予言者
「……良かったのか?」
ルーザーの誘拐に失敗したものの、やけに楽しそうにハンドル操作を行っている角弓に、歩谷が訊ねる。
「良かったのか、とは? 私達は秘密の漏洩を防ごうと尽力しました。それだけで依頼者の方々にも納得していただけると思えるのですが」
「確かに、妙案だったな。敵と結託して、依頼者を騙すっていうのは――」
「歩谷さん。口が過ぎますよ。それに騙すだなんて人聞きが悪い」
口を尖らせて角弓が言う。確かに、と歩谷も静かに頷く。
初めて対峙して分かったことだが、リンネ・オルタナティブ一人に対して、角弓突破と歩谷唐比等の二人では勝負にならない。それ程までに戦力差が開いていた。
「直感したわ、あれは俺達には勝てない。そういう具合にできている」
「少なくとも、あそこまで激怒した状態の彼女を前にして、よくもまぁ生き延びたな、とは思いますよね」
「……俺には無理だぜ。お前より頭悪いからな。報告、上手くやれよ」
正念場と言えるのは先程の戦闘よりも、これから先の舌戦だろう。無能な肩書だけの幹部連中の目や脳は騙せるのだろうが、一部の優秀な幹部様は見逃してくれるか分からない。
「リンネさんとは交渉を成立させて相互不干渉の状態を生む、というのがあの場を見逃された条件の訳ですから……しくじれば、彼女の方から消されますね」
「結構絶体絶命じゃねえか……」
げんなりとした様子で、歩谷は背もたれを後方へ倒し、体重を預ける。
「でも、意外ではあるな――お前が依頼者を裏切るような真似をするとは……連中が気に食わねえのか?」
「まさか、お客様は等しくお客様です。そこに私情を挟むようではただのアマチュア」
「なら――」
「ただし、ビジネスパートナーとしては、些か危ういな、と感じましたので。これでも自営業なので」
なるほどな、と歩谷が頷く。今回歩谷と角弓は偶々同じ人物からの依頼を受けている状態だったので、行動を共にしていた。角弓の虚偽の報告には付き合うつもりではいるが、その後の身の振り方については詳しく決めていない。
「いや、いいんですよ、私に付き合わなくても。そもそも今回は仕方無くコンビを組んでいただけなのですから。実際、あの方々は支払いが良いですし、フリーランスとしては有り難いですしね」
「勘弁してくれ、俺はもうあの死神に勝てる自信がねえよ」
苦笑を交えて歩谷が言う。リンネ・オルタナティブと対峙して、初手を防がれたあの瞬間から、歩谷唐比等には戦意も勝算も残らなかった。圧倒的なまでの敗北感と戦力差を叩き付けられ、もうこの世界から足を洗おうかとさえ考えさせられた程に。
「だから、しばらくは奴に協力するさ。あの依頼人様と、どっちが怖いかは考えるまでもねえがな」
角弓は答えない。だが、あくまでも損得を重視した選択をしていると思われる角弓突破だったが、その内では歩谷同様に恐怖心に囚われているというのも事実だった。そして、そんな恐怖心を打ち払うためにも運転に集中しながら、角弓は呟く。
「今夜まで無事に生きていられると良いのですが……」
***
「角弓突破と歩谷唐比等、ねぇ……面白い奴らに攫われたものね、ルーザー君は」
その日起こったこと聞き、他人事のようにカラカラと笑うルシファー。グラスの中の赤ワインが窓から零れる月光に照らされ、一際美しく輝く。
「無事取り返せて良かったわね、あなたもムキになった甲斐があったじゃない」
「笑い事じゃない。あっさり店の場所が割れているじゃない。やっぱり店の宣伝なんてするものじゃないわね」
「そのせいで私達は経済的危機に直面しているんだから、連中も痛いところを突いてくるものね」
「格好付けているつもりでかなりダサいこと言ってるわよ、あんた」
白ワインを呷り、リンネが言う。アルコールには弱いのか、一杯を口にしただけで目は据わり、頬はほんのり赤く上気している。
「お酒、弱いんなら無理に付き合わなくてもよかったのに」
「今日は飲みたかったのよ。自分の詰めの甘さに嫌気が差してね」
あの時受けた依頼――『ルーザーのいた研究施設の職員全ての抹殺』。あれは遺恨を一切残さないための指示だった。それは理解していた、だからこそ、もっと念頭に、冷静に一人一人を殺していかなければならなかったのだ。
「ルーザー君の救出に焦って見逃しちゃったのかしら?」
