(20)
引き取りの連絡を行った次の日、施設母体の協会のマークが掛かれた車が施設の駐車場へと到着する。
それをカルロ、エマ、ケイの三人の職員と数名のボランティア団体の職員が見守っている。
「大丈夫かな……」
敷地内へと入って来た輸送用の車を見ながらケイは誰に向けて言うのでもなくぼそりと言葉を漏らした。
「今更、何を言っているのですか、私たち二人で決めた事でしょう?」
本当に小さなケイの呟きも隣にいるエマにはしっかりと聞こえていたようであり、おなじくケイにしか聞き取れないような小声で返してくる。
「……うん、そうだよね」
どんな子が来てもきっと温かく向かえ入れることが出来る、そう信じるケイは前へと向き直しその車から出てくる子の姿を待ち続ける。
「アニス、着きましたよ」
車が止まり運転席から出てきた白衣姿の女性にそう言われながら車の後部から運び出されてきた“それ”は。
――ッ……
その姿が衆目の元に晒された瞬間、その場にいた全員の心が凍り付き、息を飲んだのがケイには分かった、もちろんその全員にはケイ本人も含まれている。
ほんの一瞬だけ横目でエマの様子を見るとエマもまた笑顔は何とか保っていたもののその目は見開かれていた。
その目の奥には隠し切れない驚き、不快、躊躇などの感情が存在している。
目の前にいる“それ”はそんな感情を一目で湧き上がらせるようなものであった。
車から運び出された“それ”は成人が一抱え出来るほどの大きさの『蜘蛛』だった。
資材運搬用のコンテナほどの大きさの金属の立体部分から六本の細長いアームが伸びている異様な姿。
その姿を見て“それ”が「人間」であると判別できるものは恐らくいない、それほどまでに変わり果てた姿にさせられた被害者の姿がそこにはあった。
「よいしょっと……」
華奢な体つきの女性職員が“それ”を危なげな動きで抱える、そのままよたよたと歩いて女性職員がケイたちの方へと向かってくる。
誰もがその姿にくぎ付けになっている中、真っ先にカルロが女性職員の方へと駆け寄っていき声を掛けていった。
「こんにちは」
いつも通りに優し気な言葉を掛けるカルロだがそれでもいつもと比べ、わずかに声質が硬くなっている。
「貴方の新しいおうちですよ」
そう言いながら女性職員はその手に抱えた子の身体を施設の方へと向けた。
胴体部分の前方、実際の蜘蛛の顔があるであろう部分に備え付けられた赤く光る三つののレンズが一瞬キラリと光ったのがケイの目に捉えられる。
それを見た瞬間、ケイの体に得も言われぬ感情が襲い掛かる。
己の欲望の為だけにその姿にした下種な加害者への怒りと人ならざる姿にさせられてしまった被害者への悲しみ、その二つの感情が同時に湧き上がって来たのだ。
「皆さん、この子が今日からこちらで生活することになります『アニス』ちゃんです」
その場にいる全ての人間が各々の内側で生まれた感情を味わっている中、カルロとの会話に一区切りをつけた女性は集まっていた職員に向かって告げた。
女性の胸に抱きかかえられている金属の光沢を持った蜘蛛、この子が未知の技術の被害者にあった子供。
説明をしなくてもわかる人としての一線を越えたおぞましい改造をされていることが火を見るよりも明らかである。
「ではお部屋にご案内しましょう、どうぞこちらへ」
「行きましょうかアニスちゃん」
カルロを先頭として女性職員と共にアニスが施設内へと入っていきその隣に寄り添って行くような形でケイとエマも後を追っていく。
「他の子達は――」
「はい、ご心配なく――」
「全員が――良かった。」
アニスの部屋へと向かう間、カルロと女性職員が会話をしていく、だがすでにこの時点からいつもとは明らかに違う事をケイはしみじみと実感していた。
いつもならば新しく来た子に対していろいろと話しかけたり施設内の見学などといった事をするのだが今回はそれが全く行われていない。
それには事前の資料によって判明したある事象が関係しているのだ。
