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Losers  作者: ビーナ
1章:這い上がる者、蹴落とす者
9/49

異端者は嗤う

 金谷都がカビの樹海を発生させた元凶であることは間違いない。そして、その樹海を発生させる方法は、金谷固有の能力によるものだ。

 妖怪にとって能力とは、一般に知られている伝承や噂に沿った、もしくは関係した内容となっているが、稀にその範疇を超えた、固有の能力を持つ者が現れる。

 人間で例えるところの超能力に当たるのがその『固有のスキル』になる。

 カビを発生させる、というのは彼女の正体から、そこまで逸脱したレベルではない。

 逸脱しているのは、その効力だ。

 目に見える程度のカビを生み出した後、菌で樹海を構成し、意のままに操る。あれだけの規模をまるで自分の指先のように動かしてみせている。

「お前は……まさしく私の天敵だ」

 椅子に縛り付けられたまま女が呟く。その光景を満足げに眺めながら、金谷はズイッと顔を近付ける。

「ですねー。カテゴリー的には同じものかもですけれどー、真水と下水くらいの違いがありますねー」

「にも拘らず、私がお前に従っているのは――分かっているな?」

 彼女の首元に装着されたチョーカー型のプラスチック爆弾のランプが点滅する。身体の電気信号を読み取り、感情の起伏の応じて爆弾が点火する――この研究施設が妖怪を御するために制作したものである。

「分かっていますって―。これでも、私は約束を守るチョー良い女ー」

 協力者を縛り付け、強引に従わせるという手段を取りつつも、棚上げして善人だと言い切ってみせる金谷に思わず表情が渋くなる。

「ウリア・ロイ・ラグーシ。この研究施設の元研究員さんにして、『被験体』さん。ここを壊滅させた犯人はー、もうすぐ近くまで迫っていますよー。あと、あなたの同僚が作ったーホムンクルスも一人いますしー」

 そうか、と短く頷いて、ウリアは自分を縛る菌類で構成された縄に指先で触れる。

「植物である以上、私の支配からは逃れられない。カビも植物だ――」

 『緑の(ジャイアント・)化身(フォレスト)』。

 ウリア固有のスキルではなく、彼女の正体故に持つ能力。妖力を媒介に、触れた植物を自分の意のままに操る能力。操る植物はウリアと五感を共有するが、傷を追っても本体へのフィードバックは無い。ラジコンとコントローラーのような関係性と言えば分かりやすいだろうか。機体が破壊されたからといって、コントローラーまでもが損壊する訳ではない。

「私が提供するのはあくまでもお前が培養するカビの苗床だ。お前のカビが寄生する樹木なら提供してやるが――だからと言って、私とお前が協力関係にあるという訳ではない」

「勿論ですよー。貴方は自分の保身に全力を注いでいただいて構いませんしー、もしも協力する気になっていただいたのであれば、それも有りですねー」

「後者は間違いなく有り得ないから頭の片隅にも留める必要はない」

「私と一緒に来ないとー? でもー、どうも角弓が裏切ったっぽいからー、空いた穴を埋める人員を探してたんですよねー」

 角弓は自分が裏切り者としてマークされていることは、恐らく薄々勘付いている程度の認識だろう。銀川は予知能力であらかじめ知っていただろうし(嫌っている金谷には伝えなかったが)、その他の主要メンバーも何らかの手段を用いて、耳に入れているかもしれない。

「それは丁重にお断りさせていただこうか。何分、命を握られている身なのでな――私が死んだ瞬間に、周囲の誰かを道連れにしてしまいかねない」

 どこまで本気で言っているのかは、首を傾げつつ金谷は作業を進める。

 この研究施設を訪れたのは金谷の独断ではあるが、何もただの廃墟探索に来た訳ではない。

 目的の一つが眼前の彼女――ウリアの確保及び組織への勧誘。

(こちらはおおよそ達成ですねー。ただし、このまま帰れればですが――)

 その点においても問題は無いだろう。角弓の戦闘力は組織にいる時から把握しているし、ルーザーはそもそも戦力として数える必要が無い。一番懸念していたリンネ・オルタナティブだが、カビの樹海を退け、この部屋を発見するまでに全く疲弊しない訳にはいかないだろう。

「仮にそれすらも乗り越えていたとしてもー、私には勝てませんけれど―」

「大した自信だな」

 呆れた様子でウリアが言う。しかし、金谷の言うことにも一理ある。あれだけの力があれば、相手がどれだけの策を講じようとも必ず勝てると思ってしまうというのも分かるものだ。

