3-5 ライバルの誘い
美奈子から電話がかかってきたのは、病院から戻った夜の八時過ぎだった。二人だけで会いたいと言われ、国道沿いにあるファミレスで待ち合わせた。
家族連れで賑わう店内に、先に来ていた美奈子が手招きしているのが見えた。
「急に呼び出して悪かったかな?」
「ううん、大丈夫」
「そっか。それより、お父さんの様子は?」
美奈子の問いに、コップに伸ばした手が止まった。今日、医師に言われた内容は予想外だったからだ。
もうもたないかもしれない――。
予想以上に容体悪化が早く、その為、今夜は母が病院に付き添うことになっていた。
黙った私を気遣ってか、美奈子が「ごめん」と呟いた。
「私ね、あんまりお父さんの記憶がないの」
「どういう意味?」
「お父さんはほとんど家にいなかったし、たまにいても、仏頂面で会話なんてなかったんだ」
脳裏に過る父の姿といえば、仏頂面のまま命令する姿だけだった。当然、遊びに連れていってもらった記憶もなく、私が警察官になったことに対しても、特に反応もなかった。
「よくそれで、お父さんの背中を追いかけて刑事になろうなんて思えたよね?」
「一度だけ、被害者の親族がお父さんに会いに来たんだ」
高校生の時、進路なんか考えていなかった私の前に、父が解決した事件の被害者の親族が会いに来たことがあった。泣きながら父に感謝を告げる親族を、父は黙って受け入れていた。
ただ、その後で一人暗い顔をしていた父が、ぽつりと呟いた言葉が私の心に響いた。
――犯人を逮捕しても、失ったものは元には戻らない
そう呟いた父を思い出す。おそらく父は、ずっと被害者の無念を背負って生きているんだと、その時に強く感じた。そして、そのことがきっかけで、昼夜問わず被害者の無念を少しでも晴らす為に犯人逮捕に取り組む父の背中を、いつしか追いかけるようになっていた。
「浅倉課長らしい話ね。私も一度だけ話をしたことがあるけど、常に被害者のことを忘れるなって、念を押されたっけ」
私の話を聞き終えた美奈子が、目を細めながら父のことを語ってくれた。聞けば、大半の捜査員が父の世話になっているという。
「やっぱ、あんたが羨ましいな。私のお父さんなんて、普通のサラリーマンだし、娘には何も言えない人だったから」
運ばれてきたパフェに歓喜の声を上げながら、美奈子が自分の父親のことを語りだした。
「娘には何も言えないお父さんだったけど、警察官になるって話をした時には、顔を真っ赤にして大反対してきた」
「へぇ、ちょっと意外だね」
「うん。私もね、何で反対するのって、むきになって喧嘩した。今思うと、初めて本気で親子喧嘩したんだなって思うの」
美奈子がパフェを口に運びながら、目を細めて笑った。
「多分、本気で心配してくれたんだと思う。なんだかんだ言っても、お父さんは私を見てくれてるんだって思ったよ」
そこで言葉を区切った美奈子が、スプーンを私に向けてきた。
「浅倉課長も、あんたのこと色々心配していたと思うよ」
美奈子の言葉に、パフェに伸ばした手が止まる。およそありえない言葉に、私は苦笑するしかなかった。
「お父さんは、私なんか心配してないよ」
「そう? ちゃんと見てると思うけど?」
「それはないかな。ていうか、何を根拠にそんなこと言ってるの?」
「だって、父親じゃん。父親が、子供を心配しないなんてありえないよ」
あっけらかんとした口調で語る美奈子に、なぜか私は言い返せなかった。多分それは、父が私を見て心配してくれるという願望のせいかもしれない。
けど、それは現実としてありえなかった。父は、父親である前に刑事だ。刑事としてあり続ける限り、父が家族に目を向けることはないだろう。
「それにさ、あんたお父さんのために捜査してるんでしょ? 嫌いならそんなことしないと思うけど?」
「え? 何で知ってるの?」
いきなりの美奈子の切り込みに、私はつい聞き返してしまった。それは私が捜査をしていることを認めることだった。
「生田係長が、しつこく一課の人に捜査状況を聞いてたから。そんなことするってことは、あんたをフォローするためかなって思ってね」
美奈子から出てきた生田係長の名前に、私は驚いて美奈子を見つめ返した。美奈子は勝ち気な笑みを浮かべたまま、白々しくパフェを口に運んでいた。
「お父さんのこと、好きにはなれないけど、でも、嫌いにもなれないの。こうして刑事になってみてわかったんだ、お父さんの大変さが」
一呼吸置いて、私は胸の内を晒した。勝ち気なライバルなら、私のぐちゃぐちゃな思いも笑って聞いてくれるはず。
「ずっと、壁のように目の前にあると思っていたんだ。これからもずっと、当たり前にいると思ってた。それが急にいなくなるかもって言われて、突然過ぎてどうしていいかわからなくて。しかも、スキャンダルの容疑までかけられて、お父さんの築き上げたものまで崩れていきそうで。だから、何とかしてお父さんの汚名を晴らしたいって思ったの」
そのために一人で調べることにした。そう美奈子に告げると、美奈子は呆れることもなく、なんだか嬉しそうに頷いていた。
「あんたのそういうとこ、嫌いじゃないかな。思い込んだら真っ直ぐなとこ、警察学校の時から変わってないよね」
美奈子が珍しく微笑みながら、更に珍しいことを口にした。
何て返したらいいか迷っていたところに、美奈子に呼び出しがかかった。昼も夜もないのは、一課も生活安全課も同じだ。
「あ、そうそう、今日あんたを呼び出した理由なんだけどさ」
会計を済ませて駐車場に向かうところで、美奈子が神妙な顔で振り返ってきた。
「あんたの顔を見たら、言う必要ないかなって思えた。じゃ、またね」
一方的に告げると、美奈子はいつもの勝ち気な顔に戻って車へと歩いていった。
――もう、勝手なんだから
相変わらずマイペースなライバルにため息をつきながらも、私は少しだけ心が軽くなったことに、美奈子へ素直に感謝した。




