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Losers  作者: ビーナ
1章:這い上がる者、蹴落とす者
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失敗作

 夢の中に現れるのはいつも自分を蔑む研究員達だった。

『お前は失敗作だ』

『肉体は脆弱。寿命は長くて、一年程度だろう』

『生きる価値は皆無だ。せめて、我々の次なる研究のマウスになるのが、最善だろう』

 次、と言っていた。奴らには次のテーマがあり、目的があり、楽しみがあった。

 だが、自分はどうだ?

 あと一年しかないと言われた。

 マウスとして使い潰されるのが、最も善い道だとまで断言されてしまった。

 あの研究施設にいたのは自分だけではない。

 犬だって自分よりも寿命が長かったし、自分よりも可愛がられていた。

 ならば、自分は何だ? 負け犬よりも劣る――『Loser』という蔑称まで付けられて。

『お前など造らなければよかった!』

 そんな呪いの言葉はあの施設から脱出して数日が経った今でも決して消え去ることはない。

「……………………っ!」

 勢いよくベッドから飛び起きる。寝汗でシーツがぐっしょりと湿り、風が寝起きの体を冷やした。

「……五時。まだ冷えるな」

 最近になってようやく時間の感覚を掴み始めていたルーザーではあるが、朝日や夜の暗闇、気温の変化には慣れなかった。

「ルーザー、入るわよ?」

 ドアをノックする音と同時にリンネの聞こえる。

「はい、どうぞ」

「……早いわね。まあ、気付いてたけれど、あんたまだ引きずってるんでしょ?」

 単刀直入な物言いに首を傾げるルーザーに、リンネは構わず続ける。

「私って結構眠りが深いから、一度寝たらそうそう起きないのよ。こんなに早く起きるのが珍しいくらい」

「? ごめんなさい、何を言いたいのか分からない」

「でしょうね……」

 溜め息を吐きつつ、リンネは手に持っている替えの服を投げ渡す。

「あんた、相当大きな声でうなされてたわ。殺されるんじゃないかってくらい大きな声でね」



***



朝に目を覚ますと喉がやけに痛む原因が判明した。

「それっていつから……?」

「こっちに来てすぐよ。気付かなかったの?」

「朝喉が痛む程度にしか……なら、どうして言ってくれなかった」

 すると、リンネは心底憂鬱そうな表情で答える。

「だって、面倒だったんだもの。言っとくけれど、私の本来の任務はあんたの救助だけ――こうして替えの服を持って来て、世話をするなんて、契約する時にはなかった」

 朝食の用意をするリンネの隣で、ルーザーも料理の仕方を覚える。幸いにも、アレルギーなどの心配は無く、普通の人間同様に食事を取って問題が無いようだった。

「相当トラウマとして記憶に残っているのか……こればかりは私には判断しかねるわね」

「あいつらは確かに嫌いだったし、憎いと思っていた。だが、実際のところ、毎日激痛でほとんどそれどころじゃなかった……。だから、あいつらがいなくなって、普通に暮らせる今はとても幸せだ」

 別に贅沢を言うつもりはない。ただ今のように平和に暮らせて、しかも、寝床と仕事を与えられていることから鑑みるに、悪夢やトラウマの一つや二つは目を瞑るべきではないか、とも思う。

 対して、リンネは納得がいかないというような表情で、フライパンの上の目玉焼きを皿の上に乗せる。料理をしながらルーザーと会話をしているというのだから、彼女の器用さには目を見張るものがある。

「あんたの悲鳴で、私の眠りが妨げられているとしても? やっぱり、あんたはどこか欠けてるのよね」

「あ、いや……そんなつもりは――」

「いや、欠けてる。確かに生きたいという願いも、平和に暮らしたいという願いもあるけれど、その程度は誰しもが持っている。あんたはそれ以上を望んでいない――というか、あんたは現状が良ければ、あとはどうでもいいとさえ思っているんじゃない?」

 向上心や意欲が無いという話ではない。ルーザーの中では「生きる」と「平和に暮らす」の二つの目的しか存在していない。だから、それ以上のことを考えない。料理をするのも、それが生きる上で必要だから。

「あんたはこの目玉焼きに何を掛ける? 食べてみせて」

「……………………」

 ルーザーはテーブルの上に差し出された目玉焼きの乗った皿とフォーク、ナイフを凝視する。リンネが何を言いたいのか理解できない。

 これに答えたからといって、どうなるというのか?

 そして、ルーザーはそのままナイフを黄身に入刀する。そして、小さく切った目玉焼きを口の中に運ぶ。当然のことながら、卵とベーコンの味しかしない。

「どうして、ソースも醤油も使わないの?」

 その質問の意図も、ルーザーには分からなかった。だって――

「だって、味なんて……食事なんて、生きるための行動でしかないだろ?」



***



「動けるようになったなら、働いてもらおうか」

 数日振りに店に戻ったルシファーが開口一番に言った。その奔放な振る舞いに流石に激怒したリンネも朝食の乗った皿をルシファーに向かって投げ付ける事件が起こったがそれはまた別の話。