 一見、飄々としてふざけた言動が多い頭のおかしな女だが――標的が部屋に入ったタイミングで入口を塞ぐようにして奇襲を仕掛けたりと、なかなかに堅実的な戦略を組む。

「慢心にならないようにな」

 この言葉はそんな金谷の鮮やかな戦法を見せてもらったウリアからのせめてもの礼のつもりだった。

「? 何のことですかー?」

 とぼけているのか、それとも天然で何を言っているのか分かっていないのか――ウリアがそれを知るのは、これから10分後のこととなる。



***



 角弓突破が道を切り開き、ルーザーが守られるように真ん中を走り、殿しんがりをリンネ・オルタナティブが務める。角弓が破壊した箇所をリンネが再度叩き潰す行為は、殺した相手の死体を更に破壊するようで二度手間感が否めないが、一気に再生する触手達を相手取るリスクを少しでも削るという意味では有効だ。

 リンネ自身は単純な破壊工作は得意だが、誰かを守る行為が加わると途端に脆さが現れる。

「私は殺すしかできないからさ――自分の身は自分の力で守るしかない訳よ」

 このフォーメーションを組んだ時、リンネがルーザーに忠告した。角弓はその忠告に敢えて何も言わず、ルーザーは戸惑いながらも頷いた。

「分かって……ます。俺も、いつまでも頼っては、いられませんし……」

「とは言え、丸腰で走り続けろ、って言うのもなかなか酷な話だから、これをあげるわ」

 そう言って、リンネがコートの内ポケットから取り出したのはアンティーク調のホルダーに仕舞われた小型のナイフだった。不安げにホルダーからグリップを引くと、見事に磨かれた刃が光を放つ。素人の目から見ても業物と分かる逸品だ。

「これは……?」

「私が使っている物の中で一番小さいサイズだけれど、護身用としては充分でしょう。使い方はあんたに任せる」

「あの、俺……刃物の扱い方とか分からないんですけれど……。そんな奴が持ってて良いんですか?」

「まあ、確かに子供に拳銃を握らせる馬鹿はいないでしょうし、刃物であってもやっぱり子供に握らせるもんじゃないわよね」

 じゃあ、とナイフを返そうとするルーザーだったが、リンネは頑なに拒む。

「子供が死地に立っている以上に危険なことなんてないじゃない。例え、扱いが下手でも自分の身を守らせるためなら、銃でも刀でも、爆弾だろうと渡すわよ」

「要するに、用途が初めからハッキリしているなら、大丈夫だろう……と?」

 リンネが答えるよりも先に再生した触手が襲い掛かり、返答を聞くことはできなかった。

 譲り受けた小刀は一旦、ルーザーのベルトに引っ掛けて保管しているが、人の命を奪える道具を肌身離さず持っているというのは血の気が引く思いだった。

「……あんたはそれで一般人を殺そうと思うの?」

 眉間に皺を作り、問い掛ける――折角、託した得物でそこまでネガティブなことを考えられても良い気持ちではないだろう。物を貰ったのだから、もう少し喜んで欲しい――それが例え、武器であっても。

「いっそ、自決用にでも持っておいたらどうですか?」

「唆すな、最悪の手段を」

「私はあくまでも楽な道を示しただけですよ」

「あくまで楽をしたいのはあんたの方でしょ。悪魔的よ――どっかの漫画の執事みたいに」

 角弓が後方に向けて投げる車の写真と、リンネが投擲するナイフ形のデスサイスが交差する。中間を走るルーザーは突如両耳に入り込んだ風切り音に驚きながら、それでも足を止めなかった。

 そして、それで良い。写真はリンネが潰し損ねた触手を破壊し、投擲されたデスサイスは通気口から雪崩れ込んだ触手の群れを一掃した。

「……ただ自分が仕留め損ねた奴を改めて潰しただけですよ」

「……あんたが死んだら、ルーザーが剥き出しになるでしょうが」

 互いに守るべき対象は同じ――にも拘わらず、まるで殺し合いの最中であるかのような敵対関係が、ルーザーを挟む形で生じてしまっていた。



***



 同じチームではあっても、必ずしもチーム同士の中が良好であるとは限らない。そして、それが必須であるという訳ではない。

 ファインなチームプレーが必ずしも最高のメンバーシップの中で行われる訳ではないし、それが必ずしも勝利に繋がる訳ではない。

 極端な話をしてしまえば――例えば、サッカーの試合で、最高のチームプレーを前にして、ズバ抜けた技量を持つ個人があっさりとオフェンスを防ぎ、ディフェンスを切り崩すことだって有り得る。究極の一が凡庸な複数に勝るという話だ。

