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「さて寝ましょうか……って……」


 そんな楽な気分になった所で寝ようと思ったエマだったが先ほどの大立ち回りの所為でベッドは酷い状態になっていた事を思い出した。


「ま、いいでしょ……」


 いつもならきっちりと整えておかないと気がすまない性格のエマであったがこの時だけは何故かそんな大雑把な事をしたい気分であった。


「どーせ誰も見てないし……」


 そんな考えすらもエマにとってはほとんどしたことのない行為であった。

 適当にシーツを上まで戻して落ちた布団も無造作に上に持ってきて山の様になった塊の中に自分の体を押し込める。

 こんもりと出来た布団の山から頭だけが出ている状態となったエマは再び無性に楽しい気分になって来る。


「(こんな事やったなぁ……)」


 エマが思い出していたのは昔、まだ自分が子供だった頃の記憶。

 それなりに裕福な家庭のお嬢様として育ったエマであったがその裏ではもちろん両親と言う存在があった。


 両親は幼少期より英才教育としてあらゆる知識をエマに身に付けていった、当時は毎日の様に家を訪れてくる家庭教師の存在が嫌いだった。

 だがその全員が大学の教授だったという事を知り、両親が自分を本当に大切に思ってくれて手間暇かけて大事に育ててくれたという事を自覚した。


 とは言ってもそれは今だからこそ分かる事であり当時はそんな事全く考えもしていなかった。

 当時のエマはいわゆる「子供らしいこと」は余りさせてもらえず近くの公園で近所の子供たちが遊びまわっている様子を見ては心底羨ましく思うものであった。

 いくら生まれ育ちが違っても子供らしい考えというものはそうそう変わるものではない。

 エマはいつも何か楽しいことをしてみたいと思って日々を過ごしていた。


 ある日、両親が所要によって出かけてしまい無駄に広い家の中で一人残されたエマは前々からやってみたかった事を実行し始めた。

 家にはメイドと呼ばれるお手伝いさんが二、三人いたもののわざわざ話すような関係でもなく単にそこにいる家族以外の人としての認識程度しかなかった。

 相手側もそれは同じだったようでわざわざエマに話に来るようなことは全くない、要はエマが何をしても大抵のことは見て見ぬふりをしてくれるのだ。


「よいしょ……よいしょ……」


 幼いエマは自分の体には不釣り合いな広い自室の収納スペースから仕舞われている冬用の不毛布団やシーツを引っ張り出し、自分のベッドへと運び山の様にしたら隙間から中へと入りこむ。


「ふふっ……」


 あの沢山の布団に囲まれた中で丸くなった時の感覚は忘れられない物だった、まるで自分を包み込んでくれているような感じで自分だけの場所みたいな事を思っていたのかもしれない。

 結局、そのまま中で眠ってしまい帰って来た両親にしこたま怒られそれ以来やらなくなってしまったけれど、今になって似たような事をするとは思わなかった。


「…………」


 あれから何年も経っているのにあの時と似たような安心感に包まれたエマはそのまま昔のように丸くなって眠りにつくのであった。



 そして次の日、布団の海の中で目を覚ましたエマの目覚めはこの施設に来てから一番良い物であったのは言うまでもない。

 心でわだかまっていた感情が吐き出され、昔の思い出に一人微笑したエマの心は自然と軽くなっていたのである。


「さて、行きますか!」


 鼻歌を歌いながらちゃっちゃと室内を綺麗にし身支度を整えたエマは意気揚々と出勤する、窓に移った自分の顔を見るとこころなしかいつもよりきれいな気もする。


「おはようございます!」


 職員室へと入ったエマはいつにもまして明るい気分でそう言った。


「おおエマ君、おはよう」


 そんなエマに挨拶を返したのはエマよりもはるかに年上なのが一目で分かる初老の男性だった。

 顔が濃いとでもいうのだろうか、口元や鼻の周囲の堀は深くまるで彫刻の様に見える。

ただでさえ幼い顔つきのエマと比べると老けて見える、といっては失礼だがどちらににしても相当年季の入った雰囲気を持っているのは間違いない。


 彼がこの「改造児保護施設」の施設長であり実質的な責任者、カルロ。


 元々は著名な資産家、要するに超の付くような金持ちであったのだがある時その莫大な資産のほとんどを使ってこの「改造児保護施設」を立ち上げたという。


 違法なサイボーグ手術などを受けさせられた人たちを保護し、社会復帰を助長するための団体は世界中に存在するがカルロが作ったこの施設は世界でも数か所しかない「通常の施設では扱えないような改造を施された子供」という存在だけを専門に扱っているのだ。