「ちょうど仕事を頼まれてねぇ、君のリハビリ兼研修としてちょうどいいわ。何より、君に是非会ってもらいたい奴よ」

「いや、だから待ちなさい! 何を私の怒りを次回へ持ち越そうとしている! いや、まさか……研修ってことは私も――」

 ワナワナと震えるリンネの様子を楽しむようにニマニマと嗤いながら、ルシファーは親指を立てる。

「ザッツライト!」

 再び皿が空を舞う。それはまだ俺が食べかけている、と言いかけたルーザーだったが、心底苛立つリンネの表情を見て、自分に飛び火しないことを祈りながら、言葉をそっと呑み込む。

 ルシファーは投擲された皿を立てた親指の平で受け止め、直後破片さえ残さずに霧散させる。

「!?」

「驚くことじゃないわよ、この程度のこと」

 驚くルーザーの反応が面白かったらしく、優しい口調でルシファーが言う。

「それで君さえ良かったなら、このまま依頼人の所に行ってもらうんだけれど?」

「ルーザー、無理ならさっさと言いなさい。嫌な仕事は別に無理してやる必要無いんだから」

 早速コキ使おうとするルシファーの図太さも流石だが、不満を微塵も隠すつもりがないリンネもなかなかだ。

「まあまあ、別に面白そうだからとリンネへの嫌がらせだけでこの話をした訳じゃないのよ?」

「『嫌がらせ』って単語が混じってるなら、絶対に動かないわよ」

「『藪医者』が呼んでるよ」

 見事にリンネをスルーしてルシファーが本題を口にする。尤も、スルーされたリンネがその話を耳にしてスルーすることはなかった。むしろ、この数日間で最も彼女が動揺する姿を見た。

「君のことでちょっと相談してきたんだけれど、何だか凄い興味を持ったらしくてねぇ。もしかしたら、君も知らない何かが分かるかもしれないよ?」

「本当かっ!?」

 思わぬ展開にルーザーは身を乗り出して、テーブル越しでルシファーに顔を近付ける。急に大きな声を出したため、のどに痛みが走るが、そんなことは気にも留まらなかった。明らかに怪しい話ではある。その自分に興味を持っている相手の呼称が『藪医者』という辺りから、恐らくろくな人物ではないのだろう。嫌な想像が膨らむが、それ以上に自分が何故あそこまで蔑まれなければならなかったのか、どうして自分は失敗作だったのか、何の研究を行っていたのか――あの地獄で延々と考え続けては答えのでなかった、あの疑問に答えられる者がいるかもしれないのだ。

 そんな機会は恐らく滅多にない。

「止めときなさい。悪いことは言わない、あいつは本当に関わって得することなんかないんだから」

 リンネの語気が僅かに強まる。面倒だから行きたくない、という理由もあるのだろうが、それ以上にリンネの表情は『藪医者』と呼ばれる相手がどれだけ危険な人物であるかを言外に語っているようだった。

 関わるな――それは本当なのだろう。

「ありがとう、だけど――やっぱり俺は知りたいんだ、何で俺があんな目に遭わなければならなかったのか……」

リンネの表情が余計に曇る。何かを言おうとしては、口籠り、白い髪を掻き乱す。

 それから、ルシファーを恨めしそうに睨み付け、

「……危険だと判断したら、すぐに私があいつを殺す。いいわね?」

「依頼人を殺すのは主義に反するでしょ」

「あんたの依頼はこいつの世話と救出でしょうが」

「こんな時だけ、依頼人として扱ってくれるのよね、いいけど。ところで、場所は分かってる?」

 ルシファーに訊ねられ、リンネは憂鬱そうに首を縦に振る。

「どこだ?」

 首を傾げるルーザーとは対照的にこれから起こるであろう展開を想定し鬱屈とした表情となっているリンネは緩慢な動作で下を指差す。

「下よ」

「下?」

 怪訝な表情のルーザーは自身の足元に視線を向ける。

「件の『藪医者』は下水道常住の世捨て人だよ」



***



下水道――正確にはどの業者にも使われなくなり、忘れ去られた地下道である。尤も、数年前までは下水道として機能していたため、とても衛生的とはいえず、また、人が住めるような空間とはいえなかった。

 声帯、筋肉同様に今までまともに機能していなかった嗅覚を悪臭や異臭が容赦無く刺激する。

「嘘だろ……こんな肥溜に誰か住んでいるのか?」

「呆然とするのも分かるけれど、別に享楽でここに連れてきた訳じゃないから――あいつの趣味なのよ」

「あいつ……?」

 悪臭に耐え切れず、鼻を押さえながら、ゆっくりと歩みを進める。靴の上からでもヌルッと、不快感を拭えない感触があった。

「……こんなところに人が住めるものなのか?」

「無理でしょうね、人間なら――」

「ドブネズミを食らって、ここの汚水を飲み干せるなら、人間だって生きていけるかもよ?」

「えっ……?」

 突如として話しかける声に驚き、振り返る。

「珍しいじゃない、リンネちゃん。こんな汚い所にわざわざ出向いてくれるなんて」

 ボロボロのスーツとシルクハット――本当にこの不衛生な空間で生活をしているのか疑わしくなるほどに健康的な肌の青年だった。

「……あんたは珍しく早起きなのね、『藪医者』。いつもは夜行性のクセして」

「音と臭いには敏感なんでね、君らが来たのはすぐに分かった。初めまして、君がルーザー君だね」

 ルシファーから聞いているよ――『藪医者』と呼ばれた青年は恭しく帽子を取り、深く頭を下げる。

「僕は地下でひっそりと医者を務めさせてもらっている、香西豊和(かさいほうわ)です」

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