藪医者、現る
『藪医者』という通り名は勿論のことながら、蔑称である。しかし、それは彼――香西豊和を指し示すにはピッタリな言葉だったし、その行いは名医からは程遠いものだった。
大病を患った少女を診ては自ら製造した新薬の被験体にし、重傷患者には新しく考案した術法を試す、ということは日常茶飯事だった。それでも患者が彼の元にやって来るのは、治療費、手術代が全てタダである点にあった。まともな治療を受けられる生活を送っていない者、手術を受けられず、子供の死が近付くことに耐えられない親、そういった者達が香西の毒牙に掛かっていく。
マッドサイエンティストの謗りを免れなくなった頃、逃げるように下水道生活を始めたとされる。時には裏社会の要人から命を狙われ、またある時には死亡説さえ流れた。
「正直なところ、あんたの死亡説が流れた際には、両手を上げて喜んだものだけれど」
「つれないなあ、これでもこっちは君達の到着を首を長くしてまっていたんだが――」
言って、香西はルーザーを一瞥する。まるで標本を眺めるかのように、無遠慮に上下左右から四肢を観察する。
「なるほど、奴らが完全な生物を造ろうと躍起になっていたとは聞いていたけれど……へぇ、見事なものだね」
ぐるりとルーザーを一周したところで、カラカラと笑う香西。爽やかな笑みが似合う好青年ではあったが、言動がいちいち薄気味悪く、嫌悪感を覚える。
「しかし、重要な内蔵等に欠陥が見受けられる……それをリンネちゃんが力で補っている、と――」
「流石、医者を自称するだけあって目敏いわね」
しかし、観察眼に関しては確かのようだった。ルーザーの肉体的な問題はリンネの詳細不明の力により、常人レベルにまで回復している。手術の痕のようなものもなく、衣服の上からそれを気が付くのが証左となる。
「……あなたは、俺が何のために造られたのか、どうして『失敗作』と呼ばれたのか分かるのか?」
「分かるかもしれないし、分からないかもしれない」
「勿体ぶるな。それを調べるためじゃなかったら、私もルーザーを連れてこんな所に来ないわよ」
ハイハイ、と適当に頷きつつ、香西は身近にあった紙にペンでサラサラと何かを書き出していく。何を書いているのか、と紙を覗き込むルーザーの目には見たこともない速度の動きで精密な人体の図面が書き上げられていく。
「……っ! これは……?」
「これでも一応、医者を名乗らせてもらってるからさ。人体の構造には明るいよ……まあ、君の場合は別かもしれないけれど」
軽い調子で言う香西ではあったが、その話はルーザーからすれば重要なものだった。
「別? 俺は普通の人間ですらないのか?」
「まあ、それも兼ねての調査させてくれって話なんでしょ」
動揺するルーザーを宥める役割が人間ではないというのが何とも皮肉だが、そういえば、と改めて香西を見やる。
「……あなたも、人間じゃないのか?」
リンネと普通に接している様子だったルシファーも、あの様子から見ると恐らく人外の『何か』なのだろうが、それをいうなら、この香西豊和という男もなかなかに怪しい。
怪しい上に、どこか妖しい。
一言で言うなら信用ならない。
「僕は人間だよ」
と香西は答える。その一言を聞いただけならまだ鵜呑みにしたかもしれない。しかし、続く次の一言でその考えを改めることになる。
「どこにだっている普通の人間だよ」
やっぱり信用ならない奴だ、とルーザーは隣のリンネに目線を送る――それは以前から分かっている、とリンネも無言で頷いた。
***
「服を脱ぎなさい」
調査と銘打って、いよいよ変態行為が繰り広げられるのか。
そう直感したルーザーは逃走の準備を始め、リンネは懐から得物を取り出し、胸の内から溢れる殺意を隠すことなく前面に押し出す。
「これでもあんたの観察眼と技術力に対してはそれなりの評価をしてきたつもりだったけれど、駄目ね。肝心の内面がそれじゃあ――やっぱり、世界の平和のためにあんたは殺しましょう」
「診察のために患者に衣服を脱ぐように言うのがそんなにおかしいことかね?」
おかしくはないが、言う相手によってどうしてここまで印象が変わるのだろうか?
