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苦手な方はご注意ください。

ホラー系短編小説置き場

言霊ブログ

作者: 浦切三語

 誰かが言った。恐怖とは誤解の産物であると。


 言い換えれば、人が無自覚に抱く思い込みこそ、恐怖を生み出す原因なのだと言う。


 思い込みは人間が本能的に獲得した生存術の一つだ。


 蛇口を捻れば水が出ると『思い込まない』限り、誰も水道水にはありつけない。


 飛行機が空を飛ぶ原理を知っていても、あの巨大な鉄の塊が空を飛ぶ姿をイメージできなければ、誰も飛行機を利用したがらない。


 人というのは、その事柄に関する原理を頭の中で理解していても、思い込まなければ行動には移せない生き物なのだ。


 つまり古来より人は、自らが危機的状況に陥るとまず思い込みを優先して行動してきた生き物である、と言える。


 だが、人生は思い込みだけで生きていけるほど簡単なものではない。それを補助する役割にあるのが、知識だ。


 正しい知識が備わってこそなのだ。思い込みの力を正しく制御するには、物事の本質を捉える鍛錬を積む必要がある。


 もしこの鍛錬を怠ったら、あなたは恐怖を生み出す尖兵となってしまうだろう。思い込みのままに視野を狭め、無遠慮な言葉を紡いで、誰かの心を傷つけて恐怖を植え付ける。


 そうして後で真実を知らされた時、きっとあなたは激しい後悔の念に苛まれてしまうことだろう。あんなこと、口にするべきではなかった、と。


 しかしながら、それだけならまだマシな方だ。


 本当に最悪なのは、あなたの思い込みが誰かの恐怖心を増幅させた結果、言葉では説明不可能な現象がその人の周囲で発生し、あなた自身もそれに呑み込まれてしまいかねない、というケースである。


 本当に、最悪なのは。





◆◆





 夏。うだるような暑さの真夏日。


 窓から差し込む強い陽射しが夏服を着た俺の体をジリジリと責め立てる。


「(あー……ウゼェなぁ……)」


 チョークの粉を散らして黒板に向き合う青野先生。通称・アオセンのくっそ眠たい授業を受けながら、俺はぼんやりとした心持ちでシャーペンを弄っていた。


 それにしても暑すぎる。毎年の事なんだけれど、それでも嫌になる。蒸し風呂にぶち込まれているみたいだ。なんでうちの御先祖様は、こんな辺鄙な盆地に町なんて建てたんだろう。


「(うちも他所の学校みたいにクーラー導入しろっつーんだよなぁ……)」


 ちらりと視線を動かして、周りを見る。前列の奴らはみんな必死になってノートを取っていた。あの小林も含めてだ。意外だ。あいつ、小学生の頃から勉強嫌いだったのに。


 そういえば、ここのところ真面目に授業を受けている。やっぱり高校二年生にもなると、受験とか色々考えるんだろうか。俺は全くなにも考えていないけれど。あいつ、行きたい大学とかあるのかな。


 取り留めもないことを考えていると、四時間目終了のチャイムが鳴った。


「あーと、それじゃあさっき言った通り、宿題な。来週の水曜日までに、この町の歴史を調べてA4レポート用紙一枚に纏めてくること。友達に写してもらおうなんて思うなよー。楽しようとすると、三年生になった時に我慢強さが身につかなくて、受験で苦労するからな」


 いつもの大声でそれだけ言うと、アオセンは出て行った。


 町の歴史……あぁ、そういえば昔、おじいちゃんから聞いた事がある。


 この町は山から大きな河が流れていて、昔は結構、治水に苦労したらしい。毎年、雨季の頃になると必ず氾濫を起こして、多くの人が洪水に流されて亡くなったって聞いている。


 その話をしてくれたおじいちゃんの口調がやたらと恐怖を煽る感じで、強く印象に残っていた。


 そのことを書こうか。いや、あのアオセンの事だ。『不謹慎な事を書くんじゃないっ!』って、訳わかんないくらい怒るんだろうな。しょうがない。小林と一緒に調べるか。


「(あぁ……ダルい……)」


 退屈な授業から解放されて、俺は大きく伸びをした。





◆◆





 放課後。


 帰りの支度を整えていると、スポーツ刈りの眼鏡をかけた男子生徒が俺の席に近づいてきた。小林だ。小学校時代からの悪友の一人。パソコン関係にやたらめったに詳しい奴。


「高野、お前、この後ヒマ?」


「ヒマだよ。なに? ゲーセン寄ってく? だったらまた格ゲーしようぜ。最近新しいコンボ考えたからさ、試したいんだよね」


「いや、ゲーセンもいいけどさ」


 小林は俺から視線を逸らすと、ちょっと心配げな視線を教室の真ん中あたりの席に向けた。その様子を見て彼が何を言いたいのか、何となくだけど把握できた。


「松原ん()に行ってみない?」


「あー……見舞い?」


「そう」


「あいつ、学校休んで二週間だっけ」


「そう。やっぱ、ほら、心配じゃん?」


 松原裕太。小林と同じ俺の小学校時代からの悪友の一人。昔からスポーツ万能で頭脳明晰……とまではいかないが頭は良い。


 宿題で分からないことがあったら、何時も助けてもらっている。高校では陸上部に所属していて、短距離のエース。県大会で優勝したこともあるくらいだ。


 でもモテない。多分、俺や小林みたいなボンクラとつるんでいるせいだ。だがそれも、裏を返せば女よりも友情を優先しているってことになる。あいつはいい奴だ。人の悪口を言っているところ、見たことないもんな。


