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私の警察人生は、本日をもって詰みました。  作者: 小森日和
第三章 受け継がれるもの
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3-3 謎の電話

 翌日から三日間、有給を取ることにした。本当は働いていた方がよかったのだけど、状況が状況だけに、家族のそばにいなさいという生安課長の勧めに甘えることに決めた。


 東田に軽い引き継ぎをしていたところに、生田係長が怪しげなパッケージのDVDを抱えたまま近づいてきた。


「お父さんの調子はどうだ?」


「はい、今も意識は戻ってません」


 いつもの馬鹿な雰囲気がなかったせいで、私もしんみりと答えてしまった。といっても、私の場合は、父の容体よりも昨日監察官から聞かされた話の方にショックを受けていた。


「大変だろうが、お母さんの側にいてやれ」


 私を気遣ってか、生田係長の声も僅かに重くなる。ただ、その左目だけは、DVDと私とを、忙しなく行ったり来たりしていた。


「あの、係長」


 話は終わりとばかりに立ち去ろうとした生田係長を呼び止める。本当は話すべき内容ではないかもしれないけど、何となく生田係長に聞いてもらいたい衝動があった。


「父は、どんな人でしたか?」


 私の問いに、生田係長が眉間にしわを寄せた。


「あ、いえ、どんな刑事でしたか?」


「何かあったのか?」


 私の問いには答えず、生田係長が間髪容れずに返してきた。そのせいか、私は取り繕うこともできずに、昨日のことを当たり障りなく話した。


「お前のお父さん、浅倉課長は立派な刑事だ。その思いは、今も変わらない」


「でも、こんな事件に巻き込まれ、しかも、監察の人にスキャンダルを疑われてます。そう考えると、父の人生は、父が築き上げてきたものは、一体何だったんだろうなって思うんです」


 生田係長の言葉に、つい本音が漏れる。厳格で絶対だった父の面影が、たった一つの疑惑で崩れ去ろうとしていることに、私はなんとも言えない哀しみを感じていた。


「浅倉、お父さんに憧れて刑事になったんだよな?」


「はい。ただ、刑事としての父は尊敬できますけど、親としての父は、今も好きにはなれません」


「なぜだ?」


「自分勝手と言いますか、自分が絶対の人でしたから。兄もそのせいで家を出ていきました」


 そこで言葉に詰まった私は、続く言葉を失った。本当なら話すべきでない家庭の事情を話したのは、色んなことで混乱しているからかもしれない。


「まあ、家のことはわからないが、ただ、刑事としての浅倉さんは本当に立派な方だということは間違いないからな」


 生田係長が滅多に見せない真顔で、珍しく私を励ましてきた。その抱えているものとのギャップがおかしくて、胸のモヤモヤが少しだけ晴れるのを感じた。


「その抱えているものがなかったら、説得力あったんですけどね」


 話をしたことで少しだけ心が軽くなった気がした私は、いつものように生田係長にツッコミを入れる。生田係長は心外といった表情で、「これは捜査資料だ」と力説してきた。


 そんな、いつもと変わらない生活安全課ともしばらくの別れだ。ふらふらとしていた気持ちも、今はっきりと決まった。


 ――父の汚名を晴らす。


 そう決心した私は、愉快なメンバーに頭を下げて、生活安全課の部屋を後にした。




 父の存在を示すかのようなどっしりとした二階建ての家に帰ると、意外なことに兄が家にいた。スーツ姿ということは、仕事の途中に寄ったのだろう。


 ゆったりとしたリビングにいた兄が、私を見るなり昨日のことを謝ってきた。どうやら一晩寝て、兄も幾分心の整理がついたみたいだ。


「ここ、色んな人が来てたよな」


 母が持ってきたお茶を二人で手にしながら、父が好んでいた和室の部屋をぼんやりと見つめた。八畳ほどの広さの和室には、よく父を慕っていた人が集まっては、捜査のイロハや相談事を語りあっていた。


「色んな警察の人が来る度に、お前も親父のようになれって言われるのがたまらなく嫌だった。あんな堅物のどこがいいんだって、本気で警察の人たちを馬鹿にしてたよ」


「その気持ち、よくわかるなあ」


 兄の言葉に、私は深く同意した。沢山の刑事たちに囲まれている父を見ると、無性に腹が立った。赤の他人の意見や相談は聞くのに、私の話は聞いてくれないことに対して、最後は呆れ果てていた。


