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時空の守者  作者: るー。
第一章 運命と希望
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第一章 運命と希望①

 望むこと。


 私は気が付いたらそれを望んでいました。


 進むこと。


 私には既にそこには進むべき道がありました。

 生まれてからずっとそこでそうやって生きてきた。

 それはこれから先も変わりません。

 変わる事は無いのです。

 私が、今確かに、その場にいる事、変わらない事を、望んでいるのだから。


 求める事。

 望みを求める事。


 体は、心は、勝手に求めていました。

 為す事でとても自分が満たされるのです。

 己が満たされる為に。

 進む事に疑問を持つ。

 それは。

 私の罪。


   1

 少女は背後にある壁に寄りかかり、そして空を見上げる。

 初夏の陽気を感じさせる高い空。

 彼女の視界に映るのは、その空まで届くのではと思わせる程高く伸びる塔の頂点。

 塔を形成する琥珀色の壁と青く塗り染められた屋根。その屋根の上にはこの建物の象徴である、円や十字を重ね合わせた不思議なデザインを造形したオブジェがそびえそびえ立っていた。

 それは人々が信仰する神への祈りの象徴。

 建物は教会だった。

 塔の天辺から視線を下ろし、彼女自身が寄りかかる壁面に目を移す。

 左右横一線に延びる壁面を視線で追うと、教会の入口である門の部分だけがぽっかり口を開け、またその向こうには壁が果てしなく続いていた。

 格子で出来た門はその奥にある祭壇へと人々を誘う。

 祈りを捧げに来た者。

 思いつめた顔をする者。

 友人と共に観光に訪れた者。

 様々な人間がその中に入って行き、出て行く。

 そして、行き交う者は皆、門を抜けた後、一度立ち止まり、感嘆の息を零していく。その光景に少女は一人笑みを零した。


   2

 神々が定めし運命の環。

 我々はここに今 神の祝福の元 生を与えられている

 天空の彼方から 降り注ぐ太陽の光

 緑深き豊饒の大地

 ああ 今この生命ある事に感謝を

 ああ 幸福を与えてくれる神に祈りを


 大聖堂に響く賛美歌。意匠をこらされた高い天井まで、厳かな空気と共に余韻が反響していた。

 祭壇の上で歌うのは一人の少女。

 彼女の周囲を白いローブを纏う人間が囲む。その様子から彼らが神官であり、神事を行われている事が分かる。階級によって色や紋様が変わるのであろうローブの上から肩に掛けられる帯には豪奢な細工が施されていた。

