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 アラクネの食事を終えたケイは室内の機器を使ってアラクネの身体検査を行った。

 もちろんこの時も「検査の用意をしろ」と低く圧力をかけるような声で言わなければならなかったのは言うまでもない。


 検査の結果では五日間の絶食で低下していたいくつかの数値が朝の栄養液の補給によってある程度正常な値にまで戻っておりアラクネの体調が戻りつつあるというという事を確かに証明していた。

 だがその低下した数値そのものがすでに異常事態なのだ。


 人間も水だけで一週間程度生きることは可能ではあるが肉体的にも精神的にもかなりの負担となることは言うまでもない。

 それを少なくみても十年も生きていないような子供が当たり前の様に行っていることがどれほどの事なのかわざわざ語るまでもない。


「(じゃあね)」


 そして全ての作業を終えた後、ケイは心中で優し気な言葉を掛けてアラクネの部屋を出て行った。

 部屋のベッドの上では今までとは違い、六本の足を延ばして胴の部分を柔らかなベッドにぺたっとくっつけるような体勢となっているアラクネがいる。


 ケイがアラクネに「全力で休息しろ」と命令すると体の力を抜くような形でこの体勢を取ったのだ。

 もし今のアラクネの体勢が本人にとっての一番楽な体勢だとするのならばケイは五日間もアラクネを立ちっぱなしにしていたということに成る。


 そんな事にも全く気が付かずに「眠っている」などと勝手に思い込んでいた自分に悪態を付きつつケイは急ぎ足で職員室の方へと向かって行く。


 もちろんその目的は一刻も早く一連の事をカルロに報告するためだ。


「……という訳です」


 そう言って説明を終えたケイの前に座るカルロおは今まで以上に固い表情となっていた。

 カルロが表情をするのは湧き上がる怒りを抑えている時、それが分かったケイは黙ってその心中を察しつつ無言のまま待機する。


「ケイ君、まずは礼を言おう、よく気が付いてくれた」

「いえ……」


 そう言われたケイだが大手を振って喜べるような気分ではない、子供を威圧するかのような方法で服従させたようなものなのだから。


「とにかく、今はこの方法を取るしかない、エマ君にもそう伝えておこう」

「はい、お願いします」


 そう言ってケイはカルロの部屋を出て次の場所へと向かう。

 ケイもアラクネばかりに付き添っていられるわけではない、人手不足に悩まされている現象では一人で何人も面倒を見なければとても間に合わないのだ。


「えっと……今日は……」


 アラクネの現状を思いつつ、ケイは次の子供の所へと足早に向かって行くのであった。

 アラクネがこの施設に来て五日目、アラクネが抱える大きな問題はほんの一歩だけだが進展を見せた。

 だがこれから先、アラクネの問題を解決するための日々が続くことをまだ誰も予測すらできていなかったのだった。



 そして何日、何週、何か月もあと。


「アラクネ、こんばんは」


 ケイは毎日の様にそう言ってアラクネの部屋に入ることが常となっていた、例え返事をしてくれなくてもその優し気な声から始めることだけは譲れない。

 そんなケイの声を受け取るのは立方体から生える六本足の蜘蛛のような姿を持ったアラクネ……ではない。


 室内にいるのは車いすに座った金属製の人型の物体。

 大きさは一メートルほど、人間でいうならば平均的な四歳児の身長ぐらいである。

 人型の物体には頭部、体、手足がしっかりとその形状のまま備わっており形だけならば人間と変わらない形状をしている。


 だが顔はなく、顔面と言える部分には鉄板がそのまま張り付けられており遠目から見るとまるで黒一色のマネキンのよう。

 これが「今の」アラクネの姿であった。


 個室の車いすに座っているアラクネにケイは自分自身の出来るだけの笑顔を浮かべて話しかける。

 だが車いすに座ったアラクネは指先一つ動かす事なく無反応のままである。


「新しい体はどう?」

「どこか気持ちの悪い所はない?」

「今日はいい天気だよ?」


 続けてそんな言葉も投げかけるが首元から繋げられた思考を読み取り内容を画面へと移すインターフェースには何の言葉も記されず、一切の反応を示していない事を表している。


「(……しかたない)」