「なるほどな、それは勝てないだろうさ。究極の一が倍化しているのだから」

「もう彼女は裏切りを隠す気もないのかなー? 突破ちゃんの運転ってー、心地良かったから好きだったんだけどなー」

「殺していいのか?」

「そうですねー。ルーザー君は捕らえてから、ゆっくりとお話ししたいですねー。あ、あとの2人はどうでもいいでーす」

「良いのか? 恐らく、お前の独断だろう」

「良いんですよー。だってー、私の性格は組織の皆が知ってますからー」

 それを知っている組織からすれば、堪ったものではないだろうに――同情心が沸々と湧いてくる中でウリアはカビの苗床に使った植物とは別の種を地面に放つ。

「『樹兵の種』」

 タイルを突き破るように種が芽吹き、育った樹木が人の形を模す。

「便利なものですねー。これさえあればー、研究で人員に困ることなんてないでしょー?」

「そうでもない。私の頭脳が受け継がれた分身だが、スペックでは劣る。機械的な作業が得意だから、比較するような作業は任せられるけれど、研究の大事なところで失敗はされたくないのでね。大筋は私が全てやっている」

「そもそも戦闘用の兵隊をー、研究員として扱うっていうのが間違いな気がするなー」

「確かにな、だが、兵隊と呼べる程素晴らしい性能ではないぞ」

「良いんですよー。素晴らしくなくたって、時間稼ぎになるんならー」

「……………………」

 首元のチョーカー型爆弾のランプが甲高いブザーと共に点滅を繰り返す。

「……能力を使うと、すぐにこれだ。鬱陶しくて敵わないよ、まったく」

「外せるのであれば、すぐに解除すればいいじゃないですかー」

 ウリアの技術と頭脳があれば、たとえ国が総出で製作した最新鋭の爆弾であろうと容易く解除し得るだろう。

「飼い犬を鎖で繋いだとして、例えば、お前ならその犬を更に檻に閉じ込めるか?」

「閉じ込めますねー。徹底的に支配したくなります」

「……訊く相手を間違えた。しないよ、普通は。現状で何とかなっているのに、わざわざ金と労力を割いてまですることじゃない」

 爆弾一つでウリアの行動を制限できる、と思い込ませる。妥協ではあるが、これ以上干渉されない道としては悪くないと思っている。

「多少癪に障るけれども、まあ、本当に嫌気が差したら、こんなものさっさと外して、どこか別の国に亡命しようと思っている」

 無事に亡命できるのかはさておき、この場を乗り切らないことには命が無いことは確かだった。

 自分の命を奪うのが、果たして、目の前の金谷によるのか、それとも現在進行形でこちらに向かってくる角弓達によるのか。

「詰んだかな、私……」

 天井を向きながら、ポツリとウリアが呟いた。



***



 同時刻――

「おかしい」

 呟くリンネの頬を汗が一筋流れ落ちる。前を走り続けるルーザーと角弓の顔には一筋どころではない量の汗が流れている。特にルーザーはこの中では尤も基礎体力が低い。つい最近まで死に体だったことからすれば、明瞭な変化だが、現在は体力が尽きた者から次々と死んでいく状況にある。

 走るペースは徐々に落ちていき、戦闘を走る角弓との間隔が広がっていく。

「そうですね……確かに、このフロアの全ての部屋を探って行きましたが、どこにも金谷さんがいないのはおかしいですね」

「この研究所はワンフロアしかないはずよ……! そのどこにも樹海の発生源が無いなんて有り得ない!」

 珍しく声を荒げながら、追撃する菌の触手を切り刻む。

 無理もない――ルーザーを守るという最終目的が危ぶまれている。いち早く元凶を潰すことでルーザーをスタミナの消耗というリスクから解放するという計画だったのだ。

(甘かったか……)

 まさか第一前提の元凶の部屋を探し当てるという段階でつまずいてしまうとは。

 いや、行き当たりばったりな計画だったのは初めから分かっていた――あんな状況ですぐに最善策を出すというのがそもそも難題だったのだ。

(撤退……いや、どこに――どの部屋も樹海で埋め尽くされていたから、そこに逃げ込んでやり過ごすこともできない訳だし……!)

