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時空の守者  作者: るー。
第四章 機械人形の恋
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第四章 機械人形の恋②

   3

 例え貧困で喘ぎ、いつ戦火に巻き込まれるかもしれない恐怖が常に取り巻く街にも等しく朝は来る。

 大地の形が変わっても、人間が建てた建造物が崩れても空の色は変わらない。

 カーテンの無い窓から差し込む光が診療所に直接差し込む。

 診療ベッドまで差し込む事は無いが光の無かった部屋の壁を青から黄、そして白へと色を帯び、椅子や机が床に黒い影を作り出す。

 明るくなった室内に瞼を擽られ、マルクは目を覚ます。

 どうして自分は部屋ベッドではなく、診察ベッドに寝ているのかと自問するが、すぐに昨日泊まった客人に自分のベッドを貸したのだという事を思い出した。

 何気無く私室へと繋がる戸口を見て、――マルクは息を止めた。

 ――空いている。

 慌ててベッドを降り、戸口を開け、中に入る。

「カラシャ!?マスミさん!?」

 名を呼ぶが、部屋の中に姿は無く、ベッドは使った様子無く、綺麗に毛布が敷かれていた。

 ベッドに駆け寄り、温もりが残っているか確認するが、冷たい。

「一体何処へ!?」

 自分が外と繋ぐ玄関のドアのある部屋で寝ていれば何かあった時にはすぐ気が付くし、万が一気が付かなくても、カラシャがいればそれなりに対処は出来るだろうと思っていた。

 この街は元は優しい人たちが多かったとはいえ、それはある一定の生活水準を保っていられたらの話だ。

 どんな人間だって余裕が無くなれば生きる為に必死になるし、どんな事でもする。中には自暴自棄になる者だっている。

 今この街で女子どもが生きるには危険が大きくなり始めている。一人で出歩いたらどんな目に合わせられるか分からない。

 カラシャは人にとって嫌悪の対象であるから、今はまだ襲われていない。彼女だって見た目が女性なのだ。何時襲われるか分からない。彼女自身のパーツに目をつける者だって現れる可能性がある。だから昼間大通りを歩く事しか許していない。

 マスミが己の腕にどれだけの自信があるかは分からないが、男相手にどこまで通用する術を持っているかは分からない。

 だから自分が守れるように警戒して眠っていたのに。

 マルクは慌てて玄関のドアを開ける。

「わっ!!」

「!?」

 ドアを開けると目の前にカラシャが立っていた。

「カラシャ!何処言ってたんだ!?マスミさんは!?」

 捲くし立てて問い詰めるマルクにカラシャは目を見開く。

「どうされたんですか?」

「どうされたんですかじゃないよ!何処に行ってたんだよ!?マスミさんは大丈夫なの!?」

 焦るマルクの一方でのんびりした様子で答えるカラシャに苛立ちながら問い詰める。

 カラシャは戸惑いながら診療室の窓まで行くと、窓を開け、上を見上げる。

 マルクも彼女に続いて窓を覗き、上を見上げる。

 見上げると同時に、突然空から紐が降ってきた。

「うわっ!」

 突然目の前に紐が現れ、マルクは思わず後退る。

 カラシャは分かっていた様子でその紐を掴むと、机の前にあったコンピュータに繋いだ。

 電源を入れると起動し始め、情報ネットワークの中に入り始める。

「え!?回線が直ったの!?」

 淡々と作業を進めるカラシャの隣で、マルクは驚いてコンピュータの画面を覗き込む。

 それから間も無く廊下からパタパタと人の走る音がしたかと思うと、玄関の戸口からひょっこりとマスミが顔を出した。

「どうだ?繋がったか?…っと、先生、おはよう」

 カラシャに確認する言葉を掛けると、真澄はマルクの姿に気が付き、にっかり笑う。

「おはよう…」

 思わずマルクもにっかり笑って挨拶を返す。が、はっと我に返ると、ズカズカと真澄の前に歩み寄る。逆に真澄は彼の行動に驚いて後退った。

「おおおおおっ!?」

「何処へ行ってたんですか!?心配してたんですよ!?」

「え?あ…ああ」

「この街は今君みたいな女性にとって危険な街なんですよ!?」

「ああ…まぁ」

「分かってるんですか!?ただでさえ薄着でこんな所にいるのに、更に夜出歩くなんて!」

「はい。すみません」

 あまりの剣幕に気圧され、真澄は素直に謝るしかなかった。

「分かればいいんです。――それで、これは何ですか?」

 ふん。と大きく息を吐き、満足するとマルクはカラシャが操作し続けているコンピュータを指差す。

「コンピュータ」

 あっけらかんと答える真澄に、マルクは溜息を吐く。

「それは分かっています。どうして回線が繋がるようになってるんですか?」

「あ、上手く繋がったんだな。よしっ!」

 マルクの問いに答える事無く、彼の質問から回線が繋がっている事を確認した真澄は彼をすり抜け、うきうきとカラシャに歩み寄っていった。

「ちょっと待ってください!」

 マルクは慌てて真澄を追うが、彼女は彼に目を向ける事は無く、コンピュータの画面を見つめる。

「どうだ?」

「…マスミさんの言ってた通り、この街の事は完全にシャットアウトです」

「そうか。んじゃ最後の確認、本当にやるんだな?」

 真澄はコンピュータから視線を外し、カラシャを見つめる。

 カラシャの表情は揺れる事無く、コクリと頷いた。そしておもむろに伸ばしてきたマルクが紐と思っていたケーブルをコンピュータから抜くと、己の手首に差し込んだ。

 表面的には人間と同じ肌色の皮膚のようで挿入口らしきところなんて何処にも無かったが、ケーブルはまるで吸い付くように肌色の皮膚に入っていく。

「ネットワーク接続コードはランダムで入力します。中継ポイントは六箇所。転送可能エリア確認」

 傍から見ればカラシャは机の前に立ち、何処か遠い目をしながら、言葉を発していく。

 ただ一つだけ、右手首に人とは異なる違和感を与えながら。

 マルクは二人の行動についていけず、何かを話しかけても淡々と作業内容を報告していくカラシャに問うのを諦め、やる事がなくなったのか、ボンヤリとしながら診療用の椅子に座り、カラシャの報告が終えるのを待っている真澄に向き直った。

