(22)
そして三日目の夜。
集まった三人は全く進展しない現状に焦りを募らせ始めていた。
「駄目だ……全然反応なし……」
今日の夜の担当であったケイが栄養液の袋とチューブを手にしたまま職員室へと戻って来た。
もちろんその袋は開封されておらずアニスが食事をしてくれないという事を暗に物語っており、エマもカルロも今更返事をしなくなっている。
時間が解決してくれるという考えを心の何処かで期待していたというのは全員が同じである、その余裕を持った考えが日増しになくなっている今、それと比例するように焦りが出始めている。
「そろそろ、食べてくれないとまずいんじゃ……」
エマもあせったような表情を滲ませながら何度も現状の把握に努めてばかりといったような状態になりつつある。
だが実際問題としてそろそろその問題は確実に念頭に入れる必要があるのも事実だった。
保護されてからここに来るまで三日前、ここに来てからすでに三日目が経過している今アニスの絶食は今日で六日目、明日で一週間目となる、そろそろ何かしらの影響が出ていてもおかしくない。
一応、明日ぐらいになれば身体的な危機を感じて口を開けると言う可能性もなくはないがそれこそ今まで散々やった時間が解決してくれるという期待をしているだけに他ならない。
それに期待するだけでは今までと変わらない、現状を変えるためにはアニスが食事をしない原因を見つける必要がある。
だがいまだにこれと言って画期的な方法が出てくることはなかった。
「カルロさん、何かないですか? こう保護された時の様子とか……」
「うむ……そうだな……」
ケイがカルロにそう尋ねるとカルロは手持無沙汰に手元の資料を捲りながら考え始めるが大した時間も経たないまますぐに首を振った。
「無理だな……そもそも資料自体からしてこれしかないのだ」
そう言いながらカルロは手元の一枚の紙きれをケイの方へと差し出した。
それは子供たちの改造を行っていた組織から押収したデータを印刷したもののうちアニスに付いて書かれている部分、その総ページ数A4用紙半分未満。
書かれているのは体高、全長、体重などと言った数値のみ、性別、年齢やいつ改造を行ったのかそんな事は一切書かれていない薄っぺらなアニスの唯一の証明書。
これでは最悪アニスが元人間のサイボーグであるいう証明さえも行えない可能性すらもあるほどに中身のないデータ。
それを見たところで何が分かるわけもなく一瞥した後にケイはそれを再びテーブルの上に戻した。
「酷い……生まれた時の名前すら残さないなんて……」
すると次にその用紙を手に取ったエマが恨めしそうな口調で呟くのが聞こえた。
エマは子供を誘拐し改造する犯罪者集団に対して人並み以上に嫌悪の感情を抱いている。
そのような行為を行う人間が自分と同等ともいえるような道を歩んできたという事を理解しているからだ。
だがそれはある意味、同族嫌悪とも言えるようなもの。
エマは犯罪者という枠組みでそのような違法な改造を行う者達を一つに見ることが出来ない気質なのだ。
それが彼女が優しすぎるせいなのか、かつては自分もその道へ進みかけていたという自負から来るものなのかは分からない。
それでも彼女は単なる忌避の感情だけではない複雑な感情をその内側で抱いているのであった。
「まぁ……あいつらにとっちゃそれが効率的って奴なんだろうな」
エマの言葉に対してケイが適当な感想を交えつつ場を繋いでいく、エマの心で起きている複雑な感情は外部から何か言った所ですぐに治るようなものではない。
以前エマの告白を聞いたケイはエマの抱えている心の葛藤とでも言えるような部分が何となくではあるものの理解できるような気がしていた。
エマにとって最上の喜びは新しい技術を作る事、だがそれに陶酔した者は犯罪という道に進んでしまっているという現実がある。
子供を誘拐したり売買して連れて来ては違法な認可されていないサイボーグ手術を自分勝手に行う人間は総じて悪であり、人の道を踏み外した者が向かう人間以下の集団だ。
その両面を理解しているエマだからこそ、かつてそれを夢見ていた自分に対する自負が何処かに存在しているような状態になっているのだとケイは思っているのだ。
「せめて、どんな生活をしていたのかが分かれば……」
「……そうだな」
人間以下の奴らのところで生活してきた子供たちがどれほどの扱いをされてきたのか、ケイはもちろんエマにもカルロにもその実態は正確には分からない。
施設での生活に慣れ、落ち着いてきた頃に子供たちに少しずつ聞き取りを行ってどんな事をされていたのかを聞くという事でその実態をわずかに知ることが出来る程度。
今までに僅かに語られた情報を合わせると一日中動かずにただ座っているという事はどの子供たちにおいても当たり前の様にしており、食事は絶食期間ギリギリまで与えられなかったという事はもはや当たり前の様に行われていたとのことであった。
アニスが返事をしないほどにまでに心を閉ざしているのは、そうでもしなければ精神を保つことが出来ないほどに追い詰められた日々を過ごしてきていると暗に示されているという事も出来るがそれでは証明にはならない。
「名前で呼んでいるのにどうして反応してくれないんだろうな……」
今までは一緒に回収したデータに掛かれている名前で呼べば返事をしたものなのだがアニスの場合はそれすらも当てはまらないのだ。
今までの全てが当てはまらにない現状に再び室内に停滞による澱んだような空気が立ち込め始める中、エマが疑問を口にする。
「……これって、回収したデータをまとめた物なんですよね?」
「いや、これは回収した生データそのものだ」
「……だったらおかしくないですか?」
データをぼんやりと眺めていたエマがそれを聞いた途端、疑念を含んだ声でそう言い始める。
「何が?」
「だって、表記がおかしいですよ」
「……?」
ケイとカルロもエマの持っている資料を覗き込み、何度も見返すほども内容の書かれていない資料をもう一度見返す、だが二人にはどこがおかしいのかさっぱり分からない。
「何がおかしいんだ?」
考えるのも面倒になり始めたケイは答える様にエマに促す、するとエマは至極当たり前の様に答えた。
「名称と数値データは普通一緒にしませんよ」
「……そうなのか?」
「数値と名称では秘匿の精度が違うんです、名称はいくらでも後付けできますけど数値は誤魔化せませんから一緒に書くというのは普通あり得ません」
かつて同じ道を通ったエマが技術開発者における常識を当たり前の様に語っていく。
「カルロさん、今までの子達のデータって回収班がまとめた物だったんじゃないんですか?」
「……いや、私は回収したデータは可能な限り手を加えないで送ってくれとお願いしているぞ」
微かに湧き上がって来る違和感、だがその違和感は理由はないものの何処か確信めいた感覚をその場で広まり始めていく。
「すぐに確認をお願いします、データの改ざんがあるかもしれません」
「改ざん……」
その言葉を聞いてケイは改めて今までの事、エマが来るよりも前の事を思い返し始める。
体の左側が機械のヘレン、体に無数の刃が取り付けられているエステルは、第三の腕を持っているアマンダ、その全員が施設に来る際には一緒に回収されたデータが送られてきていた。
そのデータがあったからこそ施設でもうまく対応を行うことが出来たのだ。
もちろんそのデータはケイも何度も目を通したことがある、送られてくる資料には必ず名称も一緒に書かれているというのも当たり前の事として認識していた。
だがここに来てエマがその違和感に気が付いた。
ケイが当り前と思っていた「名称」は本来その他の情報と同時に書かれていることはあり得ないものであったのだ。
ケイとカルロは送られてくるデータは回収されたものがそっくりそのまま送られて来ると思い込んでおり、エマは回収班が分かりやすくまとめ直した物を送ってきていると思い込んでいたのだ。