「この施設……地下はありませんよね?」

 唐突に角弓が足元を見やりながら問い掛ける。訊ねる相手はどちらでも良かった――自分よりも施設の内情に詳しいと踏んでの質問だ。

「無い……はずです……! 少なくとも、連中は誰もそんな部屋の存在を、把握していなかったようだ……し?)

 言いかけて、ルーザーの歩と足元に視線を移す。

 切り刻んで、踏み付けたためにグシャグシャになった樹海の残骸に埋もれて鮮明ではないが、やや青いフロアタイルが確認できる。

「これ……は?」

 遅れてリンネもタイルに気付く。そして、角弓同様に『それ』を発見し、即座に行動に移す。

 リンネ達を襲う菌の樹海。触手を構成しているのはやはり、カビのような菌類だろう。だが、空中を漂うような胞子を急速に肥大化させ、触手のように形成されるまでに成長させることが可能な養分――苗床となっているのは植物だった。

 カビと木。

 『植物』というカテゴリーでは、同じくくりだが、胞子と種子という過程においては全く別の物になる。

 角弓が言っていた『金谷都』が操るのはカビ。

 では、植物を操るのは違う人物。

 加えて、空中を漂う胞子と違い、植物には伝うものが必要となる。

 植物の種は芽吹くために土が必要ではないが、だからといって、空中からいきなりポンッと芽を出し、太い幹になる訳は無い。

 成長に対して、必ず地面を接する必要は無いが、それには限度がある。あれだけの質量を、成長し続けるのに壁沿いを伝っていくだけでは支えることができない。

(思えばおかしかった……。触手と一緒で、斬って、踏んで――破壊しても、次々と再生してくる苗床なのに、肝心の『根』が見当たらなかった!)

 植物は根を地中に張り巡らせ、地中の水分、養分を吸い上げる。

 人工物の壁から――はどちらも取れるはずがないから、必ずどこかから成長と再生に要する分の栄養を補給しているはずだ。

「角弓!」

「分かっていますよ!」

 リンネがデスサイスの一閃。

 角弓が放る車の写真が火炎を伴って爆発する。

 斬撃と爆炎が地面を抉り、複数のフロアタイルが豪快に引き剥がされていく。

 次にリンネは熱風に晒されようとしているルーザーを庇うように抱き締め、爆発の基点から離れた廊下の隅に滑り込む。

「っ……あ、あああああ!!」

 熱と吹き飛んだタイルの破片が獣のようにコートを食い破り、容赦無く背中に突き刺さる。傷口を熱風が責め、激痛で全身の血液が沸騰するよう感覚に陥る。

 十分に重傷と呼んで差し支えないダメージを負って、それでもリンネは意識を繋ぎ止める。今意識を失えば――この手を緩めれば、ルーザーが爆風で炎上する樹海に呑み込まれてしまう。

 幸いにも、熱と乾燥に弱いらしい菌の樹海と超速で再生する苗床はこれ以上襲うことも、再生する様子も見せなかったが、角弓の姿が見えなくなっていた。

(あいつ……自分の爆発で消し飛んだのか――)

 消え入るような意識の中で、リンネはルーザーを抱く腕の力を強めることで、激痛が襲う中、正気を保つ。

 想像以上の大爆発。五体満足であることが不思議でならない。

(どういう……っ!)

 申し訳無いが、角弓の生死不明を確認するだけの余裕は無い。

「ルーザー……無事?」

「……はい。何とか――っ! リンネさん、その背中!」

「あ? あぁ……これか」

 息も絶え絶えといった状態のリンネは、しかし、背中の傷に構うことなく起き上がろうとしてはフラつき、膝を地面に落とす。

「掠り傷よ……それにほら、私は死神だから。生命力とか自由に弄って、ほとんど藤見みたいになってんのよ……」

「……………………」

 ルーザーが眉間に皺を寄せる。怒りの感情が沸々と胸の奥底から湧き上がってくる。自分を守ってくれたことに対しては感謝しかない――だが、自分を庇って、命の危険に晒されたことに対しては憤っているし、説得されようと全く納得できない。

 リンネの背中の傷は確かに彼女の言うようにたちまちに塞がり、敗れた衣服を除いてはほぼ完治したと言えるかもしれない。だが、それは自分の身を犠牲にして良い理由にはならない。

 仲間に優れた医術を持つ者がいるから、致命傷を負っても大丈夫と言っているのと大して変わらない。

 すぐに治療ができるからといっても、傷付く仲間を間近で見せられた方からすれば堪ったものではない。

(俺には回復能力や治療の技術も無いが……)

