5-4 私のやるべきこと
「係長、行ってしまったね」
三人の間に漂っていた沈黙を破ったのは、何かを悟ったかのような顔をした東田だった。
もちろん、打開策が出たわけではない。長い付き合いの東田だからこそ、生田係長を止めるのは無理だと悟ったのだろう。
「一応私はついていくわ」
「え? だったら私も」
「浅倉は残ってて」
はにかんだ笑顔だったけど、東田がきっぱりと拒絶してきた。
「どうしてですか?」
たまらず理由を問い詰める。仮に無理だとしても、このまま何もせずにいるのは我慢ができなかった。
「あんたには先があるでしょ?」
「え?」
「この件に関わったら、あんたも処分の対象になるよね? そうなったら、あんたの未来に影響が出るでしょ」
少し困ったように笑った東田が、淡々とした口調で説得してきた。そこには嫌味などなくて、私を本気で心配していることが優しく伝わってきた。
「でも、それだと東田さんが」
「私はいいのよ。生田係長には返せないほどの借りがあるからね。私が無理矢理係長をそそのかしたとして、罰ぐらいは一緒に受けようかなと思ってる」
東田は髪をかきあげながら、何かを覚悟するかのような憂いを帯びた瞳を向けてきた。その言葉に触発されたのか、林巡査部長も東田と一緒に行くと笑った。
――私は、どうしたらいい?
一緒に行きたい気持ちはもちろんある。でも、ただ行くだけでは生田班のピンチを救えないこともわかっていた。だから、一緒に罰を受けるのではなく、みんな揃って助かる方法を見つけたい。そんな気持ちの方が強かった。
頭を抱えながら、ふと、生田係長のパソコンに目を向けた。画面にはどこかの駐車場が映っていた。日付からして、声かけ事件の防犯カメラの映像だとわかった。
――え?
画面に目を凝らした瞬間、妙な違和感が襲ってきた。違和感の正体を確かめるためさらに目を凝らして見ると、違和感の正体がはっきりとわかった。
――これって、消されたはずのコンビニの防犯カメラの映像よね
画面に映る看板は、間違いなくコンビニのものだった。
映像を再生して中身を確認してみる。画面にあの日の女の子が現れ、続けて任意同行されてきた男が、女の子に話しかけながら腕を掴んでいるのが映っていた。
――肩を叩いただけじゃないんだ。だから係長は強制わいせつに持ち込もうとしたんだ
画面の映像から、散らばっていた情報がいくつかつながっていった。生田係長はこの映像を見たから、強制わいせつで捜査しようと判断したのだろう。
――でも、一課の聴取にはそんなことは書いてなかった
美奈子の話によれば、男はこんにちはと声をかけて肩を叩いただけになっていた。だとしたら、やっぱり一課は組織ぐるみで隠蔽をしているのだろうか。別件で任意同行されたのがこの男とわかったからこそ、生活安全課ではなく一課に連れてこさせたに違いない。
明白な隠蔽行為。それがわかっていたから、般若は映像を消す前にUSBへコピーし、生田係長に秘密裏に渡したのかもしれない。
――何が組織の人間よ
遠ざかる背中に失意を感じたけど、般若が生田係長のことを思って命令に背いていたことがわかり、なんだか嬉しくなってきた。
――だったら、私もやるべきことをやろう
「えい」と気合いを入れ直し、私はスマホを取り出した。私の持っているもの中で頼れるものといえば、遠藤の存在ぐらいだ。生田係長の元奥さんなら、今の生田係長を止めることができるかもしれない。うまくいけば、娘さんの安否もわかる可能性もある。
もちろん、確証がないことはわかっている。下手なことを言って相手を怒らせたら、どんな仕打ちを受けるかもわからない。でも、あの時、遠藤が何かを言いかけたのを思い出し、私は遠藤にかけてみようと考えた。
――え?
遠藤と出会った時のことを思い出した瞬間、ある場面が強烈な光を伴って鮮明な画像になった。
――ちょっと待って。だとしたら、やっぱり生田係長の娘さんは無事かもしれない
確証のない中で見つけた突破口。それは、いつも生田係長に怒鳴られて見つけるパターンと同じだった。今回も、生田係長に怒鳴られたからこそ、気づけたものだった。
「林巡査部長、東田さん、お願いがあります」
私は二人を呼び寄せて、声かけ事件の記録を調べることをお願いした。
「何か名案が浮かんだのね?」
私の話に、東田が笑みをこぼす。うまくいけば、事件の真相にもたどり着けるかもしれなかっただけに、私は大きく頷いた。
三人で手分けして調べた結果、男の家にガサ入れするのは、男が仕事から帰ってくる午後五時過ぎだと見当がついた。今からだと、およそ六時間の猶予があった。
机の上にある係長が唯一の手がかりとしていたものの中から、USBを手にしてパソコンにセットする。内容は110通報の記録で、明らかに機械を使って変えた声で生田係長を批判するものだった。
――やけに詳しいような気がする
批判する内容が具体的な気がしたけど、それ以上は何も得ることがなく、気持ちを切り替えて別の資料をチェックすることにした。
いくつかの事件記録から、被害者の情報がわかった。被害者は最近まで関東地方に在住しており、S県内に住むようになったのは事件発生の二週間前だった。引っ越してきていきなり事件に巻き込まれたわけだから、母親も大変だっただろう。
――母親?
被害者の母親に同情しながらファイルを閉じようとして手がとまった。脳裏に、公衆電話の前で佇んでいた姿が浮かび、同時に奇妙な違和感を覚えた。
――ひょっとして
私は慌てて事件の記録を頭の中で整理した。
八年前のでっち上げと思われる事件。
今回の声かけ事件。
声かけ事件の被害者の母親。
突然の遠藤の来訪――。
いくつかのキーワードが頭の中で混ざり合い、やがて、ゆっくりと一つの可能性を導き出した。
――確証はないけど、やるしかない!
頭の中に浮かんだ可能性を遠藤にぶつけてみる。どんな結果になるかはわからないけど、それが私の今やるべきことだと強く思えた。