 そんな健康優良児を絵に描いたような彼が二週間も学校を休んでいる。クラスの中ではちょっとした事件だ。先生の話によると、厄介な夏風邪に罹ったらしい。


 最初は、俺も小林も『あんなにしっかりした奴でも風邪引くんだな』ぐらいにしか思ってなかった。でも、休みが三日、四日、一週間と長引くうちに、楽観よりも心配の方が勝ってきた。


「あいつが二週間も休むとかさ、普通じゃねーって」


「うーん……でもさぁ」


 松原の家。それを思い浮かべるだけで苦笑いが出てくる。


「あいつん家さ、ここからめっちゃ遠いぜ? 片道二時間だぞ?」


「あー……やっぱりお前もか」


「やっぱりって?」


「いや、他の奴らにも声掛けたんだけどさ、断られちまったよ。やっぱ遠いよなぁ」


「しかも外灯ねぇし。七時過ぎると周り真っ暗で、あぶねぇよあそこ。他に家もないから人の気配はゼロ」


「それな。しかも山の上のほうにあるから、道も狭いし、虫は多いし」


「行くんだったらさ、今週の土曜日に行かね?」


 教室の壁にかけてある時計を見る。時間は既に午後四時を回っていた。


「今からだと、あいつの家に行って帰ってきた頃には、八時過ぎてるぜ」


「そうだな。じゃあ今週の土曜日に。時間はこっちで指定するよ」


「おう」


 俺は席から立ちあがると、ぺしゃんこに潰れた学校指定の学生鞄を担ぐようにして背負った。


「それで、どうする? ゲーセン行くか?」


「いや、遠慮しとくよ。実はさ」


 小林は、やけに嬉しそうな顔で言った。


「新しいノーパソが入荷したって聞いたから、ちょっと家電屋に行きたいんだよね」


「相変わらずだなぁ。先月買ったばかりだろ? そんなに沢山買ってどうするんだよ」


「勿論、愛でる為だよ」


「キモい」


 苦笑いしか出てこない。蓼食う虫も好き好きって言うけれどコイツの趣味は良く分からん。パソコン機器の蒐集なんて、そんなの楽しいんだろうか。


「キモくねーよ。てかお前もさぁ、いい加減スマホにしろって。いつまでガラケーで乗り切る気だよ」


「だって、LINEとか面倒くさいじゃん」


「別にスマホ買ったからって、必ずLINEしなきゃいけねーってこともねーだろう」


「それに俺、パソコン関係は良く分かんないしな」


「スマホはパソコンじゃねぇよ」


「えぇ? 似たようなもんじゃねぇの?」


「全然ちげぇよ。分かりやすく言うとだな――」


 教室を出た俺と小林はいつものように一緒に帰った。小林の熱の入ったパソコン談義に俺が突っ込みを入れる。毎度のやり取りを繰り返しながら、途中で別れた。


 別れる直前、土曜日に松原の家に行くことを、俺達は再度約束した。





◆◆





 結論から言うと、俺と小林が松原の家に行くことはなかった。


 正確には、行く必要がなくなったのだ。


 小林と松原の家に見舞いに行く約束をした日の翌日。つまりは水曜日のことだ。松原の奴が、学校にやってきたのだ。


 でも、俺も小林も、登校してきたあいつの姿を見て、まずなんて声を掛けてよいのか分からなかった。


 松原は陸上部に所属していただけあって、同学年の中でも結構がっしりした体格の持ち主だった。それが、教室のドアを開けて入ってきたあいつの姿を見て、俺も小林も……いや、クラスの奴らみんなが息を呑んだ。


 松原の奴、驚くほどに瘦せ細っていたんだ。顔色も悪くて、頬がひどく落ち窪んでいる。夏服の上からでもはっきりと分かるくらい、あいつの筋力は落ちていた。


 おまけに、いつもワックスで整えているはずの髪はボサボサで、寝不足が続いているのか、目の下には酷い隈ができていた。


 変わり果てた姿になった松原は誰とも視線を合わそうとせず、「おはよう」と、聞こえるか聞こえないかぐらいの小さな挨拶をした。


 みんな、「おはよう……」と、まばらに、遠慮がちに返事をする。俺と小林は松原の変わりように驚いて、口をもごもごさせるしかなかった。


 松原は視線を下に向けたまま、ちょっと覚束ない足取りで俺の席の前を通ると、自分の席に向かった。


「(……あれ?)」


 今、松原の奴、こっちを睨まなかったか?