 ここに自分がいる理由は施設内の案内程度だ。その案内も、樹海との遭遇により満足にこなせていないが――

「ルーザー……私が渡した物はちゃんと持ってるわよね?」

「え? ああ、はい――」



「なら、それは手放さないこと……。私は下の階に下りるから、それを握って離さないこと――分かった?」



 分からない。

「どういう……」

「角弓が生きてたら、何とか説得して、ここから出て行きなさい」

 熱風に晒され、樹海はこれ以上機能しないようだ。逃げるとしたら、今しかないだろう。

「どういうつもりで……」

「今私が自分にやった以上のことを、以前私はあんたにもしている……。『生命力の操作』。細胞の再生速度、傷の回復、代謝から寿命まで……必要以上にあんたの肉体は弄ってある。多分、私はいなくなった後も、十分に普通の人間に紛れて生きていけるだけは……」

「どうして今そんなことを言うんですか!?」

 堪らなくなって、ルーザーが叫ぶ。

 自分で傷を治しているいるにも拘らず、ボロボロの身体を引き摺る姿が――

 呼吸さえも苦痛だということが分かるのに、それでも尚普段通りに話す姿が――

 何より、話の内容が遺言であるかのような――

 一ヶ月にも満たないような短い共同生活だったが、それなりに楽しかった。この施設での無限に続くようにも思われた地獄に比べれば、何と充実した暮らしだっただろう。

 客はほとんど来ない。店主のルシファーもあまり手伝わない。そのことに苛立つリンネの愚痴を聞くような生活。

 その充実した暮らしが、もう永遠に訪れないかのような感覚だった。

「あんた、一体何を――」

 その時、腹部に鈍痛が走り、視界が暗転する。トサッ――と、人一人が倒れた音にしてはやけに軽かった。

 気絶したルーザーを背後から支える角弓の姿があった。

「……何だ、生きてたの」

「それはこちらの台詞ですね」

 互いに憎まれ口を叩き合ってみせるも、それが虚勢であることは目に見えて明らかだった。

「あなたの背中は……表面上だけでしょう。骨やら、脊椎やら……強引に繋げて――どれだけ適切な処置をしようともう歩けませんよ?」

 角弓が目を細めながら、僅かに血の滲むリンネの背中を見て告げる。細胞の再生が可能であることは分かっているが、限度はある。

 不死身で知られる『吸血鬼ヴァンパイア』のように、致命傷を負おうとも即座に回復する訳でもなければ、『不死鳥フェニックス』のようにそもそも不死の肉体を持っている訳でもない。

 単純に怪我の回復を早められるだけだ。

 それも本来なら数年は掛かるような傷を数分にまで縮める程度――掠り傷程度だったならば、まるで不死身の肉体であるかのように錯覚してしまう程の速度で。

 だが、それが回復不可能なまでの損傷の場合――

「それでもまだ救われた方――最悪だと、死にますよ、あなた」

「あんたの左腕は……まあ、千切れかけっぽいけれど、腕の良い医者なら……、後遺症が残らないくらいには、繋げてくれるでしょうね……」

 呼吸が途端に難しくなってきた。背中の肉と皮はほとんど元に戻ったし、普段ならもっと意識は鮮明なのだが、どうやら今回は傷がもっと深かったようだ。

 砕け散った床の破片が背中を貫いて、肺にまで到達したのだろうか?

(それでも……貫通してくれなくて良かった。今のあいつなら、たとえ当たっても即死はないだろうけれど……)

 どうせ連れ帰れるなら、傷は無いに越したことはない。そもそもあいつは既に今までの人生で普通の人間が受けるであろう以上の苦痛を受けてきたのだ。

 これ以上徒いたずらに傷付く必要は無いだろう。

 角弓は力の入らなくなった左腕を庇いながら、何とかルーザーの体を担ぎ上げる。

「……迎えの車は、要りますか?」

 この研究施設を調べるように提案をしたのは自分だ――だからといって、その最中に生じた犠牲の責任を全て負おうとする程殊勝な性格もしていない。

 だが、せめて目の前の『死神バカ』の意思くらいは汲んでやろうと思った。

「要らない……。わざわざここまで霊柩車走らせるのも悪いしさ――それより、ちゃんと送り届けて、よ?」

「私はプロですから。……他に何かありますか?」

「言えば聞いてくれるの?」

「聞くだけです。後で、正式に料金を請求しますが……」

 金取るのか――力無く笑いながら、リンネは背中を右の指で撫で、血を付けてからボロボロになった壁面にゆっくりと番号を書いていく。それからコートに手を突っ込み、財布を角弓に投げ捨てる。