「カラシャに何をしたんですか?」

「オレは何もしてねーよ」

「じゃあ何故カラシャは突然こんな事始めたんですか!?」

「カラシャが自分で望んだから」

 その言葉にマルクはぽかんと口を開く。

「望んだ?」

 しかし真澄は彼の反応に何かをいう事は無く、コクリと頷いた。

「そう。カラシャがあんたの為、街の為に出来る事が無いか。そう言うから、出来る事教えたら、やりたいって言うから手伝った」

「やりたいって何を」

「――ライブ映像の配信」

 あっさりと答える真澄にの言葉の意味が分からず、マルク一瞬動きを止めた。

「ライブ映像?」

「そう。この街の現状を世界中に配信すんだよ。カラシャが今まで記録してきた映像とこれから記録する映像をネットワーク経由して全世界に配信する」

「そんな事して何に…」

「まあ、それはやってみなきゃ分からんけど。良い結果も悪い結果も転がり込んでくる可能性はあるな」

 真澄はさも何もなさ気にカラカラと笑う。

「そんな!良い結果って何ですか!?それに悪い結果って…」

「だから出来る事なら、カラシャから離れる事をお勧めするぞ。リスク高い事やってるからな。下手したら命に関わるかも」

 戸惑い、問い続ける事しか出来ないマルクを真澄は真っ直ぐ見据えた。

 マルクは悪寒で全身に一瞬震えが走るのを感じたが、己の手首をぎゅっと握り締め、堪える。

「カラシャは機械人形です。意思は無いはずなんです。失礼を承知で言いますけど、真澄さんが指示を出したんではないんですか?」

 彼女は並の人間ではない。豊富な知識を持ち、高い状況分析能力と危険地域に脅える事の無い強靭な精神力を持っている。

 そんな人間ならカラシャをいのままに操る事など簡単ではないのか。

 昨日、この家に彼女を招きいれたのは間違いだったか。

 マルクはぎゅっと唇を噛む。

「マスミさんは私の願いに協力してくださっただけです。全ては私が望んでしているんです」

 ある程度の処理を終えたのか、カラシャの手首にはまだコードが繋がれたままだったが、瞳の焦点が戻り、マルクを見据えた。

「カラシャ…」

「私は機械人形です。人間の為に作られました。私には何も出来ない。先生のお役に立てる事も少ない。私がこの街の人の為に出来る事が無いかお尋ねし、リスクもお伺いした上で私が望んで実行してるんです」

 そう言うと、カラシャはマルクから視線を外し、真澄を見る。

「情報配信の方法の確立と、こちら側のプロテクト完了しました。そしてある程度の映像は今までのメモリからピックアップしてネット上に載せておきました。そしてエリア設定も再設定し直しましたので一回一回コードを繋がなくても、街の中の幾つかのポイントから転送出来る様にしました」

「取り敢えずはそれでOK。後は勝手にあちらさんが動き始めるさ」

 真澄はおどけた表情で答えた。

 何もかも置いてけ堀で話に付いていけず、どう入っていいのかも分からずにいたマルクにカラシャは向き直る。

「勝手して申し訳ありません。先生。――これから私といると危険を伴うと思われます。だから…」

「僕が君を拾ったんだ。君は僕の大切な家族なんだ。何が何だか分からないけど、そんな事で君を見捨てたりしない。僕は君から離れない。但しちゃんと説明してくれ。僕にも分かるように」

 マルクは諦めたように苦笑して、カラシャを見た。

「それでまずは爆発で断絶したケーブルをどうやってここまで繋いだんだ?」

「引っ張って」

 カラシャはそう答えるしかなかった。

「引っ張ってって…そんな長いケーブル何処にも無いだろう」

 明瞭としていてそれで相手を理解させられない回答にマルクがどう聞いたらいいものかとポリポリと頭を掻いて問うと、真澄が答える。

「オレがこの街にある電波を飛ばす中継地点まで行って生きてる機械も直して、そこからここの屋上にある無線受信アンテナを直してみた」

「つまり、中継地点に行って、壊れた機械を直して、家の屋上にあるアンテナに直接無線で送受信できるように設定し直してきたと」

「そういうこと」

 真澄が頷き、机のまでカラシャがこくこくと頷く。そしてカラシャが続けた。

「外を歩いていましたけど、ご心配は無用です。マスミさんとても強いんです。声をかけてきたり、不穏な行動をされる方をばったばったと倒されていったんです」

 余程気持ちよいくらいの捌きだったのだろう。目を輝かせて語るカラシャにマルクは溜息を吐く。

「マスミさんは何でも出来るんですね」

 いざとなったら二人を守るのは自分だと気構えていたが、これでは自分の立場が無いとマルクは気落ちする。

「何でもじゃねーよ。それにオレだって誰かと行動しねーと何もしねーし」

 そう言って笑う真澄に、マルクは目を丸くした。


 カラシャがネットワーク上にライブ映像を流し始めてから、変化が起こり始めたのはそれから十日後の事だった。

 太陽が空高く上り、日差しも強くなり始める頃、路上でそれまで一日の時間をただやり過ごしていた人たちは一人二人と近くの公園へ集まり始める。

 それは公園で一日に一回だが炊き出しが行われるようになったからだ。

 街にある数箇所の森林公園としてあるようなそれなりに規模のある公園に数百人が列を作り、食事を取る。

 街の人間は不思議に思い、炊き出しを行ってくれる人間に問う。

 「何故突然こんな事を?」と。

 彼らは一様に同じ事を答える。

 『ネットワーク上でのこの街の現状が後悔されていて、自分にも何か出来る事は無いかとこのボランティアにさんかしたのだ』と。

 街の人間には分からなかった。

 この街のネットワーク回線は随分前に破壊され、まともにある物はないはずだ。

 ここ数ヶ月この街に何が起こっているかなんて当人たちでさえ、ただ一人も知る術が無かったのだから。

 ただ突然、街のあちこちで爆発と暴動が起き、大量の死者と大企業が街から逃れた事による失業者が一気に増えた事しか分からなかったのだから。

「マスミさん!凄いです!国内にあったボランティアの人たちが毎日炊き出しを行ってくれるのと、幾つかの慈善団体が生活に必要な物資を何回か運んでくれるようになりました!他にも資産家の人たちが幾人か寄付をしてくれるそうです!」

 ネットワークに接続している姿を極力第三者に見られることを避けるようにしていたカラシャは診察室で日に数回定期的にネットワークから情報を収集するようにしていた。

 喜びはしゃぐカラシャの横で、マスミは炊き出しで配られたパンにぱくりと齧り付く。

「ふーん」

「感動が薄いですよ!マスミさん!」

 興奮するカラシャとは対照的に真澄は冷静だ。

「確かにここまで効果があるなんて、正直思っても見ませんでしたけど…大丈夫なんですか?」

 空だった診療所の棚は今は薬品で埋まっている。その棚をマルクは見つめ、そして不安そうに真澄を見た。

「んー。まーな。世の中には善人でありたい奴はごまんといるからな。まぁ、戦場と化してるなら慈善団体も入ってこれねぇし、他国も介入できねーだろ。でもまだ戦争は始まってねぇ。だから出来る手段だ。これで多分戦争をおっぱじめようとして情報封鎖していた両国に国内外から圧力がかかるだろ。後はどう出るかだ」

