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4-6 取り返しのつかない事態

 翌日、昼前には署に戻る予定だった私に、思いもしない人物から電話があった。おかげで急遽、署の近くにあるファーストフード店に立ち寄ることになった。


 平日の店内に人影は少なく、そのためすぐに電話の主にあたりがついた。


「遅くなりました。浅倉です」


 名刺を取り出しながら、立ち上がった女性に頭を下げる。茶色のコートに身を包んだ女性は、綺麗な黒髪を赤いクリップで纏め、薄い化粧はしているけど、凛とした気品を感じさせる容姿を持って微笑んでいた。


「突然、電話してごめんなさいね」


 遠藤と名乗った女性は、明らかに上流階級の雰囲気を晒しながらも嫌味なく頭を下げた。


 遠藤が電話してきたのは一時間前。知らない番号に首をかしげながらでると、僅かに上擦った声で、生田係長の元妻だと言った。


 会って話がしたいと誘われた。けど、内容には一切触れなかったおかげで、私は悶々としたままこの時を迎えることになった。


「生田は、元気でしょうか?」


 雰囲気には似合わないアイスコーヒーを一口つけた後、遠藤は微笑みながら聞いてきた。


「元気過ぎるくらいです」


 どう答えるべきか迷ったあげくについた言葉にもかかわらず、遠藤は微笑みを笑顔に変えてくれた。


「それで、話とは何でしょうか?」


 わざわざ私を指名したということは、私が生田係長の部下だとわかってのことだろう。電話番号を知ることができたぐらいだから、警察内部につながりがあることは簡単に想像できた。


「実は」


 そよ風のように心地よい笑顔から一転して、遠藤の表情に緊張が走っていくのが見えた。


「実は――」


 言いづらいのか、それとも、話すのに勇気がいるのか。遠藤はなかなか本題に入ろうとしなかった。固く握られた拳から、遠藤が何かしらの決心をしていることだけは伝わってきた。


「再婚、なされたんですね?」


 左の薬指に光るリングを見て、私は進まない話題の打開策として一旦話題をふってみた。


「はい、五年ほど前になります」


 弱い声で答えると同時に、遠藤は指輪を隠すかのように左手をテーブルの下に潜らせた。その仕草からして、私の話題はマイナスでしかなかったと落胆した。


 結局、話は進まないままポップな店内の音楽とは裏腹に、私たちの間だけ暗い空気が漂い続けた。おそらく遠藤の話題は生田係長がらみのはず。最悪、連れ去られたとされる娘さんの話かもしれなかった。


 そうだとしたら、私から探りを入れるのは気が引けた。すでに生田係長とは離婚しているとはいっても元奥さんだ。下手なことは言うことも聞くこともできない。


 そんなアイスコーヒーを無駄に飲むだけの空気を打開したのは、林巡査部長からの電話だった。遠藤に断りを入れ、何事かと思案しながら電話にでる。すぐに珍しく興奮した林巡査部長の声が耳を貫いてきた。


 係長の様子がおかしいから至急帰ってきて欲しい――。


 早口でまくし立てるように用件を告げると、林巡査部長は慌てたように電話を切った。唐突な連絡に嫌な予感を隠しきれないでいると、遠藤がゆっくりと立ち上がった。


「仕事みたいですから失礼しますね」


「あ、いえ」


「いいんですよ。その代わり、またお会いできますか?」


「すみません、話も満足に聞けなくて。次はゆっくりとお話できたらと思います」


 遠藤が頭を下げるのに合わせて、私も頭を下げる。遠藤が何を言いたかったのか気になったけど、私の意識はすでに修羅場の予感しかしない生活安全課の部屋に向いていた。




 林巡査部長からの連絡から五分後、私は突っ込むように署へ戻った。階段を飛ぶようにかけ上がり、二階の廊下を曲がって一課の刑事部屋を通り過ぎる。通りすぎた先で、メガネの監察官が取調室の隣にある部屋に入っていくのが見えた。取調室は、隣接した部屋からマジックミラー越しに様子を伺うことができるようになっている。監察官がそこへ入ったということは、その取調室は誰かが使っていて、その誰かが問題になりそうだった。