「(コミュニケーションが不可能……か)」
アニスにはコミュニケーションを行う手段がない。
アニスは脳以外の全ての器官が取り去られて機械に置き換えられており、生存のための最低限の機能以外は切除されている。
アニスは自分の思っている事を外に出すことも外からの刺激に対してどう思ったのかを伝えることも出来ない。
そんな状態に置かれているアニスとどうやって対話を行うのか。
結論から言えばその点は問題ない。
「はい、着きましたよ」
そんな事を考えているうちにアニスは施設内の部屋へと到着する。
そして室内のベッドの上へと一旦乗せられたアニスの脇腹の辺りを女性が探り始める。
「ちょっとごめんね……」
アニスの脇腹部分には複数の挿入口が付けられており外部機器との接続が可能となっている、そのうちの一つが精神表示機器との接続が可能という事が判明している。
精神表示機器はデニスの体に付けられている物とほぼ同じであり、精神の電気信号を読み取って再翻訳を行うようにして画面上に脳内で話した言葉を表示するという事が可能となる。
この施設には精神表示機器があったのでコミュニケーションが出来ないという欠点はすぐに解消することが出来るというのは大きな前進と言えるだろう。
「はい、アニスちゃんお疲れ様」
機器との接続が終わったカルロがその場で膝を付いてアニスの顔、と呼べるような部分に向かって話しかける。
その様子を見た途端その場にいる三人の視線が一斉に表示機器の画面へと注がれる。
理由はもちろんアニスからの初めての発言が何なのかを知りたいからだ。
『――――』
だがその高まる期待とは裏腹に画面には文字の一つすら浮かび上がらず、アニスが無言を貫いているのを静かに主張していた。
「今日は疲れちゃったよね、少しゆっくりしてて大丈夫だよ」
アニスと顔を合わせていたカルロは室内の空気でそれを感じ取ったのか優し気な口調を崩さないままそういうと静かに立ち上がってアニスのそばを離れる。
エマとケイのそばを通る際一瞬だけ目配せをして部屋から出るように促しているのが見え、アニスを残して全員が退出する。
「では、カルロさん宜しくお願いします」
室内から出たところで女性職員がカルロに向かってそう告げる。
「はい、確かにお預かりいたしました」
カルロは女性職員に対して頭を下げながらそう言うと見送りの為に出入り口の方へと女性と共に向かって行った。
そして残されたケイとエマは事前に決めておいた通りの手順を思い出しつつ作業を開始し始めていく。
「じゃあ、最初は私が」
「分かった、じゃあ宜しくね」
ケイとエマが考えたのはとにかく警戒しているであろうアニスをこの雰囲気に慣れさせることであった。
いくらこっちからアプローチしたところで本人が心を開いてくれなければ意味がない。
アニス本人から自分自身という物を曝け出してくれるためにもとにかくしっかりとした交友関係を築くことは絶対に必要となる。
なので二人はまず少しずつ仲良くなっていくという所から始めていくことにしたのだ、アニスがケイとエマに対して悪意を持った存在ではないという事を心から信じてくれるようになるまで時間をかけてゆっくりと進めていく。
いきなり何かをするよりもそっちの方が良いというのが最終的な考えであった。
まずは昼頃になったらエマが顔を合わせるという事になっているのでケイは後を任せていつも通りの仕事の為にその場を離れていく。
だがその道中でアニスの状態についてケイは一抹の不安を感じていた。
「(カルロさんの呼びかけに全然反応してなかったな……)」
カルロの呼びかけに対してアニスは身動き一つしていなかった。
それどころか施設に連れてこられた時から女性の腕に抱かれている時にも全く動いているような気配がなかったのだ。
新しい環境に置かれて緊張している、というのもあるのかもしれないがそれにしてもあの不動の雰囲気はどこか異様ともいえる。
ケイはそんな不安を片隅に抱きつつ仕事へと向かうのであった。