 この人はそこまで考えていたのかとマルクは感嘆の息を零す。しかし次いで出た言葉にがっくりと肩を落とした。

「あ、あと、その資産家ってーのチェックしておいてな。寄付内容もな。こういう慈善活動に乗じてお偉いさんの間で金横流しする奴と、上で止めておいて実際に必要な金を下まで流さない奴がいるからな。そういう奴のデータは後で取引に有利になるいい罪状になるからチェックしておくに越した事は無い。言っとくけど金の操作には手を出すなよ。バレるから」

「…マスミさん。腹黒いですねぇ。そこまで考えてるんですか」

「何を言う。世の中自分が得する為にはここぞとばかりに頭が働く奴なんかそれこそごまんといるんだぞ。そいつらを更に出し抜かなきゃ権力も金も無い一般人は渡り合えねーんだよ」

 ふんぞり返り言い切る真澄に、マルクは何も言えなかった、

 確かにそういう一面もあるからだ。

「どんな映像流してるか知りませんけど、カラシャのだと分かるようなものを流してはいないんでしょうね。マスミさんには感謝していますけど、これでもしカラシャに何かあったら許しませんからね」

 威嚇する視線を真澄はさらっと受け流し、気にも留めない様子であっさりと目を逸らした。

「ちょっ…」

「コールセル先生!止めてください!」

 まともに耳を貸さない真澄に苛立ったマルクは声を上げるが、カラシャが制止する。

「私がやりたいって言ったんです!極力私だと特定出来ない様にだってしてあります。いつだってマスミさんは私の行動に助言をくれるだけなんです。私に人間の想いは全ては分かりません。嘘を吐かれれば見抜けないし、駆け引きだって出来ません。だからマスミさんがいつだってリスクや成功率を含めて全て話してくれるんです。決めてるのは私です」

 必死に訴えるカラシャにマルクは首を振る。

「ねぇ。カラシャ。何故君がそこまでしなくちゃいけないんだ。他の人だって出来るじゃないか。君がそれをやる必要があるのか?」

「先生…。先生はいつも泣いていたじゃないですか。薬がもっと十分にあれば。爆発が起きなければって。救えずにただ死んでいく人たちに泣いていたじゃないですか。医療からだけじゃ駄目なんです。目の前に救える命を救う努力だけじゃ変わらないんです。もっとこれから酷くなる。私は機械人形です。医療用が目的で作られたのではないからあまりお役に立てません。けど、ネットワークに関してなら、私はお役に立てる。私はお役に立ちたいんです。私に出来る事で先生を泣かせずに済む事ができる」

「僕は君がいてくれればそれでいい!役に立とうと思わないでくれ!何もしなくていい!何も出来なくていいから!」

 叫ぶようにマルクは言葉を吐き出す。

「役に立つ事だけが全てじゃない」

「私は――でも」

 カラシャは初めて戸惑いを見せる。

「人は傍にいてくれる、それだけでいいという想いだってあるんだ」

 沈黙がその場に降りる。

 カラシャは俯き、同じく俯いたままのマルクを少し見上げて、そしてまた俯く。

「それでも、私は…先生に、街の人たちに、前みたいに笑って欲しいです」

「―――」

 マルクは何も言わない。

 カラシャは顔を上げない。

 カランカラン。

 ドアベルが鳴り、腕を抱えた少年と連れ添った母親が入ってきた。

「あ…あの…」

 室内を入ったときの思い空気に、母親はおずおずとマルクを見る。

「お。どうした。ボウズ」

 最初に声をかけたのは真澄だった。

 診察椅子を少年の前に差し出すと、座らせる。

「先生。見てやってくれ」

 真澄は少年の支える腕を代わりにさせてやると、丸くに振り向き、声をかける。

「痛い!痛い!痛い!」

 少年は抱えられるだけで痛みを感じるらしく、激しく泣き叫んだ。

「我慢しろ。叫んだって痛みは引かねーんだから」

 声をかける真澄を見て、マルクは一度カラシャを見るが、諦めた様子で少年の元へ寄る。

「どれ。見せてごらん」

 腕の可動域や傷を確認し、マルクは処置をしていく。

 真澄は痛がる少年を宥めながら彼の補助をする。

 カラシャはただ見つめていた。

 本来いつもなら自分がマルクの隣にいて、彼を手助けしていた。

 いつもジレンマを抱えながら。

 カラシャは自分の手の平を見つめ、拳を握り込む。

 その時、外からドォンと激しい爆音が聞こえた。

 反射的に室内の全員が顔を上げる。

「近いな」

 真澄が呟く。

「最近は戦闘が止んでいたのに」

 マルクは唇を噛む。

 そして少年の処置を手早く終えると、母親を見上げた。

「お母さん。息子さんの腕は折れています。取り敢えず固定しておいたので安静にさせてください。二、三日は炎症を起こして痛がると思いますから、その時はこの薬を飲ませてください」

 そう言って棚にある数種類の錠剤の入った瓶を取り出し、袋に入れると、少年の母親に差し出した。

 ドォン!!