茶化すように言うルシファーだったが、それを強く否定をする気にはなれなかった。意外そうな表情で赤ワインをまた一口含む。
「マジで? あの子がそんなに大切だったの――あ、もしかしてあんたショタ……」
「違う」
今度こそ短く否定の言葉を口にして、リンネは空になったワイングラスをルシファーに投げ付ける。ルシファーが難なくグラスを避けると、床に向かって落ちたグラスは甲高い音を上げることなく、フッとこの空間から消えた。
ルシファーの部屋ではあらゆる事象が彼女の思い通りであり、彼女を不快にするような現象は一切起こらないことが確約されている。
「……結局のところ、今度は連中、何をするつもりなのかしら? ルーザーが生存中であることから、まだ利用価値があることを知ったにしても、あまりに学習が無い」
職員を鏖殺できる存在がルーザーを守っていると知った時点で、これ以上の接触を避けようとするものだ。折角、拾った命を再度危険に晒すような真似は、研究者のように頭の良い連中が考えそうなこととは思えない。
「いや、だからこその誘拐だったのか。私に気付かれないように自分達の元へルーザーを連れ戻そうと――」
「そりゃあ、そうよね。リンネ・オルタナティブ――現在世界で最も敵に回してはいけない存在だと最初から知っていたら、誰も好き好んであんたと戦おうとはしないわよ」
「世界で、か……」
それもそうか、とリンネは頷く。そうなるように今まで仕事をしてきたのだ。必要以上に敵を作り、必要以上に危険視されるように戦い、必要以上に嫌われるように殺してきたのだ。
例えば、昔とある国の政府から山村で蔓延した謎の伝染病を解明し、事態を収束するようにという依頼を受けたことがある。殺す以外にも、治療する能力を有していた自分にその依頼が来るのは至極当然だと思った。そして、政府の要人達から出来得る限り、村人達の生命を助けてほしいという依頼も聞いていた。『努力する』とリンネは答え、結果伝染病がどうしようもない段階まで到達していた山村をリンネは躊躇うことなく焼き払った。
二次災害を防いだとしてリンネが法的に裁かれることはなかったものの、しかし、彼女を冷酷非道な人物として世に広めるには十分な出来事だった。
「ルーザー君はあんたのことを良い人だと思っているわよ」
「でしょうね。酷い誤解よね」
「そうかしら? 少なくとも、本当に外道だったら、彼のためにあんなにも必死になって、鬼の形相で追い掛けたりはしないわよ」
「見てたの? 外道はどっちよ、全く助力もなかったわね」
元より摺ファーからの助力など期待どころか考えたことすらなかった。今まで彼女が自分に少しでも力を貸したことはない。精々、住処を貸し与え(家賃月3万円)、依頼人を仲介される(マージンはしっかり取られる)程度だった。
「とはいえさ、やっぱりここがバレたっていう事実は手痛いわけなのよね」
「だったら、そもそも宣伝なんて止めるべきだったわね。つーか、店畳め」
この雑貨店自体がルシファーにとっては単なる暇潰しなのだろう。もし、今すぐにここを置いて逃げると言い出しても不思議ではない。
「嫌よ。店出すのに、どれだけ投資したと思っているの」
あくまでもシビアな観点から拒否をするルシファーだった。言っていることとやっていることと起こっていることが何も一致していない。
「相手の情報源も気になるところよね」
「それは私も考えたことよ。連中がどうやってこの人気が皆無、赤字のオンパレードでしかない、ある必要も無い店の場所を知ったのか」
「店主を前によくもそこまでディスれたものよね」
「角弓突破と歩谷唐比等――この名前に聞き覚えはない? 金髪を後ろに纏めた女の運転手と野球帽被った長身の男なんだけれど」
「来たことないわねぇ、見ての通り、人気が皆無で、赤字のオンパレードで、ある必要すら無い店だからねぇ」
不貞腐れた様子で頬を膨らませるルシファーだったが、考えることを放棄した訳ではないらしく、空になったグラスにワインを注ぎ足す。
「未来予知のスキルを持つ人外がいるわね。実際にこの場に来なくとも、ただ体力を消費するだけで情報を引き出せる能力」
予知、予言の能力――そのようなスキル、逸話を持つ妖怪など、国内外では結構な数が存在する。