 いや、気のせいだろう。というかあいつ、目つきも大分悪くなったな。やっぱり、体調がまだ優れないんだろうか。


「あいつ、どうしたん?」


 何時の間にか俺の席までやってきていた小林が、ひそひそと耳打ちしてきた。俺は、松原の小さくなった背中に視線を向け、首を傾げるしかなかった。


「まだ体調が悪いんじゃないのか?」


「そうなのかなぁ」


「そうだろう」


「でも、なんかちょっとおかしいぜ……」


 小林の松原を見る目が、得体の知れない虫を見るかのような目つきになっている。友達が友達にそんな目を向けるのが、俺には居たたまれなかった。


 軽い調子で松原に一声かけてやろうとも思ったが、松原の陰気なオーラが、それを許してくれない。周りの奴らを拒絶しているような、そんな雰囲気に近かった。


 結局、俺は松原と一言も口を交わすことなく、朝のホームルームの時間が終わり、退屈な授業へと突入した。


 そうして、昼休みのチャイムが鳴った後。


「松原、飯、食いにいかねー?」


 俺は小林を連れて比較的明るい調子で松原に声をかけた。


 いくら変わり果てた姿になったとはいえ、松原が俺にとって大事な友達であるのは変わらない。声をかけるのに正直、ほんの少しだけ勇気がいったけれど、このまま放っておくわけにもいかなかった。


「なぁ、早く行こうぜ。食堂の席、なくなるぞ」


「高野」


 松原が顔をこっちに向けて、掠れた声で俺の名前を呼んだ。それまで聞いた事もない松原の陰気な声に、俺はちょっとだけビビった。


「なんだよ」


「ちょっと話がある。ついてこい」


 松原はそう言って席を立つと、睨みつけるような目で俺を見てきた。体はすっかりなよなよしているのに、やたらと力のある眼だった。そうして松原は、自分だけ先に教室を出て行った。


「お前、松原と喧嘩でもしたの?」


 小林が怪訝そうに尋ねてきた。慌てて首を横に振る。


「するわけねーだろ」


 それにしてもいきなり呼びつけるとは。松原の奴、何考えてんだ?


 訳が分からないまま教室を出た。入り口のところで、松原は待っていた。


「ここだと人目につくから、体育館の裏まで行くぞ」


「お、おう……」


「……」


 松原は、ひとしきり俺を睨みつけた後、背を向けて先を歩いた。


 何か気に障ることでも言っただろうか。事情を説明してくれと言いたかったが、とてもそんな雰囲気ではない。何だか、こっちの気分も重くなってきた。


 さっきの視線で分かった。松原は、俺に対して怒りを抱いている。でも、こいつと喧嘩したのなんて、確か小学校時代が最後だ。ゲームソフトの取り合いが原因で。まさか、その頃のことを今でも根に持っているとか? 


 いや、そんな馬鹿な話があるか。小学校時代の話だぞ? それに、中学高校と、俺と松原は一度だって喧嘩していないじゃないか。


 じゃあ、なんで俺を睨む?


 堂々巡りの思考から抜け出せないまま、俺と松原は体育館の裏手に辿り着いた。青々と茂る雑草が、うっとうしいほどに足に絡みついてくる。今日も太陽は燦々と輝いていて、体育館の屋根がつくる日陰も、ほとんど意味を為していない。土の匂いが、やけに鼻についた。


「話って、なんだよ」


 遠くから聞こえる蝉の鳴き声が、つんざくように俺の鼓膜を震わせる。べったりと背中に滲む汗が気持ち悪くて、さっさとこの場を立ち去りたかった。


「俺さ……お前のこと、ずっと友達だと思っていたんだ」


 松原は振り返ると、俺の目をじっと見て、突然そんなことを口にした。


「小学生の頃は色々喧嘩とかしたけどよ、俺、お前とはいい友人関係を築けていたと思っていたんだ」


「なんでさっきから過去形なわけ?」


「決まってんだろ。もう友達じゃねぇからだよ」


 吐き捨てるような口調だった。ハンマーで後頭部を殴られたような衝撃。心臓の鼓動が、嫌でも早まる。


「なんだよ、その言い方……」


 一方的な絶縁宣言に最初は狼狽したものの、徐々に怒りが沸いてきた。


「久々に登校してきたと思ったら、言うことがそれかよ」


「何でお前が怒るんだよ。怒ってんのはこっちだぞ」


「何一人でキレてんだよ。てめぇ、冗談もいい加減にしねぇとぶん殴るぞ。ふざけんなよ」


「ふざけてんのはどっちだ。あんなブログ書いといて、良くそんなことが言えるな?」


 ブログ?


「ブログって……なんだよそれ」


「とぼけんじゃねぇ。あんな悪趣味なブログ書きやがって……知らなかったよ。お前があんな趣味持っていたなんてよ。ただの格ゲー馬鹿だと思っていたんだけれど、人は見かけによらねぇものだな」


「いや、ちょっと……」


「あのブログ、今日中に消せよ。絶対だぞ。でなきゃ、小林にもこの事言うからな」


「だから、なんだよブログって……お前も知ってるだろうけど、俺、パソコン持ってねーし、それにガラケーだぞ? どうやってブログなんか――」


「いいから消せって言ってるんだよっ!」


 痩せ細った体つきからは信じられないほどの怒鳴り声だった。唇を噛み締めて、怒りの籠った視線を俺に向けている。でも、俺には何がなんだかさっぱりで、何と返事をして良いか分からない。


 ブログって、コイツ何の話をしているんだ?