「――銀行の暗証番号。キャッシュカードもあるから、好きに使いなさいよ。その代わり……ルーザーが、自立できるくらいになるまで、手助けしてやって……ちょうだい」

 口で財布を受け止めた角弓は一瞬驚いた表情を見せ、小さく頷く。

(止まりませんか……)

「分かりました……でしたら、一つ、アドバイスをしましょう。金谷都を相手に正々堂々はお勧めしませんね」

「……どうも、ありがと」

 既に消え入るような声でリンネは床に大きく開いた穴に身を落とす。

 すぐにその姿は爆発で生じた煙幕によって見えなくなった。



***



 どれだけの高さを落ちていったのか――

 あの重傷で無事着地できるとも思えないのだが――もしかすると、落下地点にいる金谷目掛けて特攻を仕掛けるつもりだったのか。

「なるほど。確かに一撃必殺なら、転落して即死しても関係無いですね」

 この研究施設で生活していたルーザーさえも知らない地下の隠し部屋となると、この階から相当深い位置に造られた可能性が高い。

 角弓とリンネが隠し部屋の上にいたというのは単なる偶然だが、樹海の発生源となっている部屋が地下にあると知ったのはフロアタイルの溝を見た瞬間だった。

 タイルの溝をびっしりと埋めていた樹木の蔓。

 苗床となっている樹木は恐らく、この能力を使用している本人と感覚を共有する役割もあるのだろう。

 だが、それにしては位置の把握が正確過ぎる。角弓達はこの樹海からの追撃を少しでも避けるために、徹底的に破壊し、逃走を続けていた。潰された樹木が回復するまでにそれなりの時間を要したはずだから、たとえ視覚を共有していたにしても見失ってもおかしくはなかったはずだ。

「確かに……監視カメラ一つで犯行を防ごうとするのも無謀な話ですよね」

 樹海の他にも、3人の位置を掌握するものがあった――例えば、今まで逃走の中で。気付かずに踏み付けていたタイルの溝を埋めるように配置されていた木の蔓。

(足元に罠を仕掛けられているという発想……まさかあの時私達の足元に目的の部屋があるとは思いもしませんでしたが――)

 思えば、あの瞬間に自分達は悪運を使い果たしてしまった感はあるかもしれない。

「私ではあの人に敵いませんが……まあ、武運くらいは祈りましょうか」

 言って、角弓はリンネが消えた穴に背を向け、それから無言のまま通路を走って行った。



***



 角弓の予想とは裏腹に、リンネは別に特攻を仕掛けた訳ではなかった。確かに着地について多少のリスクは負うものの、それはこれから戦う相手に比べれば軽いものだと思った。

 頭から地面に向かって落下する――両手で刃渡りの長いナイフ形のデスサイスを握り、呼吸を止めることで最大限まで殺気と気配を押し殺す。

 狙う先は一点。金谷都を頭からナイフで刺突する。

 とりあえず、急所ならばどこでも良い、という訳でもなく、うなじに目掛けて刃先を捻じ込む。

「!」

 初めて金谷が目を見開いて驚いたのが、頭上で構えるリンネとの距離が10センチメートル程度といったところだった。

(完全に気配を遮断した私に、よくもこの距離から気付けたわね――)

 リンネ・オルタナティブという女性が最も好む先方は不意討ち、闇討ち、暗殺である。

 そもそも騎士道やスポーツマンシップといった信条をあまり好まず、軽視しないまでも得意としない。だからこそ、先程の角弓のアドバイスは望むところだった。

(狙い目は頸動脈……! 次いで、樹木の発動者を斬れば――)

 ナイフの刃は金谷の右肩に深く突き刺さる。狙った箇所からは僅かに外れた――即座に対応し、急所への直撃を避けた金谷だったが、完璧に回避するには至れなかった。

「ぎっ……あああああ!!」

 激痛に悶え、叫ぶ金谷。悲鳴を上げられれるということは、それだけ余裕があるということだ。例え、手首を斬り落とされようとも、それで必ずしも即死しないように、肩に深い刺傷を負おうとも、反撃される可能が皆無な訳ではない。

「チッ……!」

 ならばやることは、今度は敵の反撃を躱しつつ、樹木の主を仕留める――と金谷から視線を外し、樹木の発動者を探す。

 そして、それはすぐ目の前にいた。

 シンプルなデザインの椅子に自身の操っているはずの樹木で拘束され、ぐったりとした表情で俯いている。

(こんな状態で力を使っていたの……!? いや、精神が保てても、体が追い付くはずがない!)