「新種の妖怪なんてものまでいるんだから、全く難儀なものよね」
「……私達は人間が怪談や噂話をする限り、湧いて出てくる。虫じゃないけれどね――」
シニカルに笑み、リンネも白ワインを注いでは再び呷る。
「探すべき相手の方向性は定まった」
「探して……どうするつもり?」
勿論、とリンネは少なからずアルコールを摂取したにも拘らず、顔色一つ変えずに立ち上がり、答える。
「殺すわ。私達の危機は手遅れになる前に摘み取る」
***
『なるほど。つまり、情報の拡散を防ぐために、あなた方は依頼を放棄し、勝手に相互不干渉の関係を築いてしまったのですね』
「勝手に……ええ、そうですね。確かに、その点については謝罪しましょう。ですから、今回料金はいただきません。前金も返金しましょう」
言って、懐から厚みのある茶封筒を手渡す。渡された相手は無表情で封筒を受け取ると、ゴミでも捨てるように後方へ放り捨てる。角弓の背後に構える歩谷は目を見開いて、硬直する。
現在、角弓と歩谷は依頼失敗と相互不干渉の関係を築いたという報告をしている。
彼女は角弓達よりも高い位置から二人を見下ろし、退屈そうな視線をたっぷりと浴びせる。華奢な体躯と可憐な容姿、10代後半の少女の口元、喉には無骨な鋼鉄の枷が嵌められていた。手元には背後の大型モニターに接続されたタブレットが置かれている。言葉を発することができない彼女のコミュニケーションは、主にこの電子機器を通じて、合成音声から成り立っている。
『確かに、情報漏洩を防いだとなれば、あなた方の失敗を帳消しにして、お釣りが来るでしょうね。それが本当の話であれば――ですが』
当然のように、懐疑的な視線を送る少女。この状況で彼女の言い分を信じているようでは、現在の地位を確立できてはいない。
「しかし、『参謀』さん。彼、『ルーザー』でしたか――彼には強力な護衛がいます。リンネ・オルタナティブ。彼女の存在を、私達は知りませんでしたが?」
『そうでしたか? それはすみませんでしたね――ええ、分かりました』
合成音声が一度そこで区切られ、『参謀』と呼ばれた少女は目元を細める。
眼前の失敗をした二人の処遇をどのようにするのか――自分も雇われて参謀を務めているというだけの立場のため、この場ですぐに決める訳にはいかない。
『まあ、いいでしょう。あなた方に口車に乗りましょう――……ですよ』
「? 何ですか?」
聞き返す角弓。瞬間、参謀の少女は表情を消し、左手を部屋のドアに向ける。
『出て、良いですよ』
機械音声のため、感情は知れないが、恐らく苛立っているのだろう。枷が表情の半分を覆っているため、心情を読み取ることが難しい。
「それでは、失礼します」
角弓は短く辞儀をして、出入り口のドアから退室する。歩谷の姿はいつの間にか消えていた。角弓の衣服と同化して同時に退出したのか。
『……フ、ム。無礼な奴ですね。せめて「失礼します」くらい言っておくべきでしょうに……』
参謀の鋼鉄の枷で口を覆う少女は嘆息し――吐いた息が鉄の隙間から漏れ出る音が広い室内に消える。
「椎木ちゃーん。あの二人、どうかしたのー? 殺さなくて、だいじょーぶぅー?」
あどけない口調の女の声に、参謀の少女は金属の擦れる音を引き連れ、声の主の方を見る。
自分よりも年上であるのに、フリルがあしらわれた丈の短いドレス--しかし、どれだけ着続ければそこまでボロボロになるのか、継ぎ接ぎだらけで所々肌が露出してしまっている。ソックスは伝線し、美しいブロンドの髪は乱れてしまっている。両腕には千切れた袖を補うように、清潔な包帯が巻かれている。整った顔立ちも、汚れに塗れて見るも無残な姿を晒してしまっている。
『「異端者」の分際で、私に意見しますか』
「しないよぉ――しないけどー、指図はしちゃうかなー?」
人を馬鹿にするような態度に、参謀は押し黙り、無言で殺意を込めた視線を向ける。しかし、ボロボロなドレスの女は意にも介さず、踊るようにクルクルとその場で回り始めた。継ぎ接ぎだらけのスカートが円形に広がり、万華鏡で見た時のように、ボロボロだった布地がまるでデザインされた模様のように参謀の視界に映り込む。
『……何をしているのですか?』
「綺麗でしょー? 緻密な計算の元のパッチワークをして、周囲の人間の立つ位置にによって見方が変わるという面白い試みー」