 更に先程よりも近い距離で爆音が響く。

 爆発の衝撃が地響きとなってこの部屋まで伝わり、グラグラと足場が揺れた。

「きゃっ!」

「わっ!」

 母親は咄嗟に息子を庇い、抱き込む。マルクはバランスを取れず、その場に引っくり返った。

「先生!」

 カラシャは慌ててマルクに駆け寄り、抱き起こす。

「今のはでかかったな」

 真澄は窓を開け、爆音のした方向を見る。

 しかしそこからは今将に建物が崩れ灰燼が舞い上がり、煙で何も見えなくなっていた。

「もしかしたら援助に来てくれた人たちも巻き込んでるかも!」

 マルクは勢いよく立ち上がると、往診用の鞄を取り出して、薬と処置道具を次々と鞄の中に詰め込んでいく。

「援助の人たちを巻き込んでまで戦うなんて…全く無関係な他の国から来てくれた人たちだっているのに」

「それだけ本格的に戦いを始めたんじゃないのか」

「そんな…」

 カラシャは真澄の答えに言葉を返せなかった。

「国のお偉いさんがそう決めちまったら、オレたちには手を出せねーよ」

「今までと同じだよ。僕はただ負傷した人たちを治すだけだ」

 準備の整ったマルクは重くなった鞄を肩から提げ、診療所を出ようとする。その時まだ震えて抱き合う親子を振り返り、彼らに声をかけた。

「もしよければ、まだここにいてください。ここはまだ被害にあってないから。今すぐ外に出るのも危険でしょうし」

 にっこりと微笑んで、マルクは急ぎ足で外へ出て行った。

「先生!」

 カラシャは慌てて後を追う。

 外に出ると、爆発と建物の崩壊から逃げてくる人で道は溢れていた。

 普段路地で座り込んだり、寝転んでいた人たちも爆発場所が近かった事もあり、危険を感じたのか何処にもおらず、障害物となり得る物が無い道路を人は足早に行過ぎていく。

「先生!」

 左右見ても、マルクの姿は既に無い。

 必死に人混みの中から探し続ける。すると、唐突に左肩を叩かれ振り返ると、真澄が立っていた。

「行くぞ!」

 それだけを言うと彼女は逃げ惑う人混みの中を、流れとは逆に走っていく。

 元々格闘の腕が立ち、動きが早い事を知っていたが、カラシャの目の前で真澄はまるで障害物は何も無いかのようにすいすいと先に進んでいく姿に驚いた。

「待って!」

 人にぶつかりながらカラシャは懸命に真澄の後を追う。

 ドォン!

 空気を震わせ、大地を揺らす程の爆音が一瞬にしてカラシャの全感覚を襲う。

「!!」

 許容量を超えた衝撃に、カラシャは咄嗟に全ての回路を一瞬遮断する。

 すぐ再起動すると、目の前に建物が振ってきていた。

 五階建ての建物の三階から上の部分が爆発で吹き飛ばされ、そっくりそのまま人が逃げ惑う道路に覆い被さるように落ちてきた。

「!?」

 人間の者とは思えない、カラシャが今まで認識したことの無い悲鳴が響き渡る。

 カラシャは動けなかった。

 判断する情報も材料も無かった。

 このまま自分の身を守る為、落下範囲から逃げるべきか。

 今目の前にいる人間を一人でも救うべきか。

 一瞬の内に出来なかった判断は、一瞬の内にカラシャに結果の現実を突きつけた。

 建物はまさにカラシャの目の前に降り、すぐ目の前にいた人を無残に押し潰した。

 潰される瞬間に聞こえた、「ぎゃっ」と肺を押し潰した様な悲鳴。

 粉塵が視界を曇らせる。

 数度瞬きをすると、さっきまで無かった巨大な建物の残骸がカラシャの目の前の道を塞いでいた。

 周囲からは呻き声や、「助けてくれ」という力無い叫びが聞こえてくる。

 カラシャはその光景をただ目に焼き付けていた。

 そしてはっと我に返る。

「先生!?コールセル先生!?」

 叫ぶが目の前の壁のように立ちはだかる岩が声を遮る。

「マスミさん!」

 何処からも返事は返ってこない。

 カラシャは人間が言う、血の気が引くとはこういうことだろうかと思いながら、宛も無くその場をうろうろ歩き始めた。

「先生!先生!先生!」

 マルクは姿を見つけられなかったが、カラシャのずっと先を行っていたはずだ。

 マスミは最初に出会った時、今日みたいな崩落した建物から傷一つ無く出てきたのだ。

 きっと二人は大丈夫なはずだ。

 そう思うのに、不安は消えない。

 建物の下から呻き声が聞こえてくる。

 もしかしたらまだ助けられるかもしれない。

 しかしそれよりも先にまずマルクの安全を確認したい。

 二つの想いがせめぎ合う。

「私は機械人形なのにどうしてこんなにも迷うの?」

 そうしている間にも聞こえてる悲鳴は力を無くしていく。

 カラシャは暫しその場に立ち尽くす。

 そして徐に歩き出すと、声のする場所へ向かった。

 建物の瓦礫の間、丁度隙間に挟まり難を逃れたのだろう青年が、カラシャの姿を認めると、「助けてくれ!」と叫ぶ。

 青年は難を逃れていたが、彼の隣にいた瓦礫に足を挟まれた少女がいた。

 懸命にその瓦礫を取り除こうと青年が試みるが、上に乗っている建物の破片は大きく、ぐらつくだけで足をそこから抜く事は出来ない。少女は既にぐったりとして動いていなかった。

 カラシャは青年の傍まで降りると、瓦礫を持ち上げ、少し出来た隙間で青年は少女の足を抜き始める。

 途端、ぐったりしていた少女が悲鳴を上げた。

「痛い!痛い!痛い!痛い!」

 気が狂ったのかと思えるくらい金切り声を上げて、少女は青年にしがみ付く。

「もう少しだから!」

 寧ろ青年の方が泣いてしまいそうだ。

「頑張って!」

 カラシャは瓦礫を力の限り持ち上げる。

 工業用や土木作業用の仕様ではないカラシャの力は人間の女性と然程変わらない。

 それでも能力の限界まで力を入れる。

「ぎゃ--!」

 既に悲鳴は発狂寸前だ。

 青年は渾身の力を込めて抜く。

「抜けた!」

 彼が叫んだと同時に、カラシャは力を抜く。すると出来た小さな隙間分を埋めるように瓦礫ががしゃんを音を鳴らし積み重なった。

 少女に駆け寄ると、顔は青白くなっていたが、意識は保っていた。

「取り敢えず、上がりましょう」

 カラシャが声をかけると、青年は頷き、少女を抱えて瓦礫の上に出る。

 途中振り返ると、瓦礫に挟まれ既に動かない人、そして軍事用機械人形がカラシャの目に入った。

 瓦礫の隙間から出ると、同じように軽傷で済んだ人間が座り込んで呆然としていたり、他の人の救助をしていたり、家族や友人が見つからないのか名を呼ぶ人たちがいた。

「おい…大丈夫か?」

 青年は少女に縋りつくが、少女は動かない。

 カラシャは彼の横に座り込み、少女の足元を見る。瓦礫に挟まれていた箇所が、引き抜く際に無理に力を加えた事によって皮膚が捲れ上がり、肉が抉れてしまっていた。

 どう処置したらいいものか考え、近くに傷を保護するような布でもないかと見渡すが、見つかるはずも無く、自分の着ているシャツの袖を破くと、手早く少女の足首に巻きつける。

