(9)
ケイがそんな自分の行為に対する羞恥に悶える夜を過ごす羽目になっていた一方で、エマもまた一風変わった感情を抱くこととなっていた。
扉の前でケイに声を掛けたのちにエマもまた自室へと戻っていくが、その心中はかなり揺れ動いていたと言って間違いないだろう。
「(うぅ……私一体何を……)」
ケイがいきなり近づいてきたり手を握ってきたりするものだからそれにつられて言葉が手でしまったものの思い返せばとんでもないことを言ってしまっていたような気がする。
「(ふつつかものって……それって……)」
エマの記憶が確かならばその言葉は夢物語の中に出てくるヒロインが思い焦がれる相手に向かって言う言葉だったような気がする。
「(ど、どうしましょう……)」
ケイもエマ自身も知らない事だがエマはこれまで温室のような環境で育てられてきているのでその常識は一般的な部分とはかなり違った部分があったりする。
具体的にはその言葉をそのままの意味で本気で捉えてしまっている。
もちろんケイからしてみればその言葉は言葉の綾でありエマが思っているほど深刻な状態ではないのだが、この時のエマは人生を左右するほどの出来事があったと完全に思い込んでしまっていた。
しかもその言葉は自分が言おうと思って言ったのではなくケイの言葉と態度に当てられて自分から無意識のうちに零れてしまったものであった。
エマにとってこれほど動揺させられる状況はない。
今までに緊張などで感じた物とは全く異なる心臓の鼓動を感じながらエマはようやく自室へとたどり着く。
住み込みの職員の部屋は施設の中央部分に存在している。
職員の生活スペースを中心としてその周囲に勤務スペースがあり、子供たちの生活しているスペースが四方に伸びるように作られている。
職員同士が別のエリアにもすぐに移動できるように効率性を考えた結果、この形状に落ち着いたのだと言う。
もともと住み込みの職員の数は少ないという事もあって個室の場所は一角に固められている、もちろん男女が隣り合うような配置にはなっていないが。
部屋に入ったエマはひとまず制服を脱いでハンガーへと掛けた。
制服は住み込みの者には複数支給されているので後で洗濯すれば問題ない、そのまま部屋に空絵付けられているシャワールームへと向かって行きシャワーを浴びる。
「…………」
シャワーを浴びている間もエマは終始無言のまま淡々とし続けていた。
そんなこんなでシャワーを浴び終わり、服を着替えて寝る体制となったエマは体を投げ出すかのようにベッドへと仰向けになった。
「…………」
部屋に入ってからずっと無言を貫き通していたエマは横になってからも無言を続けており、そのまま眠りに入る――と思われたところでエマは突如として俊敏な動きを見せた。
しゅばばっ、とでもいった効果音が似合うような速度で枕を手に取るとそのまま両手で抱え顔を枕に押し付ける。
「――っ! ――っ!」
そしてそのまま声にならない声を上げ始めた――かと思うとそのままベッドの上でごろごろと左右に転げ始める。
その動きからはエマの中で人生史上最強の混沌とした感情が渦巻いているであろうという事を実に見事に表していた。
そのまま左右に行ったり来たりの転がりを続けていたエマであったがなにぶんベッドは対して広いとは言えないシングルサイズの物であったためその動きを続けるためにはいささか不順文であった。
「――っだぁ!」
往復回数が二けたに届く前にベッドから落っこち、あられもない声を上げた。
「……はぁ」
ベッドから落ちたエマは起き上がろうともせずにそのままため息を付いた。
転がった勢いで体にはシーツが絡まっておりベッドの周囲はぐちゃぐちゃであったがそんな室内の様子とはまるで真逆のようにエマの心は驚くほどに軽くなっていた。
悩みをケイに打ち明け、未知の感情に振り回されていつもならばしないような行動をしたエマはいつの間にか無性に楽しいような気持ちとなっていた
こんなに楽な気分になったのは一体いつぶりだっただろうか、両親と一緒に過ごした幼少期も勉学に明け暮れた学生時代にも味わった事のない感覚、エマはようやく心が軽くなるという事を知ったのだった。