笑われない道化師
アスターとリヴリー
「アスター」
呼ばれたので振り向くと、存外近くに、銀の髪をした少年ーーリヴリーが立っていた。
ぎょっとして少し目を見張る。
確かにぼうっとしていた事は認めるけれど、人の気配に気付かぬ程考え込んでいた訳ではなかった。
身を沈めていたソファーから僅かに腰を浮かせ、どうしたのかと彼に尋ねると、リヴリーは綺麗に結われた三つ編みを背に垂らしたままとくに何を言うわけでもなく、うん、と頷くのみ。それは果たしてこちらの問い掛けに答えたのか、自身の中の何かに得心したのか。
「……それ……」
「え?」
「その腰のやつ、なに?」
おもむろに口を開いた彼の視線の先を注意深く辿ると、どうやらアスターの腰に携えられたものに向かっているようだった。
ああ、とようやく合点がいく。
「軍刀の事かい?」
「……グントー?」
「軍人だけに支給される刀の事だよ。特にこの刀は、将校しか持つのを許されていないんだ」
「カタナ……それ、ナイフみたいなもの?」
「あ……そうか、刀が分からないか……。そう、ナイフを長くしたようなものの事だよ」
危ないので渡しはしないが、立ち上がって、軍刀を少年に差し出してやる。
アスターに授けられたそれは、ぬらりと漆黒につやめく刀身が美しい業物だ。鞘もまた刀身と同じく漆黒に塗り込められ、金の細工があしらわれている。もっと階級が高くなるとともすれば装飾過美とでも言えるようなとてもじゃないが実戦には使えない代物になってくるが、もともと軍刀は儀礼的な意味しか持たないものであるから、まあそれでも構わないのだろう。
実際にこれで人を斬るアスターは、例外だが。
「じゃあ、グントーは、ころすための道具だ」
ぴくりとも表情が動かない少年は、事も無げにそんなことを言いながら、つつ、と鞘を指で辿った。
その目には、愉悦も恐怖も嫌悪もない。
「……そう、だね。そういう事になるかな」
「なにを?」
「え?」
「なにを、ころすの?」
真っ直ぐに見つめられて、一瞬、答えに詰まった。
アスターは自分の行いを恥じた事などないけれど、子どもに対して嬉々として聞かせるような話ではないというのは、一人の大人としてちゃんと理解していた。
彼にどう伝えるのが適切なのか。暫く思案してから、重たく口を開く。
「ええと……そうだね。私は、政府にとって脅威となるものを斬ってきたつもりだけれど」
「キョウイ……」
「あっ、て、敵という事だよ」
慌てて付け足すと、ああ、とリヴリーが頷いた。
ものすごく濁した物言いをしてしまったが、一応は彼を納得させる回答になったらしい。内心ほっと息をつく。
この幼い子どもは、一体どこまでを知っていて、どこまでを知らないのか。
それをいつも図りかねて、アスターは困ってしまう。まるで幼子として扱うには大人すぎて、大人として扱うには幼すぎる。知っている言葉もまちまちで、体と精神の関係もアンバランスだ。
いびつだ、と、そう言ってしまえばそれまでだけれど。
「じゃあ、カタナは、テキをころすためにつくられたんだ」
「……そう、なるかな」
「それなら」
再び軍刀に落とされた彼の視線は、ゆるゆると鞘の上を行ったり来たりしていた。
そうして、ぽつりと零す。今日の夕飯は何だろう、と呟くのと変わらぬ穏やかさで。
「それなら……おれは、なにをころすためにつくられたんだろう」
ただ、淡々と。
息が詰まったように感じたのは、一瞬だった。
リヴリーは相変わらず眠たげにしていて、特に変わった様子は見受けられない。本当に、世間話のような他愛なさだ。
彼にとって今の疑問は、おそらく口調と違わず大した意味を持たないのだろう。ふと浮かんだから口にした、それだけの話。
けれど、アスターは知っていた。
リヴリー・ドーラは兵器であると。
彼が実際になにかを殺す目的でつくられた存在だと知っていたから、他意のないその疑問を、子どもの妙な戯言と捨て置けなかった。
たとえもともとはただの人間だったとしても、今の彼は、もうただの人間ではない。
何と返答すれば良いものか、困ってしまう。
ただ事実を告げる事は、彼の存在意義がこの軍刀とさして変わらないのだと言う事とほぼ同義だった。
言ったところで彼は傷つかないかもしれない。けれども、こんな少年に、言っていいことだろうか。
「……あ。アシェアがよんでる、いかなきゃ」
庭先から、ここの家主である少女がリヴリーを呼ぶ声が聞こえた。
それを聞くや否や、彼は三つ編みを翻してぱたぱたと階段の方へ走っていく。
「り、リヴリー君っ」
その背中を見て、アスターは思わず、言葉を用意するよりも先に彼を呼び止めていた。どうしてかは、よく分からない。
「……なに?」
「あ、いや、あの……」
振り返った怪訝そうな無表情に見据えられて、どうするべきか迷った。
言いたい事も分からずに、延ばした手だけが宙をさまよう。
リヴリーは、しどろもどろになるアスターを小首を傾げながらじっと見つめ、それからぎゅっと、なんの前触れもなくアスターの手を握った。
そして、相変わらず眠たげな目をしたまま一言。
「アスターもいこうよ」
「えっ」
イエスもノーも言わぬ内に、驚くほど強い力で引っ張られて、一緒に階段を駆け降りる。
掴まれた手のひらはあたたかく、確かに彼が生きているのだとアスターに知らせた。
リヴリーはモノではない。ただの兵器でも、ない。
それでも。
それでも自分は、命令さえあれば彼を"壊す"のだろう、と。
この手のあたたかさと同じくらいの確実さでそう思うアスターは、やはり、どうしようもなく軍人だった。
それが悲しいことなのかどうか、まだアスターには判じかねる。
判じかねねば、ならなかった。
笑われない道化師
(ーーーその存在意義とは)