6話 幻想の浸食
「あぁ、さっむ……」
クラン・クランからログアウトした俺は、変わらず女神公園のブランコに逢世と共に腰かけていた。
……ん?
女神公園?
かすかな違和感を覚えつつも、俺は『ふぅ』と白い息を吐き出す。
コンタクトレンズにはもう、あの世界は映らない。
イヤフォンからはみんなの声が聴こえない。
終わったのだ。
俺達の冒険が。
込み上げてくる寂しさを紛らわすために、隣にいるであろう逢世に向けて話しかける。
「あー、楽しかったな?」
しかし彼女は俺を無視してジッとスマホを覗き込んでいた。
「逢世?」
再び彼女の名前を呼ぶと、逢世はゆっくりとこちらを向き、その手に持つスマホの画面をこちらに見えるように突きつけてきた。
「もうすぐ……」
逢世は神妙な表情で俺の顔を凝視する。
「もうすぐ、8時ですよ」
「あぁ、そうですか。って、賢護たちと合流しないとだ」
俺がブランコから立ち上がり、スクールバックを持ちあげて『さぁ行こう』と言ったが、逢世はその場を動こうとはしなかった。
「逢世、いくぞ」
「大丈夫」
「何がだ? ほら、いこうぜ」
「星が見たい」
「は?」
一方的に自分の願望を貫き通そうとする美少女に俺は困り果てる。
ここは寒い。コタツに入りたい。
それは叶わなくても、賢護たちと合流してぬくいカラオケ部屋に入って、ドリンクバーをすぐにでも注文したい。温かい緑茶かコーンスープをすすりたい。
「ピピピピ」
だが、逢世はブランコから立ち上がる素振りすら見せず、夜空を仰ぎながら変な擬音を発し始めた。
「なにそれ」
「……ピピピ」
俺の疑問を完膚なきまでにスルーして、逢世はピピピと言い続ける。
「ピピピピピピ」
「なに言ってるの」
「ピピピピピピピピピ」
まるで、お前もやるのが当たり前と言わんばかりに、ぽやーっとにやけながら俺を見つめてくる逢世。
「ピピピピ」
私に続けとでも言いたそうに。
ちょっと怖いんだが。
「宇宙と交信でもしてんのか?」
おれの何気ないツッコミに心底嬉しそうに、驚き、頷く。
「そういうことにしておくーピピピピピ」
仕方ないから、俺ものってやることにした。
こいつを一人置いていくわけにも行かないし、この謎の儀式に逢世が満足するまで付き合うしかない。
「はいはい、ピピピピ」
すると逢世はさっきよりも、笑みを深めて元気な声音で交信を続けた。
「ピピピピー」
なにがそんなに嬉しいんかねぇ、このヘンテコ美少女さんは。
「ピピピ。で、どこと交信してんの?」
「彼氏と」
「は?」
は。なんだよ。
彼氏いるんかい。
まぁ美人だもんな。
「そんなんで届くのか?」
「届いてる。それに、もうすぐだから」
「なにが」
「すずきの傍には、私がいないとダメなんだよ」
どういうことだ? 彼氏はどうした。
なんだよ、それ。俺がダメってどういうことだ。
おまえが俺の隣にいるメリットってなんだ。いや、まぁ逢世みたいな可愛い子が傍にいるのは男として少しは嬉しいけど、彼氏に悪い気がするし……。
「えと……」
言いたい事は山ほどあった。けれど、屈託なく笑う逢世を見て、なぜだかわからないけれども安堵感を覚えてしまった。だからなのか、喉から出かかった言葉の数々は、夜空に霧散していく。
「ピピピ」
「ぽぽぽー。あーいつまでこんな不思議ごっこやってるんだ?」
「ぽぽぽじゃない、ピピピ」
「あーはい、ピピピピ」
『ピピピピピ!』
俺や逢世の口ではない所から、唐突に鳴り響いたピピピ音に俺は驚く。
……ビ、ビビった。
ポケットに入れておいた携帯が鳴ったのだ。
振動するスマホを急いで取ると画面には賢護と表示されていた。
着信相手を確認して、スマホを耳へと当てる。
「賢護、どうした?」
「鈴木! 今、どこにいる?」
「いま、女神公園に逢世といるよ。そろそろソッチに向かう」
「信じられ――とが、起きてる! そっ――は、だいじょ――か!?」
妙な事に電波が急に悪くなった。
「どうした? なんか聞こえにくいぞ」
「テ――ビ! 見れ――か!?」
テレビ、見れるか?