「お前が……お前が俺の家をネタにしだしてから、ずっとおかしいんだよっ!」


 松原が、涙目でまくし立てた。


「朝起きたら天井に知らない爺さんの顔がでっかく張り付いているし、部屋の隅からはわけわかんない虫が沢山溢れてくるし。おまけに毎晩毎晩、庭で子供の泣き声が聞こえるんだよ。大音量で。外に出ても、誰もいねぇ。でも部屋に戻るとまた聞こえる。おかげで寝不足だよ。飯を食ってたら、何時の間にか口の中に女の長い髪の毛が混じってるし、風呂に入ろうとしたら、沢山の生首が湯船に浮かんでるんだぞっ! 今まではそんなことなかった。でもお前がブログに俺の家の事を書いてから、ずっとこんな調子なんだよっ!」


 松原はひとしきり喚き倒すと、今度は縋るような視線を俺に向けてきた。あからさまに媚びるような態度。これまでの付き合いの中で、それは初めて目にした表情だった。


「なぁ、俺がお前に何したってんだ? 俺、何か不愉快にさせるようなこと、お前にしたか? だったら謝る。謝るからよぉ……頼むから、本当に頼むから、あのブログ、すぐに消してくれよぉ……このままじゃ、俺、どうにかなりそうなんだよぉ……」


 松原は地面に膝をついて、堰を切ったように大声で泣きじゃくりはじめた。陸上部のエース。誰からも慕われていたはずの松原が、癇癪を起こした子供さながらに涙を流している。少なくとも、それはかなりの衝撃的な光景だった。


「し……」


 思わず、俺は後ずさった。


 こいつ、明らかにおかしい。異常だ。


 目の前にいる松原が、俺の知る松原から遠くかけ離れた存在のように思えてきた。松原の泣き声が激しさを増していく。重苦しい空気。恐怖心が、ひどく掻き立てられた。


「し、知らねぇよ! 俺はブログなんてやってねぇ! お前の勘違いだろっ!」


 一方的に告げると、俺は……本当に情けない話だけれど、松原に背を向けて走った。逃げたんだ。あれだけ大事にしていた友達の願いを、無下に断って。


 でも仕方がない。だって本当に覚えがないんだ。ブログなんて、そんなもの俺はやっていない。俺じゃないんだ。誰かと勘違いしているんだ。そうだ。きっとそうに決まっている。俺は関係ない。


 後ろから、松原の泣きじゃくる声が延々と聞こえたけれど、俺は振り返ることなく走り続けて、教室に戻った。昼休みはまだ終わっていなかった。それでも、これから食堂に行って飯を食う気になんてなれなかった。


 松原の顔を思い出す。正気を失った友人の顔。脳裡に鮮明に焼き付いて離れない。あれは何と言うか、人間のする表情じゃなかった。


「(本当にあいつ、どうしちまったんだ……)」


 目の前に突きつけられた現実に打ちのめされて、俺は午後の授業をほとんど放心状態で聞き流していた。放課後になって、小林がゲーセンに行こうと誘ってきたけれど、それも断った。とても行くような気分じゃなかった。


 松原は昼休みの一件を境に、教室に戻ることはなかった。


 体調が優れないと訴えたらしく、早退したという。




 

◆◆





 その翌日。


 学校からの帰り道。山の向こうに沈んでいく真っ赤な夕日が、通学路に長い影を作っていた。コンビニで買ったアイスキャンディーを舐めながら、俺はとぼとぼとした足取りで家路についていた。


 結局、松原はまた学校を休んだ。


 小林の奴が『昨日、松原と何話したんだ?』って聞いてきたけれど、曖昧に濁した。まず何から話して良いのか分からなかったし、昨日の松原の壊れっぷりを話すのが、何となく恐ろしいと思ったからだ。


「ただいま」


 家に着くなり、俺は靴を脱いでリビングに向かった。目についたゴミ箱に、アイスキャンディーの棒を突っ込む。


「あら、今日は早かったのね」


 キッチンから、夕飯の準備をしていたらしい母さんが出てきた。


「こう暑いと、寄り道する気分もなくなるよ」


「そう。夕飯、六時半ごろには出来るから」


「はいはい」


 洗面台で手を洗い、うがいを済ませ、二階の自室へ。ベッドに向かって鞄を放り投げる。夕飯まで勉強しようかとも思ったが、今はそんな気分じゃない。


 再びリビングに向かってから、服を脱いでジャージに着替える。適当にテレビのチャンネルを合わせて、俺はごろりとソファーに横になった。


 何となく、松原の事を考えていた。ブログを消してくれっていう奴の言葉が、未だに引っ掛かる。でもそれ以上に奇妙なのは、あいつが口にしていたおかしな現象の数々だ。


 話だけ聞いてみれば、どう考えても心霊現象だ。いまいち信じられないけれど、でも松原の必死な様子を見る限り、嘘をついているとは思えない。しかも俺がブログとやらを書き始めた時期に、それは起こっているという。


 誓って、俺はブログなんて書いていない。家でパソコンを持っているのは父さんだけで、しかも仕事用のノーパソだ。ブログなんてできるはずもない。


「いや、まてよ……」


 もしかしたら、俺の名を騙る別の誰かがブログを運営しているのか? そこにたまたま松原の家の事が書かれていたとしたら……あぁ、でも分からない。仮にそうだとして、なんであいつの家で心霊現象が起きるんだ? あいつが見たっていうブログに、一体なにが書かれているんだ?