ただ、衛生面では不安しかないものの、道具は一通り全て揃っており、それらは全て綺麗に整えられている辺り、しっかりと医者をしているのだな、と思うルーザーだった。
それでも、あの発言は酷いが。
「大体、調査っていったい何をするつもりよ? 私がいるんだから、いつもの外道染みた真似はさせないけど」
「外道とは失礼な。更なる高みを目指すために必要なことだったのだよ……とは言え、患者に内容を説明するのも必要なことだからね。まあ、ルシファーさんから聞いた話だと、どうも君は人工授精とかそういう生まれじゃないみたいだから、その辺の調査。連中がどのような研究をしていたかはまあ大体知っているから、後で話そう」
「知っているのか!? 連中がどうして俺を造ろうとしたのか!」
身を乗り出して訊ねるルーザーをリンネが押さえつつ、香西に先を話すように促す。
「知らないとは言ってないだろう?」
「だから、勿体ぶるなって言うのよ……。えーと、ルーザー。こいつは元々色んな所とコネクションがあったから、その過程であんたのいた施設にも寄ったんでしょうね」
「言っとくけれど、君の冷遇に僕は関わっていないからね、僕に八つ当たりは止めてくれよ」
お道化た調子で言う香西だが、表情はどこか冷たく、殴りかかろうものなら間違いなく返り討ちに遭う。リンネは変わらずナイフのグリップを握ったまま離さない。もしかすると、ルーザーと香西の衝突を回避させるためにルシファーが寄越したのかもしれない。
「……手早く頼む」
一度深呼吸をしてから、怒りの感情を深く沈める。それから言われた通り、シャツのボタンを上から外していく。
***
一方その頃、留守番として久し振りに店長としての役割を果たすルシファーは――
「暇だわー、やっぱもっと人通りの多い所に店出すんだったわー」
売れ残っている商品の人形を両手で弄りながら、客が来るという低い確率に賭けて、店番をするしかない。
「リンネは修羅場を潜り抜けてきたから安心できるとして、ルーザー君はどうかしら? あの変態を相手にして、というか自分の生まれに関わっている奴と対面して、果たして冷静でいられるのかな……っと!」
右の人差し指で人形を弾くと、あらぬ方向へと飛んで行った人形は不規則な軌道を描きながら、元々あった棚の中に商品として納まる。
「心配はしないけれど……その程度で終わるようなら、私は暇で死んじゃうのよねー」
日向ぼっこをする猫のようにだらしなくテーブルに上半身を預ける。他人が利けば単なる戯言にしか聞こえない発言も、彼女を知る者からすればやりかねないと思うことだろう。
「なーにか、起こらないかしら。客も来ないし、誰もいないし――こんなことなら、私も一緒に行っておくべきだった!」
駄々をこねる子供のように両手両足をジタバタさせながら、ルシファーは自身のタブレットの画面を見つめる。
「ビショップ・W。何か面白い事ないかしら?」
ルシファーの声に反応して、タブレットの画面に白いドレスの女性が浮かび上がる。半透明のベールで顔を覆い、どのような表情をしているのか窺うことができない。
「リンネ様とルーザー様は現在香西豊和様と邂逅されたようです。無事に話も進んでいるようです」
ビショップ・Wと呼ばれた画面上の女性は機械的な合成音ではなく、本当に生きているかのような声で事務的な報告をする。
「へえ、もう会えたんだ。それで? 何か面白い事起こってない?」
「いえ、特に目立ったことは」
「チッ、やっぱりリンネが一緒にいると面白い事は起こんないのか」
舌打ちするルシファーを逆に画面越しからビショップが見つめ、思う。
(私の主人は変な人ですね)
画面が割れてもそんなことは口にできないが、そこでビショップは思い出したように報告を追加する。
「あ、どうやら診察のために香西さまがルーザー様の服を脱がせています」
「何それ面白そう!?」
ガバッ! と身を乗り出して、ルシファーが叫ぶ。それを見て、ビショップはやはり変な人だ、と心の中で呟いた。
