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4-1 いつもの夢といつものメール

 目の前に広がる光景を前にして、生田はこれがいつもの夢だとわかった。目の前にある巨大な観覧車と、歓声があがるジェットコースター。冬の寒さの中にも、春の陽気を含んだような風を頬に受けながら、生田は小学一年生になった娘の七海の手を引いて、多くの来場者で賑わう遊園地内を歩いていた。


 七海の希望だった遊園地。妻と三人で出かけるのも初めてのことだった。事件に追われる日々で犠牲にしてきた家族との時間を取り戻すため、生田は初めて仕事を休んで家族と向き合うことにした。


 花が咲き誇るような七海の笑顔。物静かな妻との会話。そのどれもが鮮明な映像を伴っているというのに、夢の中の生田は笑えずにいた。


 そう、これは夢だった。起きたことを夢に見ているのではなく、本当にただの夢だった。七海が大好きだった猫のキャラクターがイベントをしている遊園地。そこに連れていくと約束した生田だったが、約束の前日の夜にかかってきた緊急連絡が、生田を一変させた。


 生田が担当していた強盗事件の被疑者が、職質を振り切って逃走中との連絡が入り、気がつくと生田は署に向かっていた。


 その後、別件で被疑者を現逮した生田は、七海との約束を気にしながらも、事件処理に没頭した――。


 そう、だからこの夢は、実現しなかった幻でしかなかった。結局、その日は妻と二人で出かけた七海は、その日以降、二度と生田に笑顔を見せることはなかった。


 夢の中で、生田の手に包まれた小さな手がそっと握り返してくる。その温もりも感触もなかったことだというのに、やけにリアルに感じられることが、かえって生田を苦しめた。


 夢の最後は、七海が大好きなキャラクターのキーホルダーを二つ買い、着ぐるみのキャラクターと写真を撮るシーンだ。七海は、ちょっと照れながらも、キャラクターの手を掴み、真っ直ぐ生田を見つめて笑っていた。


 その実現しなかった笑顔が、生田が最後に見た七海の笑顔だった。それは七海が笑わなくなったという意味だけではなく、本当に見ることができなくなったことを意味している。


 七海はこの日から一週間後、学校から帰る途中に忽然と姿を消し、以来、七海の消息は今も不明のままになっていた――。



 七海の笑顔が弾けると同時に、生田は跳ね上がるように身を起こした。真冬の明け方というのに、全身が汗で濡れていた。咳き込むように荒くなった呼吸を落ちつけながら、火花のような頭痛にじっと耐え続けた。


 いつもの夢だというのに、今日はやけにリアルだった。そのため、いつもはすぐに落ち着くはずの鼓動も乱れ打ち続けている。生田は両手で頭を抱えながら、テーブルに置かれた携帯電話が点滅していることに気づくと、力が出ない腕を伸ばして携帯電話を手繰り寄せた。


 八年前から続くやりとり。年に一度だけ、元妻から送られてくるメールを受信する為だけに、婚姻中に使っていた携帯電話は解約せずにいた。


 折り畳み式の携帯電話を開くと、一年に一度のメールが届いていた。その内容を確認すると同時に、七海が行方不明になってこれで九年目を迎えることになり、同時に、この一年間も何の手がかりがないまま過ぎていったことを、嫌でも思い知らされてしまった。


 七海が行方不明になったことについては、当初、誘拐事件として捜査されることになった。七海が行方不明になった直後にかかってきた不審な電話と、不審な男が七海に話しかける姿が防犯カメラに記録されており、警察は現役の刑事の娘を狙った犯行として、特殊捜査班を筆頭に大規模な捜査を展開した。


 しかし、捜査本部が設置されたものの、有力な手がかりもなく捜査は難航していた。犯人と思われる人物から何度か電話がかかってきたものの、身代金の要求もなかった。結局、行方不明になってから三日が過ぎた頃には、不審な電話もピタリとなくなり、以来、今日まで手がかりもないまま月日だけが過ぎていった。


 七海の誘拐事件捜査には、奇妙な点もあった。防犯カメラの映像記録や、犯人と思われる人物からなぜか110番に電話が何度かあったが、その際の通信記録データの紛失を筆頭に、高まる捜査士気とは対称的に、あからさまな捜査ミスが連続していた。


 捜査を撹乱しようとする奴がいる――。生田が疑惑を抱いた時には、捜査本部も異例のスピードで解散となり、七海の誘拐事件は専従捜査班に引き継がれ、キャビネットの中へと押し込められていった。


 そういうわけだから、生田は同じ一課の連中に疑惑を抱いていた。逆恨みは刑事にとっては珍しいことではない。被疑者だけでなく、同じ刑事部屋の人間から恨まれることなど日常茶飯事だった。当時は強行のエースとして我が物顔だった生田を、よく思わない人物がいたとしても不思議ではなかった。


 だから生田は、早すぎる捜査本部の解散にも抗議しなかった。生田に恨みを持つ者が妨害行為をしているのであれば、これ以上手がかりを潰されてはまずいという思いがあったからだ。


 それに――。


 生田は、こみ上げてくる後悔の念に耐えるため、両手で顔を覆い隠した。


 捜査の過程で明らかになった事実として、事件発生前に何度か不審な男が七海に声をかけていたことが判明した。更には、元妻がその件を生田に二度相談したことを証言していた。


 一度目は父親としての生田に。


 二度目は刑事としての生田に。


 しかし、そのどちらに対しても生田は生返事しかしなかったという。元妻は、藁にもすがる気持ちで仕事にしか目が向いていない生田に相談したというのに、生田が返した言葉は「交番の仕事だろ」の一言だったらしい。


 ――あの時話をちゃんと聞いていれば


 沸き上がってきた後悔が、生田の胸を激しく打ちつける。刑事一課強行犯担当という仕事に魅了されていた生田は、いつしか家族の声も届かないほど、仕事に没頭してしまっていた。


 捜査本部の解散と同時に、生田と元妻との間に出来た亀裂は決定的となり、生田は家族を失った。いや、失ったというよりは壊したといってよかった。


 そうした経緯もあり、生田は志願して一課を離れて生活安全課に身を置いた。周りには傷心の療養の為と告げたが、目的は一つだった。


 七海を見つけだす――。


 妨害を免れ、内密に手に入れた手がかり。不審者がコインロッカーに入れていたバックに入っていた一枚のDVDを、こっそり生田は抜き取っていた。さらに、同期にお願いして内密にコピーしておいてもらった通報記録。その二つが、生田を支える唯一の手がかりだった。


 ラベルのないDVDの中身は、かなり特殊なアダルトビデオだった。市販されることはない違法DVDだから、バイヤーとの接点があるはずとにらみ、生田はその筋にあたりをつけて回った。


 さらには、110通報の音声を極秘に解析した結果、ボイスチェンジャーの音声は女性である可能性が高く、イントネーション等からS県内ではなく、関東エリアの人間ではないかとの予測がついた。


 その二つが生田の持つ駒の全てだ。二つの手がかりの先に、必ず被疑者がいることを信じ、そこに七海がいることを願いながら、生田は妨害行為を受けないよう、密かに捜査を続けていた。


 だが――。


 この八年、何の手がかりも得られないまま時間だけが過ぎていった。一年に一度、七海が行方不明になった日に送られてくるメールを読む度に、生田は後悔と不甲斐なさで胸がえぐられる思いに陥った。


 生田は堪えきれなくなり、嗚咽を漏らしなから、握りしめた携帯電話に頭を下げ続けた。


 七海を、返してください――。


 年に一度、元妻から送られてくるメール。その内容は、今年も寸分変わらずいつもと同じだった。


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