確かにただの継ぎ接ぎをデザインとして扱うというアイデアは面白いし、実際にその試みは成功しているのかもしれないが、この女が『緻密な計算』というと何だかそれだけで嘘臭い。そして、自分で自分のアイデアを『面白い』と自画自賛しないでほしい。ただでさえ苛立つキャラクターに磨きが掛かってしまう。
『先程の提案ですが、却下ですよ』
「? 先程ー? 私、何か言ったっけー?」
『自分の発言には責任を持ってください……。角弓突破と歩谷唐比等の処遇ですよ。彼らにはまだ利用価値があります――よって、排除は却下です』
ふぅん、と聞いているのだか聞いていないのだか分からない曖昧な返事をする継ぎ接ぎドレスに、またも苛立つ。
「でもさー、あいつらの言い分、あれって絶対嘘だよー。銀川椎木の『予知能力』なら――」
『金谷さん』
合成音声故に伝わりづらいが、ハッキリと拒絶を表すような大きな音量で参謀――銀川椎木は言葉を遮る。
対して、継ぎ接ぎドレスの女――金谷都は首を傾げたまま、グニャリと表情を歪めて不気味な笑みを作る。
「なーあーにぃー?」
『あなたの今の発言は恐らく、何も考えずのことだと思いますが……実際に行動に移したりはしませんよね?』
ただでさえ行動が読めない彼女のことだ――発言した数秒後には全く違う行動、思考になるかもしれない。制御が効かないからこその『異端者』なのだ。
未来を予知する能力を持つ銀川でさえ、金谷の行動を完全に予知し、掌握する自信が無い。
「私ってさー、疑われるのってー、嫌いかなー」
緩慢な動作をしていたにも拘わらず、いつの間にか金谷の顔が銀川のすぐ目の前まで迫って来ていた。口元を隠していたのが幸いだった――思わず短い悲鳴を上げてしまいそうになった。
『……死にたくなければ、即刻離れなさい』
言葉の意味を図りかね、小首を傾げようとした金谷――傾げようとした首が反射的に腰から後ろへ大きく反れる。銀川の背後から音も無く現れた銃口から弾丸が射出される。弾丸は後方へ大きく反れた金谷の額の皮を薄く削った。出血する程度でもない、爪で軽く引っ掻いたような蚯蚓腫れ。
「何のつもりー?」
海老反りの体勢のまま一度停止した金谷が訊ねる。声色からは怒っているのか、悲しんでいるのかは窺い知ることができない。しかし、異変はすぐに察知することができた。
彼女が立つ場所がグジュグジュと異音を発して変形し、変色したのだ。まるでマグマに触れた岩石のように、硬度や厚みを一切無視して、足場が崩れようとしていた。
「私達ー、一応仲間じゃないー? それを殺そうとするなんてー、裏切りかなー?」
『失礼。あなたの口臭があまりにも酷かったもので』
あははー、と乾いた笑いを上げたかと思えば、目に見えない速度で腕を伸ばし、掌を広げる。
「殺すよ、だから」
『なら、やってみなさいよ』
一方は若者が簡単に『殺す』と言う程度の感情でしかないのだろう――しかし、もう一方は単なる挑発ではない。金谷都を危険な存在として認識し、殺害すらも考えている。
「……………………」
しばらくの沈黙の後、金谷は笑みを消し、銀川の前から消えた。まるで今まで遊んでいた玩具から急激に熱が冷めていったようだった。
一人残された銀川もまた黙考したまま虚空を眺める。それからすぅぅ、と息を吐き出し、目を閉じる。
言葉を発する口は文字通り固く封じられ、また、体力があまり無い銀川椎木のこの場での役割は一つだけ――
『限定予知』と呼ばれる『それ』は銀川の力の一端である。全力であれば、能力の負荷により命を落とす程の予知能力を極力セーブし、限定的な未来を脳内にイメージ映像として浮かび上がらせる。先述のようにスタミナが無い銀川では乱発はできないが、元々自身の命と引き換えに行使可能だった能力を、ただの運動程度の疲労で済ませられるのだから、安いものだろう。
「……………………っ」
長距離を走り終えた後のような筋肉や肺を圧迫するような疲労や息苦しさが銀川に圧し掛かる。
鋼鉄の枷の中から息が漏れる。
写真のように脳裏に刻み込まれたイメージを、少し遅れて理解して――銀川椎葉は歯噛みする。枷で顔の下半分が隠された状態でありながら、ハッキリと憤怒の表情であると分かる。
「あいつ……ルーザーの元に向かったのか!」