***
香西の診察は予想に反して、無事に終了した。その点に関して、ルーザーはホッと胸を撫で下ろすも、肝心の本題はここからだった。
「簡潔に言おう。君の欠陥は生殖機能が無いことだ」
シルクハットを指でクルクルと回しながら、香西は書き上げたカルテを読み上げる。一応、医者としての体裁は保っているということらしい――今着ている服の上に新品のように綺麗な白衣を纏っている。
「生殖機能?」
「端的に言うと、君には性別が無い。これに関してはリンネちゃん、君もなかなか性格が悪いぞ? とっくに気付いていただろう、君なら」
「……………………」
香西の指摘に、リンネは腕を組んだまま目を逸らす。ルーザーは何を言われているのか理解できずに、何度も両者の顔を見比べている。
「どういうことだ? それがどうして俺を欠陥扱いすることに繋がる?」
「君を造り出した元々のテーマは『完璧な生物を造り上げること』だったろう。それは別に一つの命で終わらせるということじゃない」
完全な生物ということは何も不老不死ではない。
ルーザーを生み出した研究者達にとっての『完璧』が元は何を指していたのかは今となっては分からない。超人的な頭脳を育てたかったのかもしれないし、虚弱なルーザーを責めたというのであれば、超人的な身体能力を求めていたのかもしれない。
「だが、生物を造ろうとしたのであれば、確実に次へ繋げなければならない。成功した君の遺伝子を子供へと遺伝させなければならなかったのだろうさ」
泥が深く沈殿した沼のように酷い表情をするルーザーを、リンネはジッと見つめる。恐らく、相当にショックを受けているのだろうが、この程度を乗り越えなくては次に進めない。
人造人間であるルーザーは肉体的には相当幼いが、精神的には十代後半くらいのはずだ。
一方で、ルーザーの心中はグルグルと混乱が渦を巻いている。
どうして自分があんなにも蔑まれ続けなければならなかったのか。
その疑問の答えが、まさか子孫を作れないから――そんな下らない研究者達の研究欲を満たすためのものだけのものだったとは。
「……もういいでしょ。一気に聞かせる話としては酷よ」
「いやいや、これからでしょ? もっと彼……いや、彼女かな? 調べさせてよ。何度もご足労願うのは忍びないからさ」
カッ、と軽い調子で香西の左腕にクナイのような形状の刃物が突き刺さる。驚く香西だが、表情を変えず、悲鳴も上げることなく、あっさりと刃物を引き抜く。血が噴き出すことはなく、周囲の肉が押し寄せ、傷を塞いだ。
「何をするのかな?」
「こうでもしないとあんたは話を止めないでしょ。ルーザー、帰るわよ。ルシファーへの義理立ても依頼もこの程度で文句は言われないでしょ」
「君は知りたくはないかな?」
香西の言葉はルーザーに向けられたものだ。
「折角、こうして全ての疑問を解消させる機会を得たというのに、もう帰ってしまうのかい? リンネちゃんに言わるがままされるがままみたいになっているけれども、君はそれでいいのかい?」
答えることができない。元は超人的な頭脳として設計したであろうルーザーの頭には何も浮かんでこなかった。
ショックのせいで空白が生じてしまったのもあるが、香西の言う通り、今まで流されてきたためにどうすればいいのか、何をしたいのかが定まっていない。
ふとリンネの顔を見る。睨み殺さんばかりに鋭い視線がルーザーを射抜く。やがて、引いていた手を離しすリンネ。
「分かった……。じゃあ、あんたの好きにしなさい」
「香西……さん。俺は一生『失敗作』のままなん……ですか?」
そして、ルーザーは端的な答えを求めた。元より『失敗作』の位置から這い上がるために甘んじた蔑称だったが、そもそもゴールが存在するのかが分からない状態だ。肉体的な寿命は幸いにもリンネと出会うことによって解決した問題だが、今指摘された問題はどうすれば解決するのか?