「でもな、俺は美香が何となく親父の背中を追いかける気がしてた」


「え? そうなの?」


「ああ。まあ、何と言うか、親父は曲がったことが大嫌いだろ? それは美香も同じだから、どっかで共鳴するんじゃないかってな。俺にはそういう感覚がないから、多分親父みたいにはなれないだろうなって思っていた」


 兄が目を細めて無人の和室を眺めている。その視線が何を捉えているのかはわからなかったけど、兄なりに、父との確執に向き合おとしているのかもしれない。


 他愛もない話を交わして、兄は仕事に戻っていった。入れ替わるようにお茶を手にした母が、いつもの笑顔で私の隣に座った。


「お母さん、お父さんのことで聞きたいんだけど」


 さりげなく話題をふったつもりだったけど、さすがは警察官の妻だけに、母の表情から笑顔が消えた。


「最近、お父さんに変わった様子はなかった?」


「どうしたの? 急に」


 構わず問いかけた私に、母が探るような口調で聞き返してきた。


「事件が事件なだけに、ちょっと調べてみたいの」


 有給を取ったのも、半分はそのつもりだった。父の汚名を晴らすと決めた今、欲しいのは身近にいた母の情報だ。


「それは、刑事として? それとも娘として?」


「両方かな」


 母の問いに、私は笑って答えた。刑事としては犯人を、娘としては父の汚名を晴らしたい。そんな気持ちを視線に込めた。


「変わったことと言ってもねぇ。あ、そういえば、うちにもオレオレ詐欺の電話がかかってきたの。あ、今は特殊詐欺って言うのかな? お父さんに対応してもらったけど、かなりきつい説教をしていたよ」


 なぜか嬉しそうに語る母に、私は電話の相手を気の毒に思った。よりにもよって刑事の家に電話するとは、詐欺犯も運の尽きとしかいえなかった。


「それ以外は、しばらくして若い女性から電話がかかってきたぐらいかな」


 首を傾げながら、母がゆっくりとお茶を口にする。若い女性という言葉に、胸が僅かに高鳴った。


「用件は何だったの?」


「事件のことで話がしたいって言われたんだけど、何の事件かはわからなかった。面倒だったからお父さんに代わってもらったの」


 電話を受けた父は、珍しく話し込んでいたという。今にして思えば、父は電話の内容を母にそれとなく隠そうとしていたかもしれないと、母は苦笑いを浮かべた。


「その後は、お父さんは自分の携帯電話でやりとりしてたから、どうなったかはわからないのよね」


 母は父のやることに対して口を出すことはない。特に、仕事に関してはほとんどノータッチだ。それは、父が家庭を母に任せたように、母もまた、父を信頼している証だった。


 父が携帯でやりとりしているなら、記録が残っているはず。ただ、その携帯も任意という名の強制で捜査本部の手の中にある。


 としたら、相手の電話番号がわかれば、照会という形ですぐに身元は判明する――。


 けど、そこまで考えて私の思考は停止した。携帯電話を捜査本部が手にしているなら、被疑者のあたりはもうついてるはず。だとしたら、監察官にもその情報はいっているだろう。けど、昨日の監察官の様子からしたら、被疑者のあたりがついているようには見えなかった。


 ――番号から相手にたどり着けなかった?


 電話番号から相手を特定できないケースは珍しくない。以前より少なくなったとはいえ、今でも飛ばしの携帯は存在する。偽装した身分証明で手にしたプリペイド式携帯電話や、借金に苦しむ債務者を利用して手にした携帯電話など、手段はいくらでもある。そんなケースでは、被疑者にたどり着くのは容易ではない。


 そうなると、問題はそうした携帯を手にしているような女と父との間に、一体何があったのかということになる。自分の携帯でやりとりしているあたり、周りに知られないように一人で解決しようとした感じもある。


 その手段が現金二百万だとしたら、およそ刑事としては誉められたものではない。むしろ非難される方法だ。


 けど、父はその方法を選択した。とても厳格な刑事の姿からは想像できないけど、そうまでして解決したかったトラブルとは、一体なんだろうか。


 スキャンダル――。


 父を覆う黒い影が色濃くなりそうになるのを、私は必死で頭を振りながら否定し続けた。




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