「真逆ですよー……。精神が体に追い付いていないんですー……!」

 ボロボロのドレス。適当な布地を何とか接ぎ合わせて、ようやく完成した感じの、ドレスと呼ぶにはあまりにも簡素な作り――そして、右肩の部分が赤黒く染まっていく。

「困りますー……。この姿だと―、血が赤くて、ろくに怪我もできないんですから―。それに……裂傷は数少ない私の弱点ですよー」

 痛みを堪えて、あるいは痛みを紛らわせるために口数を増やしているのか。そして、痛みになれていないらしく、金谷の顔には多量の脂汗が滲んでいた。

「そう……。それは運が悪かったわね。あんたが――金谷都ね?」

「ええ。初めまして、リンネ・オルタナティブさん――あるいはー、灰道輪廻はいどうりんねさんでしたかー?」

「……調べてるわね、随分昔のことまで」

 でしょう―としてやったりといった表情を作り、血が滲む右肩を左手でがっしりと掴んだ。傷口を余計に刺激するような行動だが、彼女の場合は傷が徐々に見えなくなっていく。

 傷口から菌を増殖させ、欠損した細胞の補っている。

(なんて荒療治……いや、止血とすら呼べないわ。あんなの、後にどんな感染症を引き起こすか分かったものじゃない)

「後のことなんて考えてませんよー」

 リンネの考えていることを読み取ったかのように、金谷が言う。

 緩やかな口調の割に、呼吸は荒く、大きな目は血走っていた。

 存外にも受けたダメージが利いているらしい――その強さ故に、ほとんど無傷で勝利を収めてきた反動だろうか、痛みに対する耐性が著しく低い。

「随分と都合が良いことじゃないの。多くの命を摘んできたあんたが、まさかその程度の痛みでグロッキーなんて」

「手厳しいですねー。殺したくなりますよー」

 華奢な体躯から膨大な殺気が溢れる。

 周囲の生命を根こそぎ殺し尽くすような禍々しい殺気。

「――その前に一つだけ質問。後ろの『アレ』はあんたがやったの?」

 リンネは背後で死んだように椅子に縛り付けられている白衣の女性を見やってから、金谷に訊ねる。

 すると、殺気を一度沈めてから、金谷はニッコリと笑んで、両掌を見せながら、答える。

「ええ、そうですよー。彼女をここで見つけ出した時には感謝して、素直に話に応じてくれていたのですが―、いざルーザー君を捕らえようとすると、急に抵抗されましてねー。ムカついたのでー、こうして拘束して、胞子で何も考えられなくしてあげましたよー」

 まるでピンチに対して自分が機転を利かせて乗り切ったかのように、爛々と瞳を輝かせながら金谷は語る。

「……これが、あんたのやり方か」

 ナイフを握るそれぞれの両手に力が入る。

 こんな女のせいであの白衣の女は使い潰されたのか――何より、自分が死ななければならないという現実が我慢ならない。

「貴様はただ殺すだけじゃあ、気が治まらない――相応の無惨な末路は覚悟しているんでしょうね……!」

 ナイフを握る両手に籠められた力が増していく。殺気と怒気が混じり合い、眼前の邪悪を排除しようと放出される。

「分からないのですがー、あなたが起こっている対象は何ですかー? そこのウリアさんを無理矢理操って、あなた達を襲わせたことー? それとも、あなたが大切に守っていたルーザー君を殺そうとしていたことですかー? はたまた、私があなたに深手を負わせたことですかー?」

「全部よ!」

 叫び、まずは右手のナイフを投擲し、次いで、左手のナイフを握り締めたまま金谷の懐まで駆け出す。

 あの樹海――金谷都がカビを媒介に、生物を操作する能力の持ち主だから、その苗床となった樹木の発生源である(金谷は『ウリア』と呼んでいた)女性が気絶している今、金谷は自前の身体能力のみでリンネの攻撃を避けるしかない。金谷の身体能力は、その可憐な容姿とは裏腹に、非常に高い。

 だが、それはリンネと同等のレベルであり、更に彼女には全身に仕込まれたナイフ形のデスサイス、加えて主要の武器である大鎌のデスサイスを所持している。

 有効範囲が触れた物である金谷とはリーチに大きな差が生じている。例え、ウリアが気を失っていないとしても、万物を切り裂くデスサイスを前にして、果たしてどれだけ持つのかは見当も付かない。

