表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
私の警察人生は、本日をもって詰みました。  作者: 小森日和
最終章 私がやるべきこと
34/35

最終話 忘れ物

 突然の生田係長の娘さんの登場に力が抜けてしまった。けど、すぐに立ち上がり、そして視界の先に頭を下げる遠藤の姿に気づいた。


 ――まさか、本人を連れてくるなんて


 嬉しい気持ちと戸惑いが交差する中、私は生田係長の娘さん、七海ちゃんの手を引いて歩きだした。


「これから何をするか聞いてる?」


「大丈夫です。ありったけの気持ちで、パパにガツンと言ってこいと言われてます」


 生田係長に似た強気な口調に、おかしくて笑みがこぼれた。


「係長!」


 アパートの階段を上っていた生田係長の足が止まり、後ろにいた林巡査部長と東田が振り返る。遺体を見ても驚かないような二人が、口を開けたまま固まっているのが妙におかしかった。


 ただ、それ以上におかしかったのは、目を見開いたまま鼻水垂らして固まっている生田係長の顔だった。


「行ってあげて」


 七海ちゃんの手を離し、目で合図を送る。七海ちゃんは小さく頷くと、ぎこちない足取りだけど、目しか動かせない二人の間を堂々と歩いていった。


「パパ、何してるの?」


 七海ちゃんが話しかけたというのに、生田係長は「あ、あ」と小さく繰り返すだけだった。


「パパ、大丈夫? 七海だよ。七海が帰ってきたんだけど」


 呆れたようにため息をつく七海ちゃん。その言葉を聞いた生田係長は、ようやく現実だと気づいたのか、ふらつく足取りで七海ちゃんの前に立った。


「パパ、ただいま」


 七海ちゃんがゆっくりと生田係長の手を握りしめ、満面の笑顔を見せた。


「八年も待たせちゃったけど、七海、ちゃんと帰ってきたよ」


 七海ちゃんが照れくさそうに伝えた瞬間、生田係長の体が崩れ落ちた。七海ちゃんの手を握り返し、最初は声を殺していたみたいだけど、やがて抑えきれない想いを表すかのように、生田係長は声を上げて泣き続けた。


 八年前、忽然と姿を消した七海ちゃんの帰りを待ちながら、全てを捨てて行方を探し続けていた生田係長。色々あったけど、今やっと、七海ちゃんの帰りを迎え入れることができて、私も嬉しくてもらい泣きしてしまった。


「七海、おかえり。何もしてやれない、ダメな父親で悪かったな」


 よろけながら立ち上がった生田係長に、八年分の想いを寄せるかのように七海ちゃんがそっと抱きついた。


 七海ちゃんを受け止めた生田係長が、初めて親の顔になっているのを見たような気がして、なんだか似合わなくて笑えてしまった。


 二人ができた溝を埋めている間、私は目を擦って遠藤のもとに向かった。


「行かなくていいんですか?」


 赤い目をした遠藤に尋ねると、遠藤はぎこちない笑顔を浮かべて首を横に振った。


「いいんです。私たちはもう終わったのですから」


「でも」


 拒絶する遠藤に、私はどこか寂しさを感じた。初めて会った時、開口一番聞いてきたのは生田係長のことだった。そう考えると、遠藤の中にまだ決着のつかない気持ちがあるような気がしてならなかった。


「過ちを犯しただけなんです」


「え?」


「周囲が大反対する中、好きになってはいけない人を、本気で好きになってしまった馬鹿な女がいただけのことなんです」


 うっすらと涙を浮かべていた遠藤の瞳から、一粒の涙が流れ落ちた。それが後悔の涙なのかは私には正直わからなかったけど、生田係長を本気で想っていたことだけはわかった。


 遠藤から戻ってあげてくださいと促され、私は深く頭を下げて生田係長たちのもとに戻った。


「あ、そうだ」


 既に再会の喜びは和やかなムードとなり、締まりのない顔で笑っていた生田係長へ、七海ちゃんが小さな紙袋を差し出した。


「パパ、忘れ物だよ」


 七海ちゃんが生田係長に手渡しながら、そう説明する。思い当たるものがないのか、生田係長は首を傾げながらも紙袋を開けた。


「遊園地に行く約束してたのを覚えてる? パパは仕事で来れなかったから、お土産買ってたんだよ」


 七海ちゃんの説明を聞きながら、生田係長が中身を取り出した。中身は、猫のキャラクターをマスコットにしたキーホルダーだった。


 ――て、漫画みたいになってるんですけど


 キーホルダーをまじまじと見つめた生田係長が、両目から滝のような涙を流し始めた。その姿から、いつもの馬鹿さ加減が伝わってきたことで、なんだか少しホッとした。


「パパ、また会えるよね?」


 名残惜しむような声で七海ちゃんが尋ねると、生田係長は黙って頷いた。


「いつでも遊びに来なさい。パパは警察の偉い刑事をしてるから、誰に聞いても案内してくれるよ」


 大袈裟に笑いながら、生田係長が意味深な視線で同意を求めてきた。


 ――もう、偉いじゃなくてエロいの間違いでしょうが!