「こんなんで本当に大丈夫か!?」

「取り敢えず、痛みに耐えられなくて気絶されているんです。折れてはいないようなので傷を保護して、後はこのまま病院で消毒してください」

「誰か!こいつを手当てしてやってくれ!」

 また別の場所から声が上がる。

 カラシャは青年に労いの気持ちを込めて肩を叩くと立ち上がり、声の掛かる方に向かって走る。

「先生はきっと大丈夫!マスミさんも大丈夫!」

 それを小さく繰り返し何度も呟きながら。

 カラシャは幸い被害を受けていなかった診療所の中に戻り、まだ処置室に残っていた親子を横目に、薬や包帯を抱えると再び外に出て、処置を始める。

 医師の様にとまではいかないが、応急手当だけでも出来る人がいると気付いた人間は次々と彼女の元へ怪我人を運び始めた。

「おい!こいつも見てやってくれ!…ってお前機械人形かよ!」

 怪我人を運ぶ人間の中にカラシャを知っていた人間が交ざっていたらしく、彼女に気が付いた人間はそう言葉を吐き捨てる。

 その言葉に他に処置を求めて集まってきた人間は一斉に彼女を見るが、しかし誰一人そこから動く事は無かった。

 機械人形を恨む気持ちよりも、今まさに命の危険を感じている彼らは救って欲しいという気持ちの方が勝っていたからだ。

 そうやって救いを求める一方で罵る人間も少なからずいる。

「何でお前ら機械人形なんかに助けてもらってるんだよ!こいつらがいるせいで俺たちがこんな被害にあってんだぞ!」

 そう言って、徒党を組んで歩いていた数人の男たちがカラシャを見つけると、殴りかかる。

 それを自分たちの、もしくは知人、家族の処置を待っていた人間たちが体を張って止めた。

「止めろ!この人形がいなかったら助けてくれる人がいなくなる!」

「そうだ!お前が助けてくれるのか!?」

 その剣幕に圧された男たちは「ケッ。人形なんかに任せて、殺されても知らねーぞ!」と悪態を吐いて去っていった。

 カラシャはその中で黙々と応急処置を続ける。

 人間はいつも様々な感情に憤る。

 それはいつもの光景。

 それでも痛みを感じるはずの無い体にじくじくとした痛みがカラシャを苛む。

「コールセル先生はいないの?」

 その問い掛けに、腕にガラスの刺さった少女の患部を診ていたカラシャは顔を上げると、近所の顔馴染みの女性がこちらを覗き込んでいた。

「コールセル先生は…私より先に、この先の一番最初に爆発のあった現場に向かって…見失ってしまいました」

「まさかこの道を!?」

 カラシャの返答に女性は驚いて、未だ瓦礫で塞がれている道を見上げた。

「…機械人形って何よりもまず主人を守るものだと、それが出来なくても安否確認をするものだと思ってたけど」

 信じられないものを見る眼差しでカラシャを見つめる女性の視線をカラシャは受け止める事が出来ず、下を見る。

 確かに機械人形の初期設定の中にはそういう機能が含まれている。

 例え、それが元々付いていなかったとしても、今にでもマルクの向かった先へ追いつきたい、彼が生きている事を確認したい気持ちで一杯だ。

 それでも。

「もし先生がいたら、生きてるか死んでるか分からない自分を探すよりも目の前の生きている人間を助け出しなさい。と言うと思うから。先生ならきっとそうすると思ったから」

 そう言って、カラシャは女性を見上げる。

「まず生きている人を助けます。もし先生が生きていらっしゃるのなら全てが終われば必ず会えるはずだから」

 カラシャはそう答えると、処置を再会した。

 すると、女性から声がかかる。

「ありがとう」

 と。

 女性を仰ぐが、その場所にはもう彼女の姿は無く、見ると他の人間を助けに歩き出していた。

 ドォン!

 ゴォッ!

 その間にも、今、彼女のいる場所だけでなく、他方から爆音と地響きが響く。

「…何で今日はこんなにあちこちで激しく爆音がするんだ?」

 一人の男性が不安げに爆音のする方を振り返る。

 カラシャも今この場所がまた危険になるのではと心配になり、振り返る。

 すると人が逃げていった道の向こうから、その逃げた人たちがバラバラとこちらに向かって逆送し始めていた。

「何だ?」

 建物に寄りかかり、座り込んでいた男が警戒し、立ち上がる。

「逃げろ!!」

 こちらまで走ってきた初老の男が声を上げる。

「奴ら無差別に発砲し始めやがった!」

「どういうことだ!?」

 別の男が声を荒げる。

「相手の国の人間と、とうとう派手にドンパチ始めやがった。俺たち民間人も関係ねぇ!こっちの機械人形と向こうの国の人形が戦闘始めてやがる!すぐにここまで戦闘は広がるぞ!」

 そこまで言うと、初老の男はまた逃げ出した。

 それを聞いていた他の人間もそぞろに動き出す。

 しかし息も浅く横たわる者、体の何処かしら負傷し動けない者は己の体を引き摺るように逃げ出そうとするが、動けず、悲鳴を上げる。

「助けてくれ!」

「まだここで死にたくない!」

「誰か!手を貸して!」

 そう叫ぶ間にも、銃声音が段々と聞こえ始め、着実にこちらに向かい始めていた。

「そうだ!あんた機械人形なんだろ!あんたが止めてくれよ!」

 一人の声が上がると、他の人間もその事に初めて気付いた様子で、次々と捲くし立てる。

「そうだ!そうだ!機械人形なら意思疎通もできるだろ!」

「あいつらを止めてくれ!処置なんか後でもいい!殺されたくない!」

 絶叫がカラシャを攻め立てる。

 彼女は己の体が震えているのに気が付いた。

「…どうして。機械人形の私がどうして震えているの?」

 埋め込まれている回路の処理速度では追いつかない情報が彼女の中を駆け巡る。

「私は…」

 そこから先の言葉が紡ぎ出せない。

「機械人形は死ぬ事も痛みもないだろ!」

「お前たちがいなければこんな戦いに巻き込まれずに済んだのに!」

 さっきまで彼女を擁護してくれていた人たちが手の平を返す。

「機械人形は何の為にあると思ってんだ!」

 何の為?

