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その頃、一足先に食堂を出たケイはというと次の予定として控えていた定期検査のために検査室を訪れていた。
サイボーグは精密機械の塊のような物でありしっかりとした検査を行わなければ少なからず不調が発生してしまう、そのためにも日々の定期的な検査が絶対に欠かせないのである。
直接の修理や手術などは出来ないが数値や身体検査などを行って異常がないかどうかを確認するのも系の仕事の一つである。
そして食堂から少し離れたところにある検査室へ到着したケイは入る前に手元の時計で時間を確認する。
時間的にはちょうどと言ったところだがサイボーグの子供たちは体内時計が驚くほどに性格なので恐らくすでに到着している事だろう。
「(さて、行くかな……)」
そう思い、ケイは部屋にノックをして入ろうとした……ところで思い直してノックを打とうとしていた手を止めた。
「(っと危ない危ない、デニスだったな)」
今から検査を行うサイボーグ『デニス』には危険性はほとんどない、だがそれがイコール対応が楽という事には繋がらない事を改めて思い直す。
ノックを止めたケイはそのまま扉をゆっくりと開けて室内へと入った。
部屋に入るとケイの予想通り、すでにデニスは室内に到着しており椅子に座っている後姿が見える。
「…………」
その後姿を見たケイは何も言葉を発さずに無言のまま前へと回り込み向かいにある椅子へと腰かける、もちろん腰掛けたあとも終始無言のままである。
デニスと向かい合ったケイは自分の目の前にいるデニスの様子をまじまじと見ていく。
デニスは目の前にケイがいるというのに全く動きも声を発する事もない、だがそれは当然の事であった。
デニスには顔がないのだ。
首の上、本来頭部が当り前のようにある部分には目や耳はおろか鼻も口も髪の毛の一本さも存在していない。
そして頭部があるべき場所にあるのは真っ白な球体、正確には正頂二十面体、いわゆるサッカーボールのような形と大きさの白い立体。
デニスに施されているのは感覚器の強化を目的とした改造。
デニスは首から上に残っているのは脳だけでありその他の部分は全て取り去られかわりにこの立体と脳が直接接続されているのだ。
この白い立体はレーダーの一種でありデニスはこれを通して周囲の状況を五感全て兼ね備えたかのような感覚で『視る』ことが出来る。
その『視る』力は人間の五感を遥かに凌駕する。
ケイが部屋に入る際にノックをしなかったり、目の前に座っても声を掛けたりしないのはデニスが突発的な音や動きに対して非常に敏感なため。
デニスにとってはこの世界の状態を伝える五感が全て統合されているため突然の状況変化にはかなりの心理的な恐怖を与えてしまう。
よってデニスと関わる時にはデニスの方から何かしてくるのを待つのが基本となっている。
すでにケイが訪れるという事はデニスは「視て」知っているのでケイはデニスが落ち着いて話しかけて来るのを待っているのだ。
「気分はどうかな?」
だがデニスが何か言うよりも前にケイはあっさりと話しかけ始める。
「そっか、良かったね~」
「…………」
「へえ~」
それどころかデニスは何一つ返してもいないのにケイだけが一人で黙々としゃべり続けているという光景がそこには広がっている。
だがこれでもケイとデニスはしっかりと会話をしているのだ。
頭部がないデニスには当然口もなく、声帯も存在しない。
つまりデニスは会話をすることは出来ないのだが、コミュニケーション能力を取ることは出来る。
『グッド、先生、楽しいです』
デニスの感情を外へと映し出すのは立体の表面に映る文字列。
本来顔と呼べるものがあるであろう場所に浮かび上がってくるその文字列がデニスの唯一のコミュニケーションツール、デニスの考えていることが再翻訳のような形で表示される。
「さて、それじゃいつものをやるから見せてくれるかな?」
雑談もそこそこにケイはそう切り出す。
『イエス、分かりました』
するとデニスは椅子から立ち上がって、検査室の端に設置されているベッドの方へと向かいそこに横になる。
その間にケイはベッドの隣に設置されている巨大な機器のスイッチを入れ、定期測定の準備をし始める。
スイッチを押すと同時に巨大な機器の起動音と共に画面上に多数の数値が現れ、起動状態に入ったことを示す。
一方デニスは機器の起動音を背景に自分の右手首に左手をかけるとそのまま皮膚をTシャツをまくるような感じで捲りあげていく。
デニスは激しい動作を目的とした改造は行われていないので体の表面を覆う人工皮膚の下に金属製の外骨格は装備されていない。
そのためこのように皮膚のつなぎ目から捲りあげその下の機械部分を露出させることが出来るのだ。