 ケイはそう思いながら本当は言いたくないその言葉を口にする。


「指令を下す」


 低く短絡的で高圧な口調でアラクネへと呼びかける。


「マスター、ご命令を」

「……食事だ、開口しろ」


 本当は「夕ごはんだよ、お腹すいたかな?」などと言いたいところなのだがそれだとアラクネは口を開けようとしない。


 手術の際に注入部分のロックの封印を解除しようと技術者が奮闘したのだが脳の深部に存在する神経系と密接に連携されていたため解除は出来なかった。


 よって頭部周辺の機構はそのまま移し替えるしかなく口の位置や声帯の増設などの「人間らしさ」を取り戻す手術は一つも行えなかった。

 今は頭部があって胴体があってそこから手足が二本ずつ生えている、人間の形を取り戻すだけで精いっぱいであった。


「……嚥下しろ」


 首の後ろの注入口にチューブを差し込み、サイボーグの生命活動を維持するために必要なマイクロマシンやミネラルなどの栄養素を混ぜ合わせた液体が少しずつ注がれていく。


「……口を閉じろ」


 数分で必要量の液体が全て体内へと収まり、食事は終了する。

 この子は今、これを二日に一回するだけで生きられる。


「何か要望はあるか?」


 食事が終わり使用したチューブ類などを片付けたケイは車いすの正面でしゃがみこみ、アラクネの顔を見てそう尋ねる。

 これはアラクネがこの体になってから毎日の食事の後に必ず行っているものである、どんな些細な事でも良い自分から何か希望を発して欲しい、そんな願いから行っているのだ。


「いいえマスター、私は現在快適です」


 だがアラクネから帰って来るのは一字一句変わらないその言葉だけ。


「……後は好きにしていろ」


 そう言ってケイは部屋から出る。

 アラクネが人間らしい体を得てから今夜で二週間目。

半ば焦る様に人間の体を得る事となったアラクネだったが未だに自分の足で立ったことも自分から欲求を出した事もなかった。


「ただいま……」

「どうだった?」


 アラクネの食事を終え、職員室へと戻ったケイにエマが尋ねる。


「駄目だね……やっぱり変わらない」

「今日で二週間目になるのに……」


 アラクネの状態を大きくとらえたカルロは協会の方とも連携して大きな決断を起こした、それこそがアラクネの体を取り換える手術の決行であった。


 六脚という人間離れした身体を持ったアラクネをそのままにしておくわけにはいかないという判断がされ協会の方もそれを承認し、アラクネは異例の速さで手術に踏み切られる事となった。


 もちろんアラクネ本人にもしっかりと手術に対する意思の確認は行われた上でのれっきとした物である。

 と言っても例の命令口調で質問しアラクネが「イエス」と答えただけに過ぎないが。

 手術には協から選りすぐりのサイボーグ技術者三名が選ばれ、それとは別にこの施設からエマも卓越した技術を持った人間としてアラクネの手術を担当することとなった。


 アラクネに行ったのは「既存の義体から脳を取り出し、新しい義体に移す」という手術。

 十二時間以上に及ぶ手術の末、何とかアラクネの脳を既存の義体から取り外すことに成功し新しい義体、手が二本、足が二本に頭部がある人間の義体に脳を収める事に成功した。


 これによってひとまずアラクネ本人に「自分は人間である」という自覚が沸くことを期待したのだ。


 だが新しい体を得たアラクネは六本脚だった頃よりも動きを見せなくなってしまったのだ。

 以前は少しは足をもぞもぞと動かしたりはしていたのだが今のアラクネは車いすに座った状態で脱力したかのように手足をだらんと下げているだけである。


 理由はただ一つ、アラクネは二本足の歩き方が分からないという事。


 生まれてすぐに脳だけを取り出されたアラクネは一度も二本足で歩いたことがないのだ。

 今まで普通に二本足で歩いてきた人間がいきなり六本足で歩けと言われても全く想像が付かないようにアラクネには二本足の動かし方が全く分からないのだ。


 もっと言えば「手」と「足」の区別すらもついていないのかもしれない、

 その事実をケイやエマ、カルロを含めた全ての人間が思い知らされることとなった。

 そしてその結果、カルロが下した大きな決断は失敗という二文字の元に晒される事となった。


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