4-4 生田係長の暴走
署長との話を終え、生活安全課の部屋に戻ったと同時に私は大きくずっこけた。ズイカンがあったこと、署長の雷が落ちたこともどこ吹く風で、生田班のメンバーは相変わらずの平常運転だったからだ。
「何やってんですか!」
呆れた私は、気を取り直してみんなの前に仁王立ちした。
「浅倉、嵐は去ったんだ。硬いこと言わずに楽しくやろうぜ」
「そうそう、難しく考えたら刑事なんかやってられないわよ」
生田係長は裏DVDを手に、東田は競馬新聞に目を落としたまま、気の抜けた声を返してきた。
「ちょっと、署長に怒られたばかりなのに、なんですかその態度は!」
完全に日暮れの気だるいモードに突入した二人に、私は折れそうな心を奮い立たせて詰め寄った。唯一の救いはというと、林巡査部長がメロリンを装着することなく、黙って腕を組んでいることだった。
「係長、東田さん、さすがに怒られたばっかりですよ」
凶悪犯顔に拍車をかけて、林巡査部長が生田係長と東田を睨む。予想外の援護に頬が緩んだけど、よく見ると、被疑者資料の裏に人形に関する雑誌がうっすらと透けて見えた。
「ところで浅倉さん、メロリンのイメージチェンジをしようと思うんだけど――」
「知らねーよ」
予想通りの林巡査部長の言葉を、私はすかさず切り捨てる。生田係長が叱責の声を上げたけど、私は睨み返して黙らせた。
「東田さん、競馬禁止です」
私は心を鬼にして東田に手を差し出した。東田は競馬新聞を胸に抱え込んで駄々をこねたけど、全て没収した。
「林巡査部長、メロリンはしばらく私が預ります」
私の有無を言わせない言葉に、「誘拐、強盗」などと喚いていたけど、私は無視してメロリンを預かった。
「内偵資料だ」
沈んでいく二人を他所に、せっせと片付けに勤しんでいた生田係長が、私の接近に露骨に嫌な顔を向けてきた。
「裏DVDはここの担当じゃありません。諦めてください」
「やだ」
「やだじゃありません」
「いーや」
「子供みたいなこと言わないでください」
「あのな、俺の階級は警部補だぞ」
「お父さんに言いつけますよ」
私の言葉に、生田係長の頬がひきつっていく。さすがの生田係長も、父にはさからえないみたいだ。
――まったく、ここは幼稚園なの?
内心ため息をつきながら、私が最後の抵抗を見せる生田係長の机から裏DVDを取り上げようとした時だった。
『S本部よりシマナガシ署管内』
馬鹿なやりとりは終わりとばかりに、本部から緊急無線が流れてきた。
――もう、島流しじゃないっつうの
あからさまな言い間違いに立腹しながらも、普段より緊張しているような指令室の声に耳をすませた。
『小学一年生の女児より、不審な男に声をかけられ、追いかけられているとの入電中。場所は――』
嫌な事件内容に苛立ちを感じながら、通報場所をメモする。通報は市内のスーパーにある公衆電話からだった。
「係長――」
早く行きますよと生田係長に声をかけようとした瞬間、私は喉を潰されたように声が出せなくなった。
生田係長の顔が真っ青だった。何かにとりつかれたような虚ろな視線は光をなくしていたけど、すぐにゾッとするような怒りの眼差しに変わった。
「行くぞ」
冷えきった生田係長の声が耳に届いた時には、既に生田係長は駆け出していた。そして、その背中を追いかけることを、私は初めて怖いと感じた。
車内には、重苦しい空気しかなかった。尋常ないほど青い顔をした生田係長が、ぶつぶつと独り言を呟いている。何を言ってるのかはわからなかったけど、それを尋ねることはできなかった。
――ななみ?