 少女はその聖堂に集まる人間の中で一人異なる衣装を纏っていた。

 周囲の者と同じ白いローブにふんだんに使われた金糸が、彼女の仕草で生地が波打つ度に光を反射し、少女が元々持つ厳かな空気を一層際立てる。

 大聖堂の天井に細工されたステンドグラスから差し込む柔らかな光が彼女を包み込み、整った容貌に持ち合わせた黄金色の髪がきらきらと輝く。

 彼女は一人高らかに、透き通るような歌声を響かせていた。

 少女が歌を歌い終え、祭壇の横の扉から消えるまで姿を見守る神官たちは、崇高なものに向ける眼差しを湛え、見守り続けた。

 彼女の姿が完全に消えると、厳かな空気も霧散し、周囲から一斉に溜息が零れる。

「ソルエ様は変わらずの歌声でしたな」

「ああ。まさに神に選ばれし御方」

 神官の一人が、既に少女が隠れてしまった扉に目を向け、未だ反響し、鼓膜に余韻を残す歌声に感嘆の息を漏らす。

それに同意するように、やや老齢の神官は頷いた。

「本当に既に神が光臨されているようだ」

「あの方の歌声を聞くだけで、あの方にお会いするだけで、神の御傍に近づけたような、畏怖と畏敬の念が自然と心に生まれる」

 二人の神官の会話を聞いていた別の神官は感極まっている様子で目を閉じた。

 「ところで」と、老齢の年齢は話を切り返す。

「ソルエ様は今年で幾つになられましたでしょうか?」

「今年で十五です」

 答えた神官の言葉に、彼らの間から、そして彼らの話を何気無く聞いていた周囲から一斉に溜息が零れる。

「もう十五になられるか」

 老齢の神官は呟くと、先程までの喜びの表情から打って変わって悲壮感を表に浮かべ、もう一度少女が消えた扉に目をやり、その奥にいる少女を思った。


 海に浮かぶ月。

 空に跳ねる魚。

 花の降る丘。

 それはとても抽象的で、それでいて、鮮やかな色彩が想像される。

 青と蒼と碧。

 紅と緋と赤。

 この世界に同じものなんて一つも無く、同じ色なんて一つも無く、パレットの上で作り出す色は、二度と同じ色を作り出す事は出来ない。

 目の前にある色はどんな色?目を閉じて浮かぶ色はどんな色?

 少女は目の前にある掌サイズの真っ白な紙に、彼女の瞳の奥に映る景色を描いてゆく。

 横に置かれた絵の具は、彼女が左手に持つパレットの上に既に少しずつ色を乗せられ、様々な色と混ざり合い、本来持つ純色も失っている。

 彼女はただ無心に、楽しそうに、右手に持つ筆を滑らせ、紙に思い描く風景を模写してゆく。

 彼女がいるそこは路地の一角。通路の両側を人が暮らす石作りの家に挟まれ、正面をその向こうにある道路に面して作られた壁に囲まれている。

 見える風景は、壁、壁、壁。天を仰ぎ見ると建物同士を繋ぐように幾重にもロープが張られ、洗濯物が揺れている。それを超えて僅かに見える青空。

 炭鉱を主とし、大きくなったこの町の空は、金属を精製する過程で、工場から煙が排出される。空に無尽蔵に吐き出される煙は、青い空をやや灰色に変色させていた。

 少女は冷たい石畳の道の上に直に座り込み、手に持つ小さな紙と、既に底尽きかけている絵の具とそして筆を手段に無心で絵を描いていた。

 周囲の雑音も聞こえない程、集中して描き続けていた彼女はふと筆を置く。

 彼女はきょろきょろと辺りを見回すと、持っていた筆を、絵の具と共に横に置いていた鞄の中に戻した。

「もう絵を描かないのか?」

 突然声を掛けられ、少女はびくりと肩を振るわせた。

 咄嗟に持っていた紙を胸元に隠し、少女は声がする方へ恐る恐る振り返った。

 彼女の背後にあった壁は男性の背丈よりやや高いくらいで、その向こうに続く指導と分け隔てる為に作られた壁だ。

 その壁の上から上半身を乗り出し、片手にパンを持ち、そのパンに噛り付きながらこちらをのんびりと見つめる少女がいた。

 年の頃は十五、六だろう。無造作に切った髪を後頭部の高い位置で一つに括っており、肌の色は白く、まだ幼さを残す愛らしい顔立ちに添えられた大きな瞳がくるりと興味津々に彼女を覗き込んでいた。

 壁の上から前身だけを乗り上げていた少女は、そのまま壁を登ると、跨いでこちら側へと飛び降り、楽々と着地する。

 動きやすい格好を嗜好するのだろうか、袖無しのシャツに、太ももまで曝け出した短いパンツ、可愛らしいその顔立ちが無ければ少年と間違えそうな程簡素な格好を彼女はしていた。