 カルロがその莫大な資産を全て掛けてくれたからこそこの施設は成り立っているのである。

 もちろんカルロは子供たちの事も常に気を掛けており、その強面とも言えるような顔つきとは裏腹にとても穏やかな人物でもある。

 もちろん穏やかなだけではなく時には厳しい言葉をいう事もありその両面を併せ持ったカルロはまさに教育者の鑑のような人物であった。


 いつもの様に誰よりも早く職員室へと到着しているカルロは、はつらつと扉を開けてきたエマの姿を見て珍しく驚いているようにも見える。


「何かあったのかね?」

「ふふっ、そうなんですよ」

「そうかい、いつもより表情も明るいし見ていると私まで明るくなれそうだよ」


 エマは特に何も説明などもせず、形式だけの言葉を口にしたがカルロの方も特に深入りして聞いてくるような事もなくそう言うだけであった。

 それでもカルロはエマに気持ちが一転するほどの事があったという事はしっかりと把握してくれているようであった。


「さてと」


 エマも新たな気持ちで自分の今日の予定確認とその準備に移ろうとした時であった、そのエマの心境を変えた何かがやって来る。


「おはようございま……す」


 何かとはもちろんケイのことである。

 いつもは必ずと言っていいほどエマよりも早く職員室に付いているのだが今日は珍しくエマよりも遅い到着となっていた。

 いつものように挨拶をしつつ職員室に入って来たケイだったが、エマの顔を見た途端その言葉はしりすぼみになっていく。


「お、おはようございますケイさん」


 エマもケイのその空気を察したのかなるべくいつものように挨拶を返す。

だがその声はいつも以上に不自然なものとなってしまっているのは言うまでもない。


「……何かあったのかね?」


 そんな二人の様子の変化にカルロが気が付かないはずもなく、先ほどとは違い明らかな疑念を含んだ声でそう尋ねてくる。


「何もありません!」

「何もないです!」


 二人の全力の否定がほぼ同時に重なり、カルロの疑念がさらに強くなる。


「……まぁ、プライベートにまで口出しはしないが仕事はちゃんとやってくれたまえよ?」


 疑念全開の声だったがその口元は少なからず笑っているようであった。

とは言ってもそれは嘲笑的な物ではなく何処か二人の様子を面白がっているようなものであった。

どうやら二人の間で何やらやり取りがあったように思われているらしい。


「いや、あのほんとに何もなくてですね……」


 実際は少なからずあるのだが。


「わかったわかった」

「カルロさん、私達は……」

「君たちが親交を深めてくれたようで嬉しいよ」


 二人が弁解しようとしてもすでにカルロは聞く耳を持たず、全て右から左へと聞き流されてしまっていた。


「ほれ、さっさと行きなさい子供たちが起きて来るぞ」


 結局カルロの説得は諦め、ケイとエマは仕事に取り掛かる事とした。


「えっと……では行ってきます」

「本日も宜しく頼むよ」


 二人を見送るカルロは面白がるような笑顔をしたままであった。


「「…………」」


 職員室からでたケイとエマはは並んで子供たちの居住スペースの方へと向かって行く、距離としてはロックのかかった扉一枚なので大した距離ではないのだがやはりその空気は気まずい物である。

 そして二人がそれぞれの担当の方へと別れる直前、エマはケイの傍へと近づくと耳元で素早く告げた。


「ケイさん、私頑張りますだから……見ててくださいね」

「え?」


 耳元で突然言われたその言葉の意味を聞き返そうとしたケイだったがその時にはすでにエマはさっさと走り去ってしまっていた。


「さて……俺も頑張りますか」


 そんなエマの後姿を見ながらケイは自分に語り掛けるようにそう呟くのだった。





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