 カラシャは顔を上げた。

「何の為に私はいるのでしょう?」

 あまりにも静かに、そして真剣な眼差しで問い返すカラシャに罵り続けていた人たちは一様に口を閉ざした。

 誰からも答えは返ってこない。

「…先生…どうして私を再起動させたのですか…」

 この街の人たちはもう機械人形を必要としていない。

 そんな感情を受け止めさせる為に彼は彼女を再起動させたのだろうか。

 瓦礫の向こう、マルクが向かった先を見つめるが、答えは無い。

 カラシャは立ち上がると、のろのろと銃声のする方へ歩き出す。

 未だ動けずにいた負傷者たちは彼女の行動を黙って見ていた。

 数体の機械人形が彼女の視界に入り始める。

 全身黒の衣装を纏った、白兵戦対応の機械人形。それに対し、濃い緑の衣装を纏った機械人形が応戦している。

 黒がこの国の人形で、緑が相手国だ。

 激しい銃撃戦に互いの国の人形が一体、また一体と何処かしらを破損され、倒れていく。

 建物の中から脅えた表情でその戦いを見守る人間が見えた。

 その中には第三国の腕章をつけた者もいる。恐らく援助の為にこの国に入った者だろう。

 命を懸ける覚悟はしていても、それでも本当に戦場に巻き込まれてしまえば、恐怖は彼らを容赦なく襲うだろう。

 他国介入を望めば、もしかしたら上手く調停をしてくれるかも知れない。

 そう想定して、真澄と協力し情報をネットワークから流していたのだが。

「失敗だったのでしょうか」

 カラシャは呟いて、首を振る。

「私は先生がこの街に残ると言うから。――一人でもこの街の人を救いたい。そう仰るから。その望みを叶える為起動し続けている」

 例え人間にどんな事をされても。どんな事を言われても。

 何処に問題があるか分からない痛みを抱えても。

「私は欠陥品です。正確に情報処理も確率も計算出来ないなんて」

 それでも。

 コールセルはカラシャを起動した。

 嬉しそうな表情をカラシャは記録している。

 彼はカラシャを必要としてくれていた。

 いつだって人を救うのに一生懸命で。

 戦争がいつ始まるか分からないのに、この街から医者がいなくなっては困るからと残ると言い続けた。

 カラシャに沢山の事を教えてくれた。

 人には痛みがあること。

 機械人形には無い自己治癒能力があること。

 心一つで強くなること。

 命を教えてくれた。

 そして彼は人を愛していた。

 身を粉にして自分を省みず、いつだって命と向き合っていた。

 目の前でただ黙々と戦い続ける機械人形を見つめる。

 戦うだけの人形には表情は必要ないから、皆無表情だ。

 泣く事も、笑う事もしない。

 それがカラシャと同等の存在だ。

 腕がもげようが、足が吹き飛ぼうが痛みは無い。

 ただ回路さえ正常に動けば、彼らは全機能停止になるまで戦い続ける。

 それが彼らが作り出された目的。

 指揮を取る人間は機械人形に指示を与え、彼ら一体一体に埋め込まれているカメラを通して戦況を分析する。

 それが今の時代の戦いだ。

「彼らは私と同じ情報を抱えて戦っているんでしょうか」

 0と1の世界。

 機械人形は全ての与えられた情報は0と1に変換して、個々に与えられた学習機能に反映させていく。

「私の情報を、共有ネットワークに流しても、――彼らは戦い続けるのでしょうか」

 ふとした疑問が言葉を付いて出て、そしてカラシャは目を見開いた。

 同時に突然戦闘が止んだ。

「?」

 建物に隠れてみていた人たちも、不思議そうに兵士たちの行動を伺う。

 カラシャも兵士たちを注視する。

 すると、最初に黒い装束の兵士が動き出した。

 そして追うように、緑の装束の兵士が動き出す。

 ―――カラシャに向かって。

 カラシャには彼らの行動が理解出来なかった。

 どう行動する事も出来ずに、静止していたカラシャの前に黒い影が横切る。

「!」

 突然の人影に、カラシャは動揺するが、人物を確認すると、安堵の息を漏らした。

「マスミさん…」

「取り敢えず逃げるぞ!」

 声をかける隙も与えずに、真澄は叫ぶと、カラシャの手を取り走り出す。

 人気の無い路地へと。

 負傷した人たちがいる場所へ戻らずにいたことに安堵し、カラシャは真澄の後を付いていく。

 最初は黙々と後を追ってきた兵士たちが、次第に発砲し始め、彼女たちを荒々しい方法で追い始めた。

「だ~れが捕まるかよ。っと」

 真澄がこの街に来たのはつい最近の事のはずなのに、スイスイと時に路地から大通りを抜け家屋に堂々と入り、道無き道を通り道にして、兵士たちを引き離していく。

 そしてかなりの距離を走っているはずなのに、機械人形のカラシャはともかく、息一つ切れず真澄は彼女の前を走る。

「マスミさん、いつの間にこんな道を?」

「カン」

 カラシャの問いに二言で返す真澄の回答に、人間というのは凄い能力を持っているのだなと感心する。

「あ。そうだ。カラシャ、ネットワーク繋ぎっぱなしだろ。切れよ!」

「え?」

 言われて初めて、カラシャは自分がネットワーク接続中のまま行動していた事に気が付いた。

「あ。――忘れていました」

 そう言って彼女はネットワークを切断する。

「機械人形でも忘れることあるのな」

 真澄は彼女が回線を切った事を確認してから笑った。

「接続は認識していたのですけど、行動に支障がなかったので継続していました」

「そう言うのを忘れてたって言っていいんだよ。突然バタバタと色々あったから忘れたんだろ。そのお陰で色々変化もあったけど」

「――そうなんですか。忘れてたと言っていいんですか」

 人間同様の行動である事に、カラシャは何故か高揚した。

 そして大事な事を一つ確認する。

「コールセル先生は無事ですか?」

 すると真澄は少し曖昧な表情を見せ、答えた。

「取り敢えず無事だよ。ちょっとケガしちまったけど」

「怪我!?」

「まぁ――見てやってくれ」

 真澄は申し訳なさそうに答えた。


   4

 通されたのは人気の無い建物の一室だった。

 診療所とはそれ程離れた場所にある訳でなく、真澄と二人で走ったルートを再確認すると、兵士たちを撒く為に態と遠回りをしたのだとカラシャは気付いた。

 ただ既に激しい戦闘が起こった後らしく、建物のあちこちには銃弾の跡が残り、窓は割れ、あちこちの壁は崩れ落ちており、人の気配は全く無かった。

 道には壊れた兵士だった人形の成れの果てが転がっていた。

 マルクはそんな場所にある無人の建物の中の一室にいた。

 ベッドの上で上半身だけを起こし、真澄がドアを開けると入ってきた人物を認識するまで強張らせていた表情が笑顔に緩んだ。

 そしてカラシャの姿を確認すると、ほっと安心したように眉が下がる。

「カラシャ…!良かった!無事で!」

「先生!」

 カラシャは悲鳴染みた声を上げて、マルクを見る。彼は気拙そうに俯いた。

「処置をしている途中、銃撃戦をしていた兵士の流れ弾に当たってしまってね…」

「すまない。最初二人で負傷人集めて手当てしてたんだけど、ちょっと目を離した隙に撃たれて…。弾は貫通してて、処置は済んでるから安心してくれ。ただ暫く歩けないのと、直っても障害が残るかもしれない」