 考えているうちに欠伸が出た。壁に掛けられた時計を見ると、午後五時を指している。飯時まで一休みするか。


 俺は、じっと目を閉じた。





◆◆





 何かの物音を聞いた気がして、俺は自然と目を開けた。怠い体を起こし、ひとしきり欠伸をする。寝ぼけ眼をこすって時計を見ると、午後の六時を指していた。


 その時だった。


 ピンポンと、家のチャイムが鳴った。


「母さん、誰か来たよ」


 無音。キッチンから返事はない。


「母さん?」


 ソファーから立ち上がり、キッチンに向かう。


 誰もいなかった。ガスの火は消されていた。


 合点がいって、俺は溜息をついた。


「また買い忘れして出かけたのか……」


 ピンポン。再びチャイムが鳴る。


「あ、ちょっと待ってくださーい」


 玄関に向かって声を張り上げながら、俺はジャージ姿のまま、サンダルを履いて玄関のロックを開けた。


「どちら様で――」


 言いかけて、ぞっとした。


 扉の向こうから、無遠慮にも手が伸びてきた。


 ギラリと光る物。包丁を握った手が。


 やばい――本能的に危機を感じて、俺は慌ててドアを閉めようとした。


 でも、それよりも速く、ドアの向こうに立つ人物が滑るようにして体を入れてきた。


 なんだ? なんだっ!?


 パニック状態に陥った俺の視界で、その人物は包丁を握った手を振りかざし――


「がはっ!?」


 胸に、鋭い痛み。ジャージ越しに、大量の血が溢れる。


「た、助け――」


 逃げようとしたけれど、足に上手く力が入らない。


 床に散らばった血糊で足を滑らせ、俺は仰向けに勢いよく転んだ。後頭部に鋭い痛み。目の奥がちかちかするが、今はそんなのどうでもいい。


 必死に手足を動かして逃げようともがいたけれど、包丁の動きは恐ろしいほど正確だった。


 べったりと血に濡れた刃が勢いよく振り下ろされ、胸の奥深くに叩きつけられた。人生で初めて味わう、例え難い絶苦。激しく咳き込みながら吐血するしかなかった。


 一度だけじゃなく、何度も執拗に、凶行は繰り返された。


「か、かあさ……」


 この場にいないはずの母親の名を呼ぼうとするも、大量の血液が喉の中で氾濫を起こして声にならない。ごぼごぼと、血の泡ぶくが口の端から漏れる。


 侵入者はしつこかった。馬乗りになって、怨みの念をぶつけるように包丁を振りかざし、突き立てる。体中の至るところから血を流し、筋肉と内臓が異常な痙攣を起こしても、凶器を握る手を止めてはくれない。只ならぬ悪意が極限まで凝縮して、俺を貪り喰らい尽していく。


「お前のせいだ……お前のせいだ……」


 薄れる意識の中、俺は確かに見た。


 血走った目で、口を歪ませ、嗤っている松原の顔を。


 あぁ、死ぬ――松原が、俺を殺している――


 意識が朦朧とする中、一筋の涙が頬を伝って床に落ちた。やけに大きな音だなと思った時だった。


「はっ!?」


 反射的に身を起こしていた。腰に伝わる感覚。自宅のソファーだ。


 時計を見る。時刻は午後の五時。


 手を動かして体のあちこちを触る。傷がない。呼吸をする。生きている。


 耳をそばだてると、キッチンから母さんの鼻歌と、ぐつぐつと鍋の煮え立つ音が聞こえた。


 暫しの間、俺は息を殺していたが、しばらくして緊張の糸が切れた。


「あぁ……なんだ……夢か」


 どっと疲れが押し寄せてきた。俺はソファーに体を預けて、大きく溜息をついた。脇の下も背中も、ひどく汗を掻いてべたついていたけれど、着替える気にはなれなかった。


「嫌な夢だったなぁ……」


 それに、リアルだった。包丁の存在感。体中をはしる激痛。口の中に広がる、鉄錆に似た血の味。松原の、あの歪んだ笑顔。何もかもが、現実に起こったと錯覚してもいいほどの質感と匂いを伴っていた。


 あんな夢を見るなんて……と、軽い嫌悪感に陥っていると、リビングの電話が鳴った。


「はいはい、今出ますからねぇ~っと」


 キッチンから布巾で手を拭きながら、ぱたぱたと母さんが走ってきて、電話に出た。


「はいもしもし、高野です……あら、先生、いつもお世話になっております」


 電話の相手は、うちの担任教師らしい。


「どうかされて……はい……はい……えっ!?…………まぁ、そんな…………はい…………わかりました。息子には連絡しておきますので……はい。それでは……」


「どうかしたの?」


 只ならぬ気配を察知して尋ねると、母さんは震える手で受話器を置いて、青ざめた表情で俺に言った。


「松原君、亡くなったって……」


 遠くで、蝉の鳴き声がした。





◆◆





 夏。


 うだるような暑さは、夏休みが近づくにつれてますます激しさを増していった。俺を始めとして、ただでさえクラスの連中の気分は落ち込んでいるのに、そんな俺達の心を追いつめるような蒸し暑さだった。