「オレは真澄。あんたは?」

 真澄と名乗る少女はにっこりと笑みを浮かべ、紙を胸に抱えたままの少女に問いかける。

「……私が今ここでやってた事見た?」

 問いには答えず、少女は警戒した眼差しで真澄を見上げた。

 その少女の様子に真澄は肩を竦めると、「見た」と答える。

「あんたがオレの気配に気付くそのずっと前、あんたがここで絵を書き始めてからずっと見てた」

「なっ……いるならどうして声を掛けてくれないの?」

 何事でも無いようにあっさりと言い放つ真澄の台詞に、少女は激高する。

この場所に来た時は誰もいなかったはずだ。それは確認した。

そして絵の具を取り出して、描いている途中で、壁の向こうに何か気配があるのを感じて、筆を止めた。

絵を書いている間、夢中になって周りの物も音も自分に入ってこないことは自覚している。けれど。

「気配は感じなかった。絶対に気付かれないように、気配だけは常に察せるように敏感になっていたはずなのに!」

「そりゃお前、生きているものの気配だろ。それじゃオレには気付かねぇよ。存在感を感じなきゃ」

「?」

「……まぁいいや。邪魔するつもりは無かったんだけど。向こう側から誰か来る気配を感じたからな。その前に教えてやろうと思ってさ」

 真澄の言っている内容が掴みきれず、眉間に皺を寄せる少女に、「ホレ」と彼女は、三方向を壁に囲まれ、唯一の通り道である少女の背後の路地を指で指すと、その向こうから人のシルエットがこちらに向かって歩いてきていた。

 少女はその姿を確認すると、慌てて地面に置いてあった画材を拾い上げ、真っ直ぐな一本道しかないのを分かっていながら右往左往と、これから向かってくる人間と顔を合わせたくないのか必死で逃げられる場所を探す。

 その姿は傍から見ると滑稽の以外の何ものでもなく、真澄はきょとんとすると彼女の行動を静観した。

 少女はおろおろと、その場をぐるぐると無意味に回っていたが、はた、と止まると、真澄を見上げ、そして彼女が降りてきた壁を見上げる。

「……」

 真澄はまさかと思いながら、彼女の次の行動を見守っていたが、――彼女は予想通り壁をよじ登ろうとし始めた。

 壁の周りに足場と言える物は何も無い。

 よって彼女はぴょんぴょんと飛び跳ね、彼女の頭二つ分以上の高さはある壁の天辺に手を引っ掛けてよじ登ろうと、手を伸ばす。しかし彼女の左手には画材と紙。右手だけを空けて頻りに伸ばすが、届いたところで登れはしまい。

 真澄は小さく溜息を吐くと、壁を面にして隣に立ち、ひょいと壁の天辺の僅かな足場に登る。登ったところで屈み込むと、少女に手を差し出す。

「ほれ」

 少女は暫し唖然としたが、迫り来る足音にびくりと身を震わすと、迷わず差し出された手を握り締めた。

 小柄であるはずのその少女の何処にそんな力があるのか、真澄は彼女をそのまま軽々と引っ張り上げると、自分の隣に座らせた。

「……」

 少女は今度こそ絶句した。

「いいのか?逃げるんだろ?」

 それも彼女にとっては気に留めない事なのか、真澄は壁の向こうにある道へ降りないのかと指し示す。

「あ……」

 少女は我を取り戻し、彼女を見上げると、自分が先程までいた路地の壁向こうにあった道へと飛び降り、駆け出す。

 そして一度振り返ると、まだ壁の上に座ったままの真澄に声を掛けた。

「私はソルエ!ありがとう!」

 それだけを言うと、また前に向かって駆け出すソルエの姿を真澄は見つめていた。

さっきまでソルエが怯えていた、今まさに迫り来る人物を、彼女は肩越しに見遣ると、シルエットだった人物は男だった。彼は三方を壁に囲まれた行き止まりに辿り着くと、空を仰ぎ、そして壁に登ったままの少女に申し訳無さそうに声を掛ける。

「すみません。道に迷ったようなんですけど……」

 尋ねられた少女は彼を見下ろし、消えていった少女の道筋を見て、そしてまた彼を見下ろすと、笑った。

「道ってそんなもの。迷ったら戻って違う道を行けばいいんだよ」

 返ってきた彼女の台詞に、男は困惑するように少女を見つめ続ける。

「もしくは自分で新しく作ればいいんだ」

 彼女の目は、既に姿を消した少女の辿った道筋を見つめていた。

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