 真澄が申し訳なさそうにマルクの言葉の後に続ける。

 マルクは目を伏せると、それから視線を上げ、カラシャを見る。

「カラシャは何処も怪我をしなかった?…嫌な思いはしなかったかい?」

 機械人形の兵士たちが民間人を巻き込んで堂々と交戦し始めた。それはカラシャにとっての今までより更に辛い立場に置かれるという事をマルクは知っていた。

 だからこそ、心配する彼の姿に、カラシャは言葉が詰まる。

 その彼女の表情で悟ったマルクは「すまない」と謝罪する。

「全ては人間が自分で起こした事で、君たちは人間の思いで作れれ、言う通りに動いてるだけなのに」

 カラシャにとってはその言葉だけで十分だった。

「いつだって先生だけは私の心配をしてくれる。人間のように心配をしてくれる。ありがとうございます」

 そう言うと、彼女は満面の笑みを浮かべる。

「…先生。私、もうずっと前から時々回路が誤動作するようなんです。人が私たちを作ったのにその人たちに罵られたり、人を助けられなかったりすると、あるはずが無いのに人間のような痛みの信号が流れたり、先生がそうやって笑ってくださるだけで人間の高揚感と同じような信号が流れるんです」

「…カラシャ…」

「これを辛いと言ったり、嬉しいと言ったりするのでしょうか」

 戸惑いがちに見つめてくるマルクの視線を受け止め、カラシャはマルクの両手を取り、己に引きつけると抱き込むように握り締める。

「0と1の情報で出来ている私の学習機能は許容量を超える情報量にエラーを起こし始めてるんです。けど、だからこそ、この情報を得る事が出来た」

 その言葉にマルクは顔を上げる。

「私、先生に再起動して頂いて良かった。先生で良かった」

 笑顔でカラシャは言葉を続ける。

「先生の傍にいられたから、私は自分が、機械人形が生まれた意味を見つける事が出来た」

 マルクは何も言わない。

「人間一人一人が生きやすくなる為に、私たちは存在しているんですね」

 死を与えるのではなく。

 他者を犠牲にして得る人間の欲望を満たすのではなく。

 元々は人が生き易くなる為。

 今は沢山の事が歪んでしまっているけど。

「人間の道具である私たちは、指示された通りにしか動けません。けれど初期設定に私の得た情報を追記すれば、きっと人間を殺すなんて出来なくなる。機械人形は人間が生き易くなる為の道具になれる」

「カラシャ?」

 マルクは眉間に皺を寄せ、表情を曇らせる。

「…んで、どうする?この場所がバレるのもすぐだろ。長時間同じ中継ポイントから映像流しっぱなしだったせいで情報流してる大本が逆探知されちまって多分カラシャの情報からハッキングしたんだろ、カラシャが犯人だって事も、先生が関わってるって事もバレちまったみたいだしな」