 自殺だったという。


 あの電話があった日の昼過ぎのこと。松原のお母さんが買い物から帰ってくると、自室で首を吊っている松原を発見したんだそうだ。


 通夜には、俺や小林を始め、クラスの連中や先生方はもちろん、陸上部の仲間や、他のクラスの奴らも参加した。みんな泣いていた。小林も、泣いていた。


 でも、俺は泣けなかった。松原が俺に告げた内容や、亡くなった日に見た悪夢のこともあって、悲しかったけれども泣けるような気分じゃなかった。


 松原の通夜が終わったころ、クラスでいじめが発生した。


 ターゲットは俺だ。


 どうにも、通夜の場で俺が泣かなかったことが原因らしい。小学校時代からの付き合いのくせして、涙も流さないなんて薄情な奴だと思われたようだ。


 持ち物を隠される。話しかけても無視される。トイレに呼び出されて徹底的に殴られる。先生も見て見ぬふりを決めこむ。そんな日が二週間ばかり続いた。


 きっと、これからもっと酷くなるんだろう。でも、俺が通夜の場で涙を流さなかったのは事実だから、どうしようもない。


「高野」


 憂鬱な一日を終えてさっさと帰ろうと支度をしていると、小林が真剣な様子で話しかけてきた。俺が虐められても、こいつだけは変わらず話しかけてくれる。それが、本当に有難かった。


「なに?」


「いま、時間あるか」


「ああ」


「ちょっと、お前に話しておきたいことがあってさ……屋上に行こう」


 小林と教室を出るとき、後ろでクスクスと笑い声がした。振り返ると、クラスの男子と女子が、猫の死骸でも見るかのような目で、俺を睨んでいた。


「ほっとけよ。あんな奴ら」


「うん」


 小林の言葉に急かされて、俺はその場を後にした。『薄情者っ!』と、誰かが叫んだような気がした。


 うちの高校は、案外不用心なところがあって、放課後になってもしばらくは、屋上の鍵が開いている。


 俺と小林は三階から屋上に続く階段を上ると、重い扉を開けて、屋上に出た。


「お前もさ、俺にあんまりかまうなよ。虐められるぜ?」


 務めて明るい調子で言いながら、近くのベンチに座る。


「関係あるかよそんなの。薄情なのはあいつらの方だぜ? いままで普通に接していたくせによ……っと、今日は愚痴を言う為にお前を連れ出したんじゃないんだ」


 俺の隣に座ると、小林は開口一番に言った。


「お前、ブログやってるの?」


「……やってねぇよ。なに、松原から聞いてたの?」


「あぁ……松原が自殺した日の朝にな、俺のスマホに電話があったんだ。松原の奴、訳わかんない事言っててさ。高野の書いたブログのせいで、いよいよとんでもないことになったって。お前から、即刻ブログを消してもらう様に高野に言ってくれって。でも、お前、パソコン音痴だろ?」


「まぁな」


「スマホもやってねぇしな。俺はそのこと知ってたから、多分それ、高野になりすました別人が書いてるブログじゃねぇのかって言ったんだ。でもあいつ、全然聞く耳持たなくてよ。そんなことない。高野がやったに決まってるって、ぎゃんぎゃん喚いてたよ」


「それで? どうした?」


「もう登校時間も迫ってたし、また今度ゆっくり聞くからって言って、電話を切ったんだ。で……だ。本題はここからなんだがよ」


「何かあったのか?」


「いや、通夜の後で、松原のお袋さんにお願い事をされてさ」


「お願い事?」


「松原の奴、修学旅行とか陸上部の合宿の時にデジカメで撮影した写真を、ノーパソの中に保存していたらしいんだよ。それを想い出の為に、現像したいって言われてさ。自分はパソコン詳しくないし、小林君は息子と仲良くしてくれていたから、信用できるって言われて、ノーパソを預かったんだ」


「元のデータとか、なかったのか」


「探したけれど、見つからなかったんだと。作業自体は、まぁ楽勝だったよ。SDカードぶっ挿してデータ吸い出すだけだからな。あいつ、クラウドにも写真保存してたんだ。すげぇ量だったよ」


「ふーん」


「でな、作業の時、俺、本当にたまたまなんだけど、あいつのウェブサイトの閲覧履歴を見ちまったんだよ」


「お前なぁ……それ、いいの? いくら友達でも、それは……」


 俺が少し咎めるような口調で言うと、小林は申し訳なさそうな笑みを浮かべた。


「いや、本当にたまたまなんだ。俺も悪い事しているなとは思ったんだけど……でも、そのお陰で掴めたぞ」


「何がよ」


「あいつの言っていたブログの正体が掴めたんだ」


「本当かっ!?」


 思わず、大声を出していた。


 小林が、俺の大袈裟ともとれる反応に対して、神妙な面持ちで頷いた。と、そこで何かを言い澱むように、視線を忙しなくあちこちに向け始めた。これから話す内容を口にすべきかどうか、悩んでいるように見えた。


