第二話 魔王様
ブラックオーウェン領土の最果てにある魔王城。そこにサラの姿はあった。
『まず魔王様に会いに行こう。あの方を欺いて隠し続けるのは不可能だ。……赤子のお前には分からんだろうがな』
『あぅぅ』
“いえ、分かりますよ。最強の魔王様ですもんね”と、心の中で返事をしたのは何日前だっただろうか。サラはぼんやりとしたまま布に包まれて揺れる。
ここまで来るのに、数日走り続けているローガスはまだ元気なようだが、サラは今にも吐きそうであった。移動中、荷物のようにブラブラと揺らされ続け、すっかり乗り物酔い状態に陥っていたからである。何度意識を飛ばしたか分からないが、気付けば玉座の広間に着いていたのであった。
広間には様々な魔族が集まり、その視線からは歓迎されていない雰囲気が漂い、ひそひそと話す声が聞こえてくる。
(……騒がしいし、ジロジロ見られてるけど、今はそれどころじゃーーうぷっ)
体を包む布の間から両手を出す事に成功したものの、口元を覆うのが精一杯で、込み上がるモノが出ないように必死に耐えた。
「……それがゼーレの娘か」
「はっ」
「!」
低い声色が聞こえ、サラの体が硬直する。誰の発言かは周りを見れば一目瞭然であり、ざわめいていた魔族達は一瞬にして口を閉ざしていた。
おまけにローガスは差し出すように、手前の床にサラを下ろして素早くひざまづいたのだ。
(……見ない見ない。私は今、久しぶりに床で寝るつもりだから。……吐きそうだし)
何日かぶりの床の上で、ようやく身体を休める事が出来るなぁ……と、玉座に座る男の存在を拒否しながら、現実逃避で眠ろうと目を閉じる。
「……」
「……」
(え、何、この沈黙は……)
薄く片目を開けてチラリとローガスを見たが、相変わらずの状態で、頭を下げたまま動いていない。
そんな沈黙に周りの魔族達からの視線も痛いほど感じる。
……結果は分かりきっているのに、このまま寝ちゃダメなのか。サラは心の中で愚痴をこぼしたが、結局いたたまれずに視線を玉座に移した。
「……ふっ」
「!?」
“カチリ”と歯車が噛み合うように、深緑の瞳と視線が交わった瞬間、男の口元が弧を描く。
20代半ばにも見える若々しい顔立ちで、玉座に長い足を組んで座り、片手で頬杖をついたままこちらをじっと見つめていた。
「似てないな」
男はそう言うと立ち上がり、瞬きをした瞬間には傍に現れ、顔を覗き込む。見下ろしてくるその表情は、面白いモノでも見つけたように輝いていた。
“嫌な予感がする”そんな事を思って眉をひそめると、男の肩に引っ掛かかっていた長い黒髪の束が、サラの顔面を覆うようにバサリと落ちた。
「ぶふっ!」
「おっと、すまないな」
必死に頭を振ってみたり、手をバタつかせても一向に状況は変わらない。しかも、謝っていながら男には退かす気はさらさらないらしい。
(あ、まずい……ちょっ……うっ)
サラはバタつきを止め、微かにプルプル震えながら髪の束を抱えて横を向く。
「ん?」
突然動きを止めた為、魔王は首を傾げる。
「……魔王様、赤子相手に遊ぶのはお止めください」
「はははっ、少しやり過ぎたか」
玉座の傍に控えていた従者らしき人が呆れたように言い、ようやく髪が退けられそうになった時だった。
「ケロロロロ」
「ぎゃーー!! 魔王様の御髪がーー!!」
サラは限界を迎え、艶やかな黒髪に余すことなく吐き出す。従者の叫びと、唖然とした表情のローガス。
「きゃはっ!」
スッキリしたサラには、その後の事などどうでもよかった。実に清々しい表情で魔王に笑いかける。
「……間違いなく、シルヴェスターの血だな。実に、よく似ているようだ」
「も、申し訳ありません……」
