(23)
そして四日目の朝。
「じゃあ、行ってきます」
「ああ、宜しく頼む」
「宜しくね」
二人に見送られつつ、ケイはアニスの部屋へと向かっていた。
あれからカルロがアニスの回収したデータを超特急で復元して欲しい、という無理なお願いをその日のうちに行った。
カルロがどれほどまでの要請を行ったのかはケイは知る由もないが夜九時過ぎに連絡を行って明け方には資料を送らせるという事を実現するが簡単な事ではないことは考えるまでもなく分かる。
ケイ自身が受け入れを行いたいと言い出した割にはやはりカルロや他の人たちの協力なしでは何一つ出来ないという事を改めて思い知らされているような気分であったがだからこそ今度こそ自分の出来る事をして見せる。
そんな意気込みを十分に持ちつつケイはアニスの部屋にノックして入った。
この施設に来てからずっと部屋のベッドの上、単純に考えても百時間近くもの間一切動くことなく佇んでいるアニス。
その近くへと寄り添って行ったケイは先ほど判明したアニスの本当の名前で呼びかけた。
「おはよう『アラクネ』」
その瞬間、ずっと不動を保ち続けていた、アニス――アラクネはその六本の金属製の足を動かしてケイの方へと向き直った。
そしてケイと目を合わせるようにして三つの赤く光る目が一瞬光ったと同時に接続されている機器の画面へと文字が表示された。
「マスター、おはようございます」
画面に表示された文字列、アラクネが発した自分の意思が確かにそこには書かれていた。
「(やっと……反応してくれた……)」
アラクネの反応を見てケイは思わず顔がほころび、緊張が解けたかのようにため息を付く。
復元されたデータから見つかったのは「アラクネ」という名前、恐らくは犯罪組織内の技術が本人の口から漏れるのを防ぐためにダミーの名前をデータとして残していたのだ。
六本足の姿を持ったこの子にはまさに相応しいと言わざるを得ない『アラクネ』と言う名前、およそ人ではないこの名前こそがアラクネが自分自身を呼ばれているという自覚を持っている「自分の名前」なのだ。
「ご飯の時間だよ」
ケイは喜びでようやく軽くなった心境の中、持ってきた栄養液を入れるためにそう声を掛け、挿入口にチューブを入れようとした。
だが未だにその口のロックは閉まったままである。
「アラクネ、お口を開けてくれるかな?」
とにかく今は食べさせなければ、その気持ちが先走っているケイは色々と呼びかけて口を開けさせようとするが何故か挿入口のロックが解除されない。
アラクネという名前には確かに反応を示している、「アラクネ」というたびに時折足を動かしたり、目の赤い光が瞬いたりはしており以前とはその反応は大違いである。
だがそれ以上の行動を見せることがない、先ほどは表示された言葉も今はなりを潜めてしまい再びアラクネは無言となる。
「(……なんでだ?)」
喜びもつかの間、ケイは再び困惑する。
サイボーグとはいえ食事を通してエネルギーを取らなければエネルギー不足、つまりは餓死してしまう事には変わりない。
五日近くも絶食をしていれば本能的に食事をとならなければならないと言う意識が少なからず芽生えるのはサイボーグにとっても当たり前の事、それにも関わらずその兆候も見られない。
「アラクネちゃん、お腹すいてないのかな?」
ケイは再び尋ねる、だが今度は動かない。
「アラクネちゃん? 大丈夫?」
サイドケイが呼びかけるが先ほど初めて反応を見せたような動きもしない、それは再び以前の反応を返さないアラクネに戻ってしまったかのよう。
「アラクネ?」
ケイが心配したかのようにそう言う、すると。
「イエス、マスター」
何故か今度は返事が画面上に表示された。
「(んん? 何が起きてる……?)」
呼びかけでアラクネが反応を示したのでいつも子供たちに接しているのと同じようなやり方で関係を築いていこうと考えていたケイだったが、同じように見えても今までの子供達とは何かが違うという事を感じ始めていた。
「(もしかして……)」
ふっとケイの脳裏に浮かんだある可能性、それをケイは実行してみることにした。
「アラクネ」
「イエス」
「アラクネちゃん」
「…………」
「(そう言う事か……)」
ケイはそこでようやくアラクネのこれまでの人生の一角を理解する。