「じゃあ、繋げるよ」
デニスが皮膚を捲りあげるのを横目にそう言ったケイは機器から伸びているコードを手に取った、これが測定用のコードである。
『イエス、準備完了です』
デニスの顔にその文字列が表示されたのを確認し、ケイはデニスの腕の内側に備えられている挿入口の一つへとコードを差し込む。
この作業は通称「スキャン」と呼ばれる行為。
この機器とサイボーグ本体をコードで繋ぎ、微弱な電流を流すことでサイボーグの体内で電気を一周させているのだ。
道中で流れの弱まりなどがあると画面上に電流が弱まったという通知が表れ、配線類の破損などがある可能性を示すという仕組みになっている。
「(……特に異常はないかな)」
画面上に存在する大量の数値を端から順番に確認しながらケイはそう一人づく。
このような気の遠くなるような細かなチェックをサイボーグはほぼ毎日する必要がある、そう考えるとサイボーグの維持管理がどれほどまでに難しい物か改めて知らしめられる。
「ん?」
とその時、ケイが装置の画面に表示されている無数の数値を読みながら記録をしている中、デニスがケイの服を引っ張って来た。
「どうした?」
ケイがそう言いつつデニスの方を見ると――
『(^^)』
デニスの顔に括弧と記号で作られた文字列、いわゆる顔文字が表示されているのが見えた。
「おお」
それを見たケイは素直に驚く、今までデニスが顔文字を出すなんて事をしたことはなかったからだ。
「どこで覚えたんだ?」
『イエス、先生の真似』
ケイが尋ねるとデニスは顔文字を消して一瞬その文字列を出した後再び顔文字を出す。
恐らくデニスはケイや他の職員がなるべく笑顔で話しかけている様子を見てその顔文字が一番近いと思ってやっているのだろう。
その顔をしている時には「楽しい」という状況があるという事を分かっているのだ。
「(…………)」
だがそれを見たケイはもろ手を挙げて喜べるような気分にはならなかった。
デニス曰くケイの真似をしているという事らしいがデニスにとってそれが意味のある事とは限らないからだ。
デニスが今何歳でこの改造の被験者とさせられてしまったのかを示す資料は保護された時には発見されなかった。
全て消されれてしまったのか元々記録されていなかったのかいずれにしてもデニスの過去を知る手段はない。
デニスがもし「自分」という物を知らない間、つまり自分の顔を鏡で見るよりも前に顔を失ったと言うのならばデニスは自分の「顔」という物について知らない可能性もある。
当然そうなれば「笑顔」が何なのかも知らないという事だ。
ただ自分に親しく接してくれている人がそんな形の顔をしている、その形をしている時には楽しいという気分になれる。
だから真似しているだけ、そんな可能性だってあるのだ。
そもそもデニスはケイに限らず人間の笑顔を「見た」ことがない、頭部に設置されているレーダーで周囲の物体を感じ「視て」いるだけに過ぎないのだ。
デニスにとっての世界がどのような物なのかはデニス以外誰にも分からない。
声、雰囲気、風景、振動それが全て合わさっていながら五感は全くない、それがどんなものなのかはケイには分からない。
顔がないのに笑顔を作っていると主張するデニスは一体何を考えているのか。
だがそんな事情があったとしても今のデニスは目の前にいるケイに向かって自分なりの笑顔と言う物を見せようとしているのだ。
複雑な部分は考えることを放棄し、ケイはとにかく気持ちだけを受け入れることにした。
「そっかそっか~いや~初めて笑ってくれて嬉しいよ」
優し気な声と笑顔でそう言うケイだがデニスは笑顔の顔文字を浮かべたままであり、手を叩いたりするなどそれ以上の喜びを表現することはない。
笑顔すらもデニスにとっては顔文字という文字の羅列に過ぎない、口角を上げれば自然と笑えるなどと言ってもデニスには分からないし理解できない。
「はい、終わりだよ、お疲れ様」
『イエス、ありがとうございました』
お礼の言葉が一度表示され、再び顔文字へと表示が戻る。
そしてデニスは顔文字のまま部屋を出て行ってしまった。
「(難しいな……)」
そんなデニスの後姿を見たままケイはそう思う。
恐らくデニスはしばらくあの状態を保ち続けるだろう、デニスの中ではあの表示をしていれば周りの人たちが喜ぶという固定概念が出来てしまっているだ。
だがデニスの顔にはデニスが考えていることが表示されるようになっている。
常時表示されているというあの状態は人間で言えば頭の中でずっと顔文字を考えたまま生活している状態とほぼ同じである。
常に笑顔を浮かべたままの状態とは明らかに違う。
「(いつか直さないとな……)」
ケイはそう思いながらデニスの様子をまとめたレポートの執筆にとりかかるのだった。