「……なんだよ。どうしたんだ?」


「あのさ……マジ、何度もしつこく聞いて悪いんだけれど……お前、マジでブログやってないよな?」


「やってねぇ。誓って、やってない。大体、パソコンもスマホもなしに、どうやってブログを書けるっていうんだ」


「だよな……分かった。話すよ」


 意を決した様子で、小林は夏服の胸ポケットからスマホを取り出した。


「松原が亡くなる前日まで見ていたブログだ」


「……なんだ、これ」


 差し出された画面を見て、俺は言葉を失った。


 ブログのタイトルは『心霊写真館』。


 毒々しい赤字のフォントに、背景は黒一色。サイドバーには、その手のバナーがひしめくように張り付けられていた。


「あいつ……こんなサイトを見る趣味があったのか?」


「分からん。たまたま見つけたのかもしれない。問題なのは、このブログの中身なんだよ」


 小林は俺に画面を向けたまま、右手で器用に画面を操作した。右のサイドバーに表示されているカレンダーの中から、『2016年6月6日』の項目をタップする。


 ページが切り替わり、白字でサブタイトルが書かれていた。『東北地方最恐最悪と噂される心霊スポットに行ってきましたっ!』と書かれている。


 内容は、ほとんどが画像で埋め尽くされていた。フラッシュを焚いた画像から察するに、恐らくは夜に撮られたものだろう。


 画像の下に、ブログ管理人の短いコメントが書かれている。大体が、『見るからに嫌な雰囲気がします』とか、『車でこの道に向かう途中、何度も不可解なエンストを起こしました』とか、『見てください。オーブです。恐らくは死者の怨念が、この場に渦巻いているのでしょう』といった、閲覧者の恐怖を煽るようなものがほとんどだった。


 でも、俺の目を引いたのは、そうした管理人の一言一句よりも、表示されている画像そのものだった。


 舗装されていない道路。鬱蒼とした林。ぽつんぽつんと設置された電柱。首のとれた地蔵。潰れて錆びだらけの外壁が特徴的な工場跡。廃棄された水車。崖下を流れる大きな河。


 全てに、見覚えがあった。俺にも、そして小林にも。


「で、これが最後の画像だ」


 一番下のページにスクロールしていくと、画像が一枚張り付けられていた。例によって、管理人のコメントがついている。『そしてここが、目的の家です。近づくだけでも恐ろしい、呪われた家です』と。


 画像を見て、俺は愕然とした。小林も、隣で息を呑んでいる。


 木造の平屋。


 松原の家だった。


「どういうことだよ……なんだよ、このブログ……」


「ふざけんなって感じだよな」


 小林が、心底嫌そうな調子で口にするのを、俺は黙って聞いていた。


「俺もお前も、あいつの家には良く行っていたけど、幽霊とか見たことあるか?」


「ないよ。確かに周りは暗い雰囲気だったけれど、幽霊なんて見たことない」


「だろ? 俺もない。他のクラスの奴らから聞いた事もない」


「じゃあ、なんでこんな事が書かれてんだよ……」


「多分、昔あった洪水が原因なんだろう。あれで多くの人が亡くなったって話だ。それを聞いて、この管理人は松原の家を訪れたんだろうな。ブログのネタになると思って」


「洪水……そういえば、治水に失敗して氾濫しまくった河って、松原の家の近くに源流があるんだったか」


「ああ。でも一番ふざけてるのは、コメント欄だよ」


 言って、小林は画面端のコメント欄をタップした。  


 そこには、俺達の知らない人たちからの、無遠慮にも過ぎるコメントがずらずらと並んでいた。


『気味の悪い家ですね。画面越しから計り知れないほどの憎悪を感じます』


『ここって、確か昔洪水で亡くなった人たちの怨念が渦巻いているって言われてる場所ですよね? 管理人様、体調など崩しておりませんか?』


『一番最後の画像から、死者たちの強い無念を感じます。私は霊媒師をやっておりますが、即刻、お祓いを受けるようお勧めします』


『今度、彼女と一緒に肝試しに行ってきます。幽霊、出るかな~?』


『この家で、陰惨な事件があったのは間違いないですね』


『ページを部屋で見ていたら、外から得体の知れない唸り声が聞こえました! マジでやばいですよっ!』


 ……コメント数は、百以上にも上っていた。


「こいつら……」


 怒り心頭だった。拳を固く握り締める。怒鳴りたい気分だった。この、顔の見えない奴らに対して。何を好き勝手に言っているんだと。その家は、俺の友達が住んでいる家なんだ。幽霊なんて出るわけがない。それなのに、何を好き勝手なことを書いているんだよっ!


