プロローグ
失敗作だと言われた。
それは俺のせいではない、と何度も思ったが、実際にそれを口にすることは許されなかった。
許可されないと満足に喋ることができないことこそ、『失敗作』と蔑まれる要因なのかもしれないが、ならば、そのように造らなかったお前達にこそ責任があるだろう、と心の中で呟く。
口がまともに機能しないクセに、内心では人一倍雄弁な自分自身に苛立ちはあった。
だが、それはまだ置いておくとして、舌よりも体が上手く動かない、という事態に対してはいよいよ死にたくなる程自己嫌悪に陥った。
発声器官は脆弱、その他の各臓器も健康とは程遠い様だった。唯一、脳と心臓――人間の魂ともされる、この二箇所だけが常人よりも遥かに優秀に生まれていることがせめてもの救いか。
(――いや、この程度で救いとか、涙が出てくる)
実際、涙を流すことさえできないでいるのだが。
清潔を保った純白の部屋にいた。
常時肉体がボロボロの『○○○○』の生命を維持するため、複数の機械に繋がれ、無菌かつ大量の薬物投与がされている。
生命維持――とは聞こえがいいが、実のところ、新作の薬品と生命維持装置のテストを体良く押し付けられたに過ぎない。失敗作と断じられてしまったように、存在価値を認められていなくとも、折角大金を叩いて造ったのならば、使い潰さなくては勿体無い、というのが本音だろう。
いっそ、意識も刈り取ってくれれば、ただ心臓が動くだけの肉塊であったなら、こんなにも苦しまずに、憎まずにいられたのに。
「お前が奴らが言っていた『失敗作』か?」
そんな問いかけも、最初はただの幻聴だと思った。
生命維持装置で強引の強引な延命処置や、薬物投与による強制的な増強にも限界が訪れた頃だった。脈拍は弱まり、今まではクリアだった視界もぼんやりと曇ってきた。
(限界、か……まあ、俺もよく生きたよ、うん)
自分を散々利用した連中に復讐の一つもできないのは無念ではあるが、自分が死ぬことによって、少しは連中が口惜しそうにする顔を空想すれば、少しは胸がスッとする気がした。
「いや、聞こえないか? ああ、そういえば、喋れないのか、あんた」
やはり、幻聴ではなかった。
面倒臭そうに呟く女の声は、自分より高い位置から聞こえ、物珍しそうな表情でこちらを見下ろしていた。
(見世物じゃないんだが……)
ぼやけた視界ではあるが、女の顔が目深に被られたフードでほとんど隠されていたことくらいは分かった。顔までは分からないが、こんなところにいる時点で、ろくな人間ではないのだろう、と半ば偏見で目を閉じようとしたところで――
「目を開けろ」
短い命令と共に、乱暴に頬を抓られた。
***
「イタッ……!」
思わず発した声に、自分自身驚く。続いて、頬を抓る女の手を振り払い、上げられた左手を見る。
声帯。口。左手。
少なくとも、これらの三つの筋肉を今働かせたことになる。
(信じられない……もうすぐ、寿命だとばかり――)
いや、声や筋肉も驚くべきことだが、いつの間にか、視界もクリアに戻っている。
「気分はどう? 少なくとも、不調は全て取り除いたはずだけれど」
変わらず面倒臭そうに問いかける女を、今度は無視することはできなかった。
確かに、起き上がることができるほどに、体は軽かったし、今までの苦痛が嘘のようだった。
「何を……俺に、何を……?」
「喋るのに慣れていないなら、無理をしないことね。ああ、でも、話を聞くために喋れるようにしたんだっけ……何をした、と質問されると、まあ、人並みの健康状態にしたわ」
あっさりと言ってのける女に、絶句するもそれが嘘ではないことを既に身を以て証明されている。まさか、このタイミングで生命維持装置や薬物が功を奏したはずがない。
「けれど、何も食べていないんでしょ? だったら、もう少しゆっくりと動きなさい――というか、安静にしてなさい」
「そんな……暇は、逃げない、と」
そうだ。この女がどこから現れて、どのようにして自分を治療したのかは知らないが、だとすれば、侵入者を排除するために、連中が来るはずだ――監視カメラはこの純白の室内に五台はある。死角を互いに補完するように配置されており、誰にも気付かれずにこの部屋に入ることはできないはずだ。
「あ? ああ、それは大丈夫。もう済んでる」
済んでるというか、摘んでる――言って、女は身に纏っている深緑のフードコートの内ポケットに手を突っ込む。
「ほら」
気軽に取り出したそれは、真っ赤に染まった小太刀だった。
「男性職員35人、女性職員21人。最後の一人であるあんたと私を除けば、この研究施設は最早無人」
「む、じん……っ」
女の言葉を復唱すると、喉に痛みが走る。今まで全く喋らなかったために、たったこれだけの発音で喉が悲鳴を上げてしまった。女もそれを察したのか、溜め息を吐きつつ、両腕を回して抱き上げる。あの細腕のどこに人ひとり抱き上げる力があるのか――尤も、喉同様に、今まで動かしたことのない足と腕で、歩き、這うことができるとは思えない。
結局のところ、こうして誰かの助けを借りなければ、ここから出ることは叶わなかったのだ。
「……そういえば、あんたの名前は『ルーザー』じゃないわよね?」
今更のように名前を訊ねる女に、声を出せない通称『失敗作』は首を横に振ることで答える。
「ん、じゃあ、あれは?」
部屋を出たところで、女は空いた方の手で部屋の入口に掛けられたプレートを指差す。
そこには『Loser』と、悪意や失望の念が凝縮された単語があった。
失敗作、と。つまり、生まれた瞬間から敗者と位置付けられてしまった。
急な展開によって、心の奥底まで沈められてしまっていた憎悪や憤怒の感情が一気に蘇る。
「馬鹿にしやがって……!」
「悔しいだろうけれど、その復讐はもう叶わない。あんたを造った連中は全て私が殺した」
まさに血を吐き出すようにして怨嗟の言葉を紡ぐも、女が告げる事実によって、憎悪を抱く相手がこの世にいない現実に呼び戻される。
本来ならば、感謝をしなければいけないのだろう。こうして死にかけていたところを助けてもらっただけではなく、脱出の幇助、更に憎むべき連中の抹殺、と――どうしてそこまでしてくれるのかはさておき、命の恩人と呼んで過言ではないはずだ。
しかし、一方で、どうして自分の手で復讐をさせなかったのか、と憤る自分もいる。それが見当違いの逆恨みであることは重々承知しているにせよ、やはり納得しきれない事実ではあった。
「ルーザーでいい。それが、俺の名前……」
その蔑称に、怒りはあったものの、せめてこの地獄から持ち帰ったものとして、名前を選んだ。英語表記にさえしなければ、そこそこ良い感じがしなくもない。
「そう、なら、私も名乗るわ。リンネ・オルタナティブ。リンネでいいわよ」
そして、女も名乗る。その時、施設から飛び出したことで、向かい風が彼女からフードを剥がした。
長い白髪と、虚ろな黄緑の両眼。加えて端正な顔立ちながら、絶望を宿したように生気の無い白い肌だった。
「どこに行く……?」
ルーザーが訊ねる。すると、リンネは心底面倒臭そうに言葉を返した。
「依頼人のところ。あんたを助けるようにって、私を寄こした奴のところ」