おそらく、賢護が言ったであろう台詞を補填して話しを進めておく。
「いや、見てないけど。どしたんだ?」
「――――ろ! ――――たちは、なん――する! ―――ッツーッツー」
賢護からの良く分からない電話が途切れてしまい、俺は首をかしげる。
もう一度、かけ直そうとスマホをタップしかけた直後。
ドンッとどこかで、何かが壊れる音がした。
背後から響いたその音を聞いて、俺は反射的に振り返る。
そうして目に入ったものは、女神公園の下に広がる、俺達の住む街並みの夜景だ。
民家の光や街灯が夜闇に煌めいている。
だが、そこにはいつも通りの静かに輝く光だけではなかった。先ほどの音が、駅周辺から発せられたと気付いたのは、赤く燃える点を見つけた時だった。
「……あれは火事か?」
ここにいる俺達からでも見える程、規模の大きな火事が駅の近くで起きているのか?
賢護たちは駅前のカラオケにいるはずだ。
現場は近いはずだし、さっきの電波障害も気になる。
嫌な考えに行きつき、俺の中で急速に不安が膨らんでいく。
何が起きてるのか急いで確かめに行かないと。
「おい! 逢世! あそこは賢護たちがいるあたりだ! いくぞ!」
「どうして……」
どうしても、こうしてもないだろう!
「おかしい……」
赤い光点を見つめ、逢世は信じられないモノでも見るかのように動揺していた。そこで俺は気付いた。彼女があらゆる場所に視線を巡らしている事に。
それが示す意味は……街の複数箇所で火の手が上がっていた。
さらにビルやマンション、高い建物がいくつか崩れ落ちていくのもチラホラと目に飛び込んできた。
「おいおい、ウソだろ? 地震か?」
しかし、地面は微塵も揺れていない。
「何が起こってるんだ?」
「こんなのおかしいよ……なんで?」
逢世は頭を抱え、そっと下を見た。
それから数秒間動かなくなったかと思えば、ガサッと風にでも揺れた茂みの方へと視線を移した。
俺は、一秒もここに留まる時間が惜しくなり、ついに逢世の片腕を掴み、強引に現場に向かおうと決意する。
「ここに、出るはずなんてないのに」
だが、逢世は思ったよりも強い力を持っているようで微動だにしてくれない。
どんなに引っ張ってもだ。どこにそんな力があるんだと、若干男として自信を失いそうになるが、そんな事を言っている場合でもない。
「逢世! いくぞ!」
俺の呼びかけに、逢世は全くの無視。
代わりに、公園のある一点を見つめているようだった。
「どうして、ここにいるの?」
震える声で逢世が言うものだから、俺も彼女の視線の先が気になって首を巡らしてみる。
逢世の言う通りだった。
そうだ。
存在するはずのない生き物が、今、目の前にいた。
どうして、ここにいる?
自分の見ているモノが信じられない。
それはサッカーボール程の大きさをした丸い生物。
夜でもわかる、プルンプルンとした弾力性、そのゼリーのような透明さは見間違えるはずもない。そんな生物の目と思しき小さな二つの点が、俺達の方へと向いた。そう思えた瞬間、本能的におぞましいものを感じた。
背筋が泡立つ感覚。
コレは、一体何だ?
「おかしいぞ、まだログアウトしてない……わけないよな」
俺はそいつらを見て、ゲームにログインする専用端末でもあるコンタクトレンズを即座に外した。
だが、依然として目の前にはそいつらが存在していた。
目の錯覚か? 異常か?
ゲームのしすぎで頭がおかしくなった?
パニック寸前に陥りそうな俺達とは無縁そうに、そいつらは。
ゲームで見たままの動き方、移動の仕方、質感をもってその存在を主張していた。
クラン・クランを始めた頃に、狩って狩って狩り尽くし、経験値の糧にした最弱のモンスター。
スライムが。
スライムが公園の茂みから三匹。
雑草の上にポヨンッとしたその体を置き、プルプルとこちらの様子を窺うように、少しずつ接近してきているのだった。
「マジかよ……」