「松原の奴……真面目で思い込みの強いところがあったからな。恐らく、ブログやコメントの内容に悩まされて、それで自殺なんかしたんだろう」


「そうか……だからあんなことを言っていたんだ」


「あんなことって?」


 俺は、小林に伝えた。松原が二週間ぶりに登校してきた日に、俺に喚き散らして聞かせてくれた、心霊現象の数々を。


「あいつ、幻覚見るくらいに、苦しんでいたんだな……」


 こんなブログを見たばっかりに、自分の家に幽霊がいると思い悩み、それが幻覚として松原の目の前に現れたのだ。そうに違いなかった。言い換えれば、このブログ主と、そこに書き込んだ匿名の奴らが、松原を殺したと言ってもよかった。


 小林は俺の話を一通り聞き終えると、顔を真っ青にして俺の顔を見た。


「お前……それ、多分、幻覚じゃねぇよ」


「は? 何言ってんだよ。幽霊なんているわけ――」


「俺、話そうかどうか迷ったんだけど……」


「何?」


「これ、誰にも言うなよ。松原のお袋さんに、借りてたノーパソを返しに行ったとき、お袋さん、言ったんだよ。君には本当の事を話すけど、あの子は自殺じゃない。殺されたんだって。首の周りに、大量の女の髪の毛が巻き付いていて、それで首を絞められて死んだんだって。でも、警察の人が、事件性が見られないから自殺と判断したんだって」


「……なんだよ、それ……」


 背筋を、冷たい汗が流れた。


「俺も、最初は信じられなかったよ。当たり前だろ? お袋さん、大分ショックを受けて現実を直視できないんだなって、そう思ってた。でも、今のお前の話を聞いて、分かったよ。多分、あいつは呪い殺されたんだ。幽霊たちに」


「だから、幽霊なんていないって。俺もお前も、あいつの家でそんなもんに遭遇したこと、ないだろう?」


「……呼び込むとしたら?」


「え?」


 小林が、声を震わせて言った。


「このブログに書き込んだ内容が嘘だとしても、書き込んだ内容が何らかの影響力を持って、霊をあの家に呼び込んだとしたら、どうなる?」


「…………」


「言霊って、あるだろ? 人の言葉には魂が宿るって。それって、こういうブログのコメント欄にも当てはまるんじゃないのか?」


 小林の自論を、俺は否定できなかった。松原のあの取り乱し様を思えばこそだった。あれは、妄言なんかじゃなく、正真正銘の心霊現象だったのか。そう思い込む自分と、そうじゃないと訴える自分がいて、なんと判断を下して良いか、分からない。


「……あ」


 そこで、俺は重要な事に気が付いた。


「あのさ、小林」


「なんだ?」


「幽霊が、その……いるかいないかは別として、だ。このブログが、松原が亡くなった原因になったのは分かった。でも、なんであいつ、このブログを俺が書いているって、思い込んだんだ?」


「それも分かったんだよ」


「え?」


「俺も驚いたんだけどさ……」


 小林は、躊躇いがちにまた画面を操作した。右のサイドバー。『プロフィール』と書かれた場所をタップする。


 画面が切り替わる。写真と名前、それに生年月日と出身地。趣味の項目が表示された。ブログ管理人のプロフィールだった。


 息を呑んだ。今度こそ、本当に訳が分からなかった。


「これ、お前の顔だよな?」


 プロフィール写真。


 どこかの港を背にして、俺の顔が映し出されていた。


 笑っている。おまけに、ピースサインまでして。


 他人の空似とか、そういうレベルじゃなかった。


 俺の知らないもう一人の俺。


 髪型から、顔のほくろの位置から、頬の肉付きまで同じ。


 出身地も生年月日も、文字通り、何から何まで俺そのものだった。


「え……え……?」


 誰だ、こいつ。


 この画面にいる俺は、一体誰だ?


「違う……違う! 違うんだよ小林っ! 俺、こんな写真撮った覚えないっ! 誰なんだよこいつっ!」


 怖い。俺の知らない俺がいる。俺が、もう一人いる。


「なんでだっ!? なんで俺がいるんだよっ!」


「俺にも分かんねぇよっ!」


「怖ぇ……俺、怖ぇよ……」


 怯え、小林の肩に縋りつく。恐怖から、涙が出る。止まらない。ぼろぼろと零れ落ちる。


「なんでだよ。なぁ、なんで俺がいるんだ? なんで俺は、あんなブログを書いているんだっ!?」


 小林は、明瞭な答えを持ち合わせていないのか。事実を告げたことを後悔するように、頭を抱えて、一言も発さなくなった。


 嫌だ。松原が死んで、虐められて。その上、小林からも変な目で見られるのは、耐えられない。だから、俺は俺の潔白を、大声で証明するしかなかった。


 俺は誓って、ブログなんてやっていないんだから。


「俺じゃないっ! 本当に、俺じゃないんだっ!」

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[良い点] 特定の言葉を徹底して物語に絡めているところ。 思い込み。 それによって、人が狂わされていく様子を見たように思います。 [一言] ブログの写真は、適当な合成写真。 犯人は名前も出てないク…
[良い点] 久しぶりに迫力あるホラーを読ませていただきました。 ひいい、もしかしてドッペルゲンガー!? などとも思いましたが、過去の作者さんの感想返信で「ドッペルゲンガーではない、別の何か」というよう…
[良い点] 「あの一作企画」から拝読させていただきました。 「不条理」というものは一番の恐怖かもしれません。
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