城のメイド達が水の入った桶を持ち出し、あたふたと汚れた髪に群がる。
怒ることなく楽しそうにサラの横で笑う魔王を見て、ローガスは深々と頭を下げたのだった。
………………。
…………。
……。
身なりを整えられ、玉座に座り直した魔王は、悩ましげな表情を浮かべる。
「さて、どうするか……シルヴェスターの一族ではあるが、人間の血が混ざっている事で暗殺の心配もある。……俺が預かるか?」
「なりません!」
直ぐ様従者が反応すると、辺りの魔族からも賛成しかねる言葉が溢れる。
「ゼーレ・シルヴェスターは、魔王様を御守りする四魔貴族の一人でありながら、敵の女に絆された裏切り者ですぞ!」
「そうです! そんな禁忌の子供を生かすだけではなく傍に置くなど!」
サラの存在を徹底的に非難する魔族達のテンションはますます上がり、魔王の表情から感情が消えた事にも気付かない。
(魔王様の顔が! そしてもう一人、この人も……)
サラが冷や汗を流しながら、ソワソワと見上げる。
「魔族の恥は直ぐ様殺してーーーー……」
「なんだと!?」
広間の端まで届くような咆哮が、殺気を帯びて辺りに響ぎ、それと同時に重圧感が満ちる。魔族達は一斉に床に倒れて起き上がれなくなり、苦しみにあえぎ始めた。
「同じく四魔貴族、ローガス・ヴォルガを前にして、よくもそんな事が言えたな! サラに何かしてみろっ……全員切り裂いてやる!」
「ぐああっ! お許しをーー!」
更に圧がかかるが、魔王は一つため息をこぼす。
「やめろ、ローガス。お前がサラを殺しかけてどうする」
「あぶぶぶぶっ……」
広間を覆う圧は当然サラにもかかり、耐性のない赤子には三途の川が見えかける事態であった。
「サラ! すまない!」
ローガスが白目を向いて泡を吹くサラを慌てて抱き上げ、魔王が指示したメイドに差し出すと、緑色の光に包まれた。
(……はっ!? し、死にかけた……川の向こうで知らないお婆さんが手招きしてた……)
げっそりとした表情のサラを横目に、魔王は魔族達に広間から出るように指示を出す。
「サラは殺さない。俺の判断が気に入らないなら、力ずくで魔王の座を奪うがいい。まぁ、その前にローガスに殺されたくなくば大人しく出ていけ」
魔王の鋭い眼光に従者やメイドも含め、誰一人反論せず出ていき、その場には三人だけになる。
「ゼーレはお前にサラを託したんだろう、どうしたいんだ?」
「はっ! お許し頂けるなら、四魔貴族及びウェアウルフ隊の隊長を辞任したく。サラが成長するまでは、人間と魔族の境界の森に生きる許可を頂きたい」
「……四魔貴族辞任は却下だ。ゼーレの枠も空くのに、お前の代わりの魔族などいない」
いきなりの却下で、遠くから見ても分かるくらいローガスの耳としっぽが垂れ下がる。
「とりあえず保留だ。あの放浪癖があるゼーレの弟が見つかったら考える」
「はい……」
「隊長の件は副隊長を自分で説得するがいい。境界の森は許可する。ここより、安全かもしれないからな……ただし、定期的に報告しろ」
「……はっ、承知致しました」
話はそれで終わりのようで、ローガスはサラを片腕に抱え、魔王に背を向ける。
広間から出る時に五、六歳くらいの男の子とすれ違ったが、二人は軽く会釈してすれ違った。
「……」
「ジーキス」
「……お呼びでしょうか、父上ーーーー……」
ガコンと音をたてて広間の扉が閉まり、それ以上の会話は聞こえなくなった。
(あれは、魔王様の息子だったのか……に、しても……)
サラは呆れながらもローガスを見上げる。
「どうやってアイツを説得するか……子育てと言えば、先に結婚だのツッコミが……」
落ち着いた生活をするにはしばらく時間がかかりそうだと、サラはまた一つため息をついた。




