権は、人間が握ることになった。
「……俺も口惜しい」
ゼルスエールが、下唇をかんでいるのがわかる。あの二人は、あの人間の男と我が魔族の姫。その生まれ変わり。だが、どう転んでも、我々が、手出しなどできようはずもない。
一時的に、会話が途切れた。そのすきに、マリーシェルは、ジャンを追い出すべく、行動を起こす。いつものようにドアが開いて、ジャンが出ていく。そんな時だった。
懐かしい香りが、食堂の中に入り込んだ。
気が付かないふりをしながら、ロアナ様の横を通り過ぎ、厨房に入る。
「マリーシェル。今のは」
どうやらゼルスエールも気が付いたらしい。
「どうやら、病魔の残り香みたいだね?」
魔族の使用する道具である、この病魔の残り香は、瓶に封じた弱い病魔から発する特殊な香りを使用し、対象をリラックス効果とデトックス効果を発生させる道具だった。
ただ、それは、あくまで魔族に対しての効果であり、魔族の中では、家でゆっくりする時に使う芳香剤くらいの効果しかないそれは、魔力の量が少ない人間には、その効果を最大限に発揮し強烈な倦怠感と高熱というまるで病魔にとりつかれてしまうような武器され、脅威とされていた。
おそらく、前の闘いで接収した陣地に残されていたものを人間が回収したのだろう。
「何でこんなにおいがこんなところでするんだろうね?」
私が発した問いに、ゼルスエールは、さあッというように首を傾げた。
「残っている瓶を誰かが持っていたということだろう。人間同士の争いに、我々が気にすることなどない。
……そう言えば、マリーシェル聞いたか?女神の聖女とやらが出たらしい。姫様の聖女か。人間の世界は、いったいどうなってやがるんだ?」
ゼルスエールの笑い話を聞きながら、ロアナ様の食事の進み具合を気にする。しきりに、ジャンの出ていったドアを気にしていらっしゃる。
もし、ジャンとの距離がもっと縮まり、ジャンにより、ロアナ様の心が絆されのならば、魔族としては悲しいけれど、ロアナ様の幸せのために、それは仕方がないことと割り切ることにしている。あの時、姫君を止めることができなかった我々と違い、心をつかみ、どんな目にあっても人間を信じ続けた姫様を作った、あの人間の子孫であれば、今の姫様の心をつかむなど、なんの他愛もないのかもしれない。
『マリーシェル、ゼルスエール。人間に恋をしてしまった私を赦してください』
姫様は、そう言って去り、そして、魔族として最も重要な魔力をすべて奪われ、何も語らない躯として送り返されてきた。我々の元に帰ってこられた。美しく貴き、あなた様を、私達は今でも、お慕いしています。
だから、お願いです。女神様、奇蹟を起こしてください。この儀式が失敗に終わり、我らの元に姫様がお戻りになられます様に。
ああ、神様。お願いいたします。私たちに姫様をお返しください。