「卑怯ですよー。正々堂々と拳と拳で決着を付けましょうよー!」

「その場合でも私は多分勝てるでしょうけど?」

(そりゃあ、そうですかー)

 そもそもリンネの仕事はほとんどが暴力と抗争の世界だ。潜り抜けてきた修羅場の数は恐らく同じくらいだろうが、その質は圧倒的に負けている。

「ぐぶ、がぶふぅっ……!?」

 僅かに精神を思考に割いた結果、ナイフを投擲し、空いた右手を強く握り締めたリンネのストレートが金谷の顔面を捉えた。端正な顔が不細工に歪む。顔に真正面からぶつかる衝撃から逃れようと、背中を後方へ大きく仰け反らせたが、続いて腹部に激痛が走る。

「っっっ!!!?」

 声にならない悲鳴を上げ、眼球のみを自身の腹部に向けると、継ぎ接ぎだらけのボロボロのドレスに穴が開き、更にそこからドクドクと血が溢れている――いや、この深々と刺さっているナイフを抜けば、そういう状態になってしまう。

(この人……殴ると同時に、私を刺し殺そうと――!?)

 今まで同じような戦法を取る相手がいなかった訳じゃない。だが、そういう奴に限って、戦略に実力が伴っていなかった。

 殴ると刺す――この2つの動作を並列して行うにはそれなりの能力が伴わなければならない。

 正確に顔面に拳を叩き込みつつ、急所に刃物を捻じ込む。

 重傷の状態でそこまでのことを瞬間で成し遂げるのだから、全く油断できない。

 そもそも地力で比較するなら、間違いなくリンネの方が上なのだ。

 逃げることに失敗し、海老反りの体勢で硬直する金谷の体に、更にリンネはコートの裏から取り出したナイフを突き立てる。

 両肩、両腕、腹部、両膝、両脚――ザクザクと骨や関節など硬軟を問わず、刃は金谷の体を刺し、深くまで貫く。

「あっ……が、ぎゃ――」

「悲鳴を上げられても迷惑だし、喉も潰しとくべきかしら」

 極めて冷淡な口調で、リンネは新しいナイフを握り直す。

「『殺したくなりますよー』だっけ……? どうした、やってみろよ?」

 宝石のように美しい黄緑の瞳を怪しく光らせながら、見下すように挑発的なことを浴びせる。

 関節まで損傷した金谷も流石に立つことが困難になり、膝から崩れるようにして、うつ伏せになって倒れる。

 先程殴られたせいで鼻血が止まらない。鼻柱を押さえる――押さえようとしたところで、腕の筋を切られて指先しか動かすことが叶わないのだが。

「い……た、い――痛い、痛い痛いいた、いいいい、たい! 痛い、イタイイタイいたいたたたた……!!」

 動けないなりに、声を荒げ、ジタバタともがこうとする。身をよじろうとする。自ら作った赤い水溜りの中で、溺れているかのような、その姿はいっそ、哀れに映った。

 命乞いをする様子も見られない――組織への忠誠心や、プライドの問題かと思ったが、そうではない。

 単純に激痛でそれどころではないだけだ。

 狂ったような悲鳴――当たり前だろう、とリンネは驚いた様子も見せず、変わらず冷たい眼差しを向ける。

 金谷都は外道や邪道で今までいくつもの修羅場や死線を潜り抜けてきた。恐らく、今回同様に強引に人を操り、従えるようなやり方で。



『……これが、あんたのやりかたか?』



 リンネは金谷に対して、そう訊ねた。金谷は否定しなかった。むしろ、それがどうしたと言いたげな表情で、笑っていた。

 嘲笑っていた。

 つまり、金谷は今まで修羅場や死線を自らの力のみで生き抜いたことがない。傷を負ったことがない。

 誰かを盾にしたり、囮にすることでしか生き残る術を見いだせなかった。自分が傷付くということを知らなかった。

 傷付くということが一体どれだけ痛いのか、怖いのかを知らなかった。

 知らないのだから、彼女のこのリアクションも頷ける。

 リンネと同等の力を持ちながら、相当の視線を掻い潜りながら、痛みに対する耐性が限りなく零に近い――極端な例で言うと、小さい子供が転んで、泣き出してしまうような、ダメージに過剰に反応してしまう印象。

尤も、痛みへの耐性が低い以前に、これだけの深手を負えば、まず動けないのは間違いないのだが――と。

 そんな風に高を括ったのが間違いだった。

 自分達妖怪同士の戦いにおいて、身動きが取れない状態は戦闘不能とイコールではないことを、忘れていたのだ。 

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