アラクネは恐らく徹底的に他人からの命令を忠実に受け続けるような生活を送り続けてきたのだろう。
自分という存在を他人の命令なしでは行動できないほどに塗り固め、自己の意識という物を自分自身が忘れるほどに精神の奥底まで浸透しつくしたアラクネにとっての人生。
その結果生まれたのは優し気な態度や穏やかな口調に対しては一切反応を示さないという徹底的な行動原理。
アラクネにとっては命令以外の言葉は言葉ではない、少しでも優しげな態度を取られたらその瞬間に心を完全に閉ざし切る、アラクネにとっての世界の常識。
それが長年の生活によって作られた本能的なものによるのかそれとも脳に何かしらの手が加えられているのかは分からない。
だがこれでまた新たに一歩進んだという事は間違いなかった。
命令口調で高圧的な態度を取らなければアラクネは反応しないという事実が判明したのであれば、食事のために口を開けてもらうためにはどうすればいいか。
答えは言うまでもない、その通りになぞればいいだけの話だ。
その結論にたどり着いたケイは心ではその行為に対して嫌悪感を感じつつもアラクネに生きてもらう為、仕方なく実行することにした。
「……アラクネ、補給口のロックを解除しろ」
サイボーグにおける「口」は正確には「補給口」というのが正しい。
機械としてのサイボーグの部位名称、学生時代に習いはしたものの現場に入ってからは一切使った事はない、サイボーグとて人間と同等に扱うことはもはや常識と言える行為であるそのような名称があったとしても「口を開けて」と言うのが当り前だ。
「イエス、マスター、ロックを解除します」
だが目の前の人間として扱われたこと、人間としての自覚がない子供にはその言い方でないと通用しない。
いくら笑顔で親し気な雰囲気を全面に醸し出しつつ言っても反応しなかったアラクネはケイのその高圧的な態度の命令には素直に反応を示し、補給口のロックを解除した。
ケイは目の前で起きているその光景を見て久しぶりにこの道を志そうと思ったあの日にと同等の感情が体に湧き上がった。
「…………」
何とも表現しがたい感情が心にわだかまる中、ケイはとにかく食事を与える事に専念する。
今のアラクネは本当に餓死しかねないほどの状況に陥っている、何よりもまずは生きてくれなければ。
チューブを注入口に入れ、持ってきた栄養液のパックをを反対側につないでチューブ内部へと流す、点滴をしているような光景と共に栄養液がチューブを通してアラクネの体内へと入っていく。
液体が内部へと入っていく様子を見てケイは取りあえずはこれで少しは大丈夫になる、と安堵する。
だが先ほど言ったようにアラクネは限界ギリギリレベル、餓死寸前と言っても過言ではないほどの状態であったのだ、それなのにアラクネは「開けろ」と命令するまで口を開けることがなかったという事の方がケイの心を大きく揺さぶった。
サイボーグにも欲求は当然存在する。
空腹による食欲、休息を求める睡眠欲、生命活動を維持するための根幹たる欲求は例え感覚という物を遮断したとしても「死」という絶対的なデメリットを回避するため確実に何かしらの反応は本能的に必ず起こす。
死を恐れているのは例えサイボーグとなり痛みを感じなくなったとしても命というものがある限り変わることはない。
だがアラクネはその部分さえも抑え込んでいる、人間どころか生物としての基本さえも失っている。
一体、どれほどの生活を送ってくればそんな状態になるのか、ケイには想像さえ出来なかった。
もしケイがアラクネと呼ばなければ反応しない事、高圧的に接しなければ応じないことに気が付かなかったとしたら。
アラクネは恐らく死ぬまで反応を返すことはなかっただろう。
どれほど疲労してもエネルギー不足を本能的に察知しても周囲には一切変化を見せず優しく手を差し伸べてもかたくなに心を閉ざし続ける。
そしてアラクネは死ぬまでを口を開けることはなかったに違いない。
アラクネは恐らくまだ子供である、それなのに生物としての原始的欲求すらも命令されたときまでは抑え込むほどまでに深い精神的な負荷が掛けられている。
それを知ったケイは一体どれほどの恐怖と困惑を抱いたのか、説明することは難しい。