 ――猛烈に嫌な予感がするんですけど


 監察官がうろついていることに緊張が走る中、生活安全課のドアを開けると、待ってましたとばかりに林巡査部長が青い顔して詰めよってきた。


「係長は?」


「一課の取調室に行った」


 焦りを含ませた林巡査部長の言葉に、嫌な予感が更に加速していく。監察官が入っていった部屋の隣を廊下に飛び出した林巡査部長が指さしたところで、嫌な予感は現実に変わっていった。


「何があったんですか?」


「地域課員が男を任同してきた。所持品に大量のDVDやらSDカードがあって、それを係長が確認していたら急に怖い顔をして男を取り調べると言い出した」


「取り調べって、何で一課の取調室を使ってるんですか?」


「それが、男を人定したところ、一課に連れてこいと言われたらしいんだ」


「何で一課に――」


 駆け出したくなる気持ちを抑え、早足で歩きながら状況をまとめていく。当初、地域課員は盗撮映像が記録されているのではと疑いを持ち、詳しく調べる為に署へ任同しようとした。けど、人定結果を署に連絡したところ、生活安全課ではなく、なぜか一課に連れていくことになったらしい。


 その話を聞いた生田係長が、勝手に男の所持品であるDVDを抜きとって調べた。DVDは違法アダルトものであり、それを確認した生田係長は豹変して男のもとに行ったということだった。


 何が起きてるのかわからなかった。けど、騒ぎを聞きつけた監察官が生田係長の様子を確認しているとしたら、取り返しのつかない事になることは間違いなかった。


 取調室のドアを焦りながらノックすると同時に、中から生田係長の怒声が聞こえてきた。慌ててドアを開けると、驚いて固まっている捜査員の前で、生田係長が机を蹴りつけて男を恫喝しているところだった。


「ちょっと、係長!」


 想像通りの光景に、私はすかさず生田係長と男の間に入り、生田係長を押し退けた。


「おいおい、姉ちゃんよ、これは任意なんだろ? なのにこんな仕打ちはありかよ」


 間に入った私を助けにきたと思ったらしい。禿げ上がった頭と顔を赤くした五十過ぎの男が、これみよがしに悪態をつき始めた。よれたジャージ姿からして、叩けば埃が出そうな感じだ。けど、だからといって本当に叩くのは許されることではなかった。


「浅倉、どけ!」


 私の登場に、一瞬怯んだ顔を生田係長が見せる。けど、すぐに阿修羅のような顔に戻り、怒声を上げながら男に掴みかかった。


「ちょっと、やめてください」


「言え! あのDVDは誰から仕入れたんだ! それとも、お前が作ったのか!」


 男の胸ぐらを掴み上げながら、生田係長が容赦ない怒声を浴びせ続けた。


「知らねえよ。それに、知っててもお前なんかに口を割るかよ。それより、こんな暴力が許されるのかよ」


 男は生田係長を睨みつけた後、生田係長の腕を払いながら、私に怒りを滲ませた視線を送ってきた。


「お前みたいな奴に、暴力もくそもあるかよ!」


 男の暴言に更にヒートアップした生田係長が、胸ぐらを掴んだまま男を椅子から立ち上がらせた。そして、右拳を振り上げるのを見て、私は咄嗟に男の盾になるように生田係長と男の間に身をねじ込んだ。


 鈍い衝撃が頬を走った。一瞬、視界が揺れた後、わたしは床に倒れこんでいた。


 殴られたと気づいたのは、遅れてやってきた痛みを感じてからだった。といっても、本気で殴られたわけではない。寸でのところで生田係長は力を抜いたみたいだから、どちらかというと、よろけて倒れたというのが正しいかもしれない。


 でも、そんなことはマジックミラー越しに見ているはずの監察官には通用しないだろう。殴り倒される光景は、監察官の目にしっかりと焼きついてるに違いない。


 予想していた通り、取り返しのつかない事になった。私は殴られたことよりも、生田班がどうなるんだろうかと、そればかりを考え続けていた。

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