マイクで警告を呼びかける中、ふと、生田係長の声が大きくなり、確かに聞こえたのは人の名前みたいだった。
――誰? ていうか、めっちゃ怖いんですけど
いつも以上にスピードで走る捜査車両が、さらにエンジンの唸り声を大きくした。もういつ一般車両とぶつかってもおかしくなかったけど、生田係長は虚ろな瞳を前方に向けたまま、容赦なくハンドルを右に左にと回していた。
どんなに急いでも二十分はかかる距離なのに、通報から僅か十分で現着した。夕方のタイムセールがあっているせいか、こじんまりとした駐車場は割りと車も多く、突然サイレンを鳴らして突っ込んできた捜査車両に、買い物客は一様に驚いた顔を見せていた。
「サイレンは鳴らしてろ!」
お店の迷惑を考えて、サイレンを消そうとした私に、生田係長の叱責が飛んできた。
――もう、何なの、一体!
明らかに普段とは違う雰囲気に、私は息が詰まりそうになっていた。理由ぐらいは知りたかったけど、触れてはいけないオーラをビシビシ感じるせいで、結局何も言えずに黙って従うしかなかった。
駐車場を旋回した後、公衆電話の前で母親らしき女性に肩を抱かれた女の子を見つけると、生田係長は通路のど真ん中に車を捨てて、女の子の所へ走っていった。
――ちょっと、いくら緊急といっても、これだと店から苦情がくるのに
ちらりと頭に署長の言葉が過る。とにかく生田班が問題を起こさないようにと言われた以上、クレームになることは避けておきたかった。
仕方なく車を近くのスペースにとめ、先に行った生田係長を追いかける。生田係長は既に女の子と母親らしき女性と接触し、何やら話込んでいた。
「係長、状況はどうですか?」
「大丈夫だ。女の子が公衆電話から110してくれたおかげで、被疑者は逃走したようだ」
ぶっきらぼうに私に答えながらも、「よく電話したね」と、生田係長が女の子の頭を撫でた。その表情からは冷たさが消えていて、私はようやく胸を撫で下ろした。
「浅倉、お前が聴取しろ」
いくら母親がいるとはいっても、相手はまだ小学生の女の子だ。そのことを気遣ってか、生田係長が私の肩を叩いて女の子から距離を取った。
「そこまでだ」
私がノートとペンを取り出したところで、野太い声が聞こえてきた。振り向くと、続々と現れた捜査車両から、刑事一課の腕章を着けた捜査員が降りてきていた。
「生安はすっこんでろ!」
やけに目つきだけは鋭い男が、私の前に立ちはだかった。
「ちょっと、どういう意味ですか?」
「これは誘拐未遂事案だ。担当は一課になるから、生安はお呼びじゃない」
「ちょっと、まだ誘拐と決まったわけじゃありません。むしろ、付け回しなら、生安の担当になります」
頭ごなしに追い出そうとしてきた捜査員に、わたしは腹が立って睨み返した。確かに誘拐なら一課の担当になるけど、ストーカーや付け回しといった犯罪なら、生活安全課の担当になる。
それに、狙われたのは小学生の女の子だ。それだけでも、生活安全課が関与するには十分な理由になる。
「帰って始末書でも書いてろ。一課に反抗してごめんなさいってな」
捜査員が下品に笑いながら、私の肩を押し退けて行く。完全に頭にきた私は、その背中をどついてやろうとしたけど、生田係長の怒声に遮られて、振り上げた拳を下ろすしかなかった。
「帰るぞ」
「え?」
一課の捜査員に文句を言ってくれるかと期待したのに、生田係長はあっさりと身を引いて車に戻っていた。
――何? どういうこと?
事件に関与したがらないのはいつものことだけど、ただ、今回はいつもと違って乗り気に見えただけに、生田係長の引き下がりには納得いかなかった。
――でも
私は悔しさを腹に沈め、生田係長の後を追った。一瞬だけ生田係長が見せた眼差しが、やけに鮮明に頭の中に残っていた。
生田係長が見せた眼差し。
それは敵意を剥き出しにしながらも、冷静に被疑者を捉える、狡猾な冷たい視線でもあった。