 内心毒づきながらも、仕方なく、林巡査部長、東田と同じようにひきつる顔で頷いてやった。


「じゃあ行くね」


「七海、ありがとな。気をつけて帰るんだぞ。何かあったらすぐに連絡しなさい。令状なしでも逮捕してやるからな。それと――」


「もう、小学生じゃないんだから」


 七海ちゃんが呆れた顔でため息をつくと、生田係長が困ったように頭をかいた。


「また、遊びに来るね」


 一瞬の間があった後、七海ちゃんが手を振って背を向けた。最後まで笑顔を絶やさすにいたいい子だったから、背を向けて歩き出した時に泣いていたことは黙っておこう。


「係長、よかったですね」


 いつまでも七海ちゃんの姿を見送っていた生田係長の隣に立ち、久しぶりに横腹に肘打ちしてやった。


「浅倉、色々と世話になったな」


「いえ、私だけではないです。みんなが係長を心配してくれたおかげです」


 そう答えると、生田係長は目を細めてみんなを見渡し、頭をかきながら「世話になった」と照れくさそうに呟いた。


「じゃ、署に帰るか」


 生田係長の言葉に、普段は言うことをきかないみんなが、初めて「はい!」と茜色に染まった空に声を響かせた。




 七海ちゃんとの再会から一ヶ月が過ぎた。その間、珍しく事件もあまりなく穏やかな日々が続く中、私は雑用に追われながら監察官のことを気にしていた。


 七海ちゃんと生田係長が再会した日から、監察官は姿を見せていなかった。令状なしにガサ入れしようとしたことを監察官がどうするか気になっていたけど、結局、署長が顔を赤くして怒鳴り込んでくることもなかった。


 机を掃除しながら、今は不在のみんなの机を眺めてみる。私から解放されたメロリンは、いつの間にか衣装が変わりつつあったけど、今は大人しく机の上に飾ってあった。東田の机も随分とすっきりしているけど、引き出しの下に競馬新聞が挟めてあることは、見なかったことにしよう。


 ――一番変わったのは、生田係長かな


 裏DVDに占拠されていた机の上は、見事に片付いていた。パソコンの横には、七海ちゃんからもらったキーホルダーが大切に祀られている。ただ、その横にしっかりと風俗雑誌の切れ端が置いてあったから、担当外としてゴミ箱に捨てておいた。


 私はというと、少し早いけど幹部クラスの内示と一緒に、正式に他の署へ捜査一課強行犯係として異動の内示が出た。心配していた生田班も、署長によれば無事生き残ったとのことでホッとしていた。


 掃除を終え、春の気配が色濃くなってきた朝の街並みをブラインド越しに眺める。後一ヶ月で生田班ともお別れだけど、それまでは生田班の一員として頑張ろうと思う。


「浅倉、何やってんだ?」


「へ?」


 不意に声をかけられ、振り向くと既にいつものメンバーが私を不思議そうに見ていた。


「あーー!!」


 呆れたように私を見ていた生田係長が、机に目を落とした瞬間、情けない悲鳴を上げた。


「浅倉、ここにあった俺のコレクション、じゃなかった、内偵資料はどうした?」


「捨てましたけど?」


 当たり前のような口調で答えると、生田係長が小刻みに震えだした。同時に視界の隅で、林巡査部長と東田がそれぞれ隠しているものを調べ始める。生田班の平常運転がいつものように始まった。


「何でだ?」


「担当外ですよね?」


「だからといってお前」


「七海ちゃんに言いつけますよ?」


 一つ増えた生田係長の弱点をつくと、生田係長は燃えつきたように椅子の上で真っ白になった。


「さあ、仕事を始めますよ」


 私はみんなに声をかけ、机の上に相変わらず鎮座する事件書類に目を向けた。


 ――後少しだけど、私も生田班の一員でまだいいですよね?


 事件書類に手を伸ばしながら、相変わらずのエロ馬鹿な生田係長に、そっと心の中で呟いた。



 ~最終章 わたしのやるべきこと 完~


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