「君の欠陥は一生治らない。少なくとも、現代の医学でも科学でも魔術でも解決できない欠陥だ。君から命は生まれない」
望んでいた通り、端的で残酷な答えが返ってきた。子供が生まれない、という未来は、現在のルーザーにはイメージできないためショックは少ないが、この欠陥が一生付きまとうというのがやはり堪えた。
(この先ずっと『失敗作』という烙印がつきまとうことになるのか……)
すぐに心の整理ができる内容ではないものの、とりあえず記憶の隅に放置して、次の質問を投げ掛ける。
「俺は……どんなふうに生まれ……造られたんですか? 施設に寄ったんなら、聞いてませんか?」
一瞬『生まれた』という表現を言いかけ、ぐっと呑み込む。途端に、全身の血液の流れや心臓の鼓動、思考など全てが人工物のような感覚に切り替わった。今考えていることもコンピュータのプログラミングのように、そういう設計されて動いているのではないか、という未知の恐怖が襲う。
「科学的なアプローチ、魔術的なアプローチの両方を合成した技術で生まれた……っていうと分かりづらいか。生物学的な両親は存在するよ。その点は普通の人間と変わりない」
「そう……ですか」
ルーザーの瞳から光が消える。聞きたいことは一通り訊いた。後は彼に聞いても仕方の無いことだ。両親が存在していたと言うことは、自分に多少なりとも生き物らしさを見出す要素になったが、それでも気休め程度でしかない。現在抱えている全身が人工物であるような違和感や嫌悪感は到底拭えない。
「ちなみに両親については知らない。ただ完璧な遺伝子の製造に当たって、並の才能の持ち主ではないのだろうね」
勿論心当たりも無いけれど――最後に付け足して、香西はカルテを放る。リンネがカルテを受け止めると、パラパラとファイルに纏められたカルテに目を通す。
「金は要りませーん。代わりに聞いておきたいことも、見たいところも全て見させてもらったし。また、いつでも来てくれて構わないからね」
「二度と来たくないわ。あんたも、いい加減引っ越しなさい。退屈してるようならね」
「ああ、そうさせてもらうよ」
適当な調子で手をヒラヒラと振りながら、香西は二人から興味が失せたように椅子を回転させてデスクに向き直る。
***
科学と魔術の両方のアプローチで製造された人造人間。あるいはホムンクルスと呼ばれる――それがルーザーの正体。
「……気に病むな、とは言わない。けれど、あいつが言った通り、この後どうするかは考えておきなさい」
終始無言で歩き続けるルーザーの隣からリンネが言う。
「自分がどうやって生まれたのか、どんな欠陥があるのかは知れた――なら、次は?」
(次……?)
次――次なんてあるのだろうか?
「子供を産むことだけが生物じゃない。それだけが価値じゃない――だから、あんたは何をしたいかを考えなさい」
何をしたいのか。
何をするべきかではない。もっと私的で欲に塗れた願望だ。
「……俺は――どうしたいんだろう?」
急に大金だけを用意されて何に使えばいいのか分からないようだった。欲しかった答えが想像以上にあっさりと手に入ってしまったから、これらから先の指針が見つからない。
「なら、それを見つけるために生きるのも有りよ。私は協力するし」
初めて笑みを浮かべながらリンネが言う。
風で白髪が揺れる。黄緑の両眼が光を受けて輝く。
「私はこう見えて『何でも屋』だから、ね」
生まれてから今まで侮蔑と悲嘆、憎しみに晒されてきた失敗作のホムンクルスは、初めてそれ以外の感情を向けられた。
だから、今胸の内に渦巻くこの感覚を、どう受け止め、口にすればいいのか理解できない。
「リンネ……さん。俺は、『失敗作』と言われ続けた。だから、そうではないと証明したい」
「そう――」
「力を貸してく……ださい」