こうするしかなかった
「ごめんなさい」
僕、荒井章一は白沢涼太の背中に向かって小さくそう言うと、白く細い腕を真っ直ぐに突き出した。
その手に握られた彫刻刀は一瞬キラリと光って、彼の首筋に刺さる。太い脈が切れる感触がした。
「…ぅ………」
白沢先輩の呻きに混ざってヒューヒューと息が漏れる音がする。
首から流れ出た血が床に溜まって広がっていた。
「こうするしかなかったんです」
もう何度も何度も同じ言葉を繰り返している。
窓から射し込んだ月の光が僕たちを照らしていた。
呻き声も息の漏れる音も次第に小さくなり、やがて壁に吸い込まれるように聞こえなくなった。
沈黙が闇をより一層深くしているように感じた。
僕は力のなく垂れた白沢先輩の両腕を自分の肩に回して、愛しいその身体を抱きしめた。
ずっしりとした重みと、その身体にまだ残っている体温が僕の身体に広がっていく。ずっと感じたかった感覚だった。
出来ることならこの両腕で抱き締め返して欲しかった。
心臓の鼓動が交ざり合うぐらいにお互いを温め合いたかった。
でも、今聞こえるのは自分の心臓の音だけ。
赤く染まった首筋に顔を埋める。血の匂いに混ざって、シャンプーの柔らかな香りがした。
僕は白沢先輩の、半分開いたままのまぶたをゆっくりとこじ開けた。
彼の顔をこんなに近くで見たのは初めてだった。
まともに目を合わせることすら今までずっとできなかった。
静かに顔を近づけて、生気のない瞳を覗く。彼の瞳の中に自分の顔が小さく小さく映っていた。
かろうじて見えたその顔は、嬉し涙で醜く歪んでいた。