「まさか先生も兵士に狙われたんですか!?」

 真澄の言葉にカラシャは目を見開いた。

「凄かったぞ。銃撃戦やってた機械人形が自国他国問わず襲い掛かってくんだから」

「…カラシャの言っていた事がよく分かったよ。マスミさん、片っ端から仮にも戦闘用機械人形を倒していくんだから」

 明るく笑う真澄に、マルクは何処か疲れたように苦笑する。

 しかし、カラシャは動揺を隠せなかった。

「…と。早かったな。そろそろ見つかるぞ」

 突然、真澄は真顔になると、窓から顔を出す。カラシャも続いて外を覗くと、自国の機械人形の兵士二、三人が近くの建物に入っていった。

 同じ方法で他に幾つか出来ているチームも次々に傍にある建物に入っていっているので、まだこの建物にいるという所までは気付いていないようだ。

 カラシャはじっと彼らを見つめ、そして真澄を仰ぐ。

「マスミさん。どうか先生を守ってください。よろしくお願いします」

「カラシャ?」

 真澄は真剣な眼差しで見つめるカラシャを見返し、マルクは彼女に声をかけた。

 カラシャはマルクを見ると、彼に近付き、そのまま抱きついた。

 その体に温もりは無い。それでも柔らかい感触、彼を労わる様な包み込むような感触は彼女が経験で培ってきた力加減。

「コールセル先生。先生に会えて良かった。――私は幸せでした」

 そう言うと手を放し、もう一度マルクをじっと見つめる。

「どうか生きてください」

 そう言うと、カラシャは綺麗に笑った。

 とても幸せそうに笑った。

 まるで人間の女性のように柔らかく、慈愛に満ちた表情で。

 マルクは思わずどきりと胸を鳴らし、頬を染めた。

 彼女は離れると、「さよなら」と呟いて、部屋を飛び出した。

 まだ兵士たちが彼女を見つけるのには時間がかかる。マルクは足を負傷しているが、見つかってもきっと真澄がマルクを守ってくれるだろう。

 その確信はあった。

 けれど、それだけでは彼を守る根本的な解決にはならない。

 彼女は建物内を駆け周り、そして最上階に出る。

 同じ背丈の建物が並ぶこの街では最上階に出ると、何も遮るものが無くなり、強い風が吹き付けた。

 青い空が広がっている。

 この空の下で、今も怪我をし、苦しんでいる人や、今にも殺されそうな人が沢山いる。

 マルクたちは戦場と化したこの街で常に危険に曝されながら生き抜いていかなくてはならない。

 ほんの数日前。

 ほんの数ヶ月前までは。

 街は人で溢れ、笑いあい、のびのびと生きていたのに。

 機械人形も人間と共存し、人の生きる助けとして稼動していたのに。

「私には、人間の社会をどうする事も出来ない」

 人間に作られたものだから。

「けど――機械人形になら私にも出来る事があるかもしれない」

 また、あの日を取り戻す為に。

「コールセル先生は優しい。私が出来ることを知っていて、それでも私にはさせなかった。いつでも一人の人間のように私を心配してくれた」

 人間の為に利用するのではなく。

 彼女自身をまず大切にしてくれた。

 だから彼女も自分が出来るかもしれない事を知っていて、言い出す事が出来なかった。

 人間の為よりも、彼の想いを大切にしたかったから。

「それでもマスミさんが来てくれて良かった。――決心がついた」

 マルクの安全を守る為にはそれだけじゃ守れない。

 彼の生き易い環境を守り続けるには、今ある状況を根本から変えるしかない。

 彼に幸せな一生を送ってもらう為には。

「良かった。私が機械人形で。私にも出来る事がある」

 きっと人間だったら出来なかった。

 マルクに話しても、否定されるのは分かっていた。

 己の考えを初めて肯定してくれたのは真澄だった。

「コールセル先生をどうぞ守ってください」

 カラシャは空を見上げ、呟いた。

 そして物陰で、すぐには見つからなさそうな場所を見つけ出し、腰を下ろすと、もう一度空を仰ぐ。

「ここなら、もしまた逆探知されても見つかるまで時間稼ぎ出来るかしら」

 人間の営みは変われど、いつも変わる事無くあり続ける空。

「――私はまた、この空を見上げる事があるのかな」

 自嘲するように笑うと、彼女はそれきり人間的な表情を失った。

 体の内側から機械部品が高速動作する音が響き始める。

「ネットワーク再接続始めます。中継ポイント六箇所ランダムアクセスし、接続継続。アクセスポイントからネットワークにダイブ。ホストコンピュータ検索開始。一、二…三……。ブロック解除。ハッキング開始…」

 それ以降、彼女が動く事は無かった。


「カラシャは何処へ行ったんだ!?マスミさん!彼女を追ってくれ!」

 ベッドの上で上半身を動かし、そのまま床に転げ落ちそうな勢いで体を、カラシャが今出て行った戸口へ向かわせようと這う。

 しかし真澄は返事を返すことも無く、今にもベッドから落ちそうな彼を制止するでもなく、窓の外を見つめていた。

「マスミさん!君のその強さなら彼女を守れるだろ!?彼女を守って逃げてくれ!」

 マルクが必死に訴えると、真澄はやっと彼に目を向け、首を傾げる。

「何で機械人形にそこまで入れ込んでるんだ?本来なら生き残るのはあんたで、ただの人形でしかないカラシャは壊れたって仕方ないだろ。所詮道具なんだから」

「カラシャは道具じゃない!」

「道具だろ。自分で言ってたじゃないか。カラシャには心が無い。彼女は0と1の集合体だ」

「僕にとっては道具じゃない!」

 強く意思と共に叫ぶマルクに真澄はびっくりする。

「僕はずっと疲れていた。街に突然兵士が入ってきて、毎日のように何処かで爆発が起こっていた。救える命は少なくて、死者ばかりを相手にして医者である自分に嫌気がさしていた。そんな時捨てられていた彼女に会ったんだ」

 マルクはその時の事を思い出しているらしく、すこし嬉しそうに微笑む。

「他の人から見たら無表情に見えたかも知れない。けど彼女は優しく微笑んでいたんだ。人間に捨てられても微笑んでいた。何故か僕は無性に泣けてきた。理由なんか無い。心が擦り切れてボロボロになって、そんなときにカラシャ見つけた。彼女の笑顔に救われたんだ」

 真澄は言葉を続けるマルクを見つめる。

「カラシャは再起動した僕に感謝してるって言うけど――本当に救われたのは僕の方なんだ。いつだって人間を救える方法を考えて命長らえる人を見て彼女は喜んでいた。その表情は偽物じゃない。自分が落ち込めば励まして笑いかけてくれた。彼女が傍にいてくれて僕は頑張れたんだ」

 マルクは顔を上げ、真澄を見る。

「カラシャは心を持つ人間じゃない。けど、0と1の情報から出来た心を持つ誰よりも大切な機械人形なんだ」

 真澄は真摯な眼差しで見つめるマルクを暫し無言で見つめ返し、そして笑った。

「分かった。じゃ、取り敢えず、今ここに来る兵士をぶっ飛ばしてそれからカラシャを探そう」

 その言葉を聞いて、マルクはばっと身構える。

 カチャリ。

 ゆっくりとドアが開く。

 真澄は身構え、そして―――。



 ピピピピピ。

 プログラム、再起動---。


 『長時間大容量転送処理により、回路への負荷が許容量超過となりました』

 『完了後、自動的に強制終了しました』


   5

「カラシャ…おはよう」

 再起動したカラシャの視界に最初に映し出されたのは、満面の笑みを浮かべたマルクだった。

 彼女は何度も瞬きを繰り返し、視界に入るものを再認識し直す。

「…コールセル先生?」

 名を呼ぶと、マルクはほーっと長い息を吐き、その場にへたり込んだ。

 周囲を見渡すと、そこは彼女たちがずっと暮らしてきた診療所だった。

 棚には少しの薬品、机と椅子しかない部屋の窓から対面の建物のその向こうに広がる青空が覗いている。

 空だ。

 そう思い、そしてもう一度視線をマルクに戻した。

「良かった…カラシャ…」

「先生?どうかされたんですか?」

 カラシャはきょとんとして、目の前に座り込むマルクを見つめる。

「どうされたんですかじゃないよ…。覚えてる?君が最後にした事」

「―――はい」

 答えてカラシャは再認識した。

 するとマルクはくしゃりと顔を歪めて笑う。

 カラシャは彼のそんな表情を久し振りに見たと思った。

「本当に無茶ばかりするんだから。両国のホストコンピュータにハッキングして、戦闘用機械人形の初期設定を書き換えるなんて」

「上手くいきましたでしょうか?」

「――大成功だよ。君が得た人間の感情、痛みと体の関係、命、人間と機械人形が異なるものであるという認識そのもの、全ての経験を0と1に変換した情報は全ての戦闘用機械人形にインストールされた。ある種のウイルスのように」

 そこまで言ってマルクは一つ息を吐く。

「カラシャがいなくなった後、兵士の機械人形に見つかったんだけど、彼らは僕を保護してくれたよ。反逆者になっていた僕とマスミさん、そして君を。戦闘用機械人形が国の命令よりも命を優先したんだ」

 それはカラシャにとって賭けだった。

 ハッキングして自身の情報を機械人形に更新するのが早いか、それよりも先にマルクらが彼らに見つかり戦闘になるか、もしくはネットワークに入る以上見つかる可能性が高くなるカラシャが見つかり、更新が終わる前に壊されてしまうか。

 回路で幾ら計算しても確率は低いものだった。

 一介の機械人形がそう易々とホストコンピュータに入り込めるかどうか自体確率の低いものだったから。

 カラシャはふにゃりと笑みを浮かべた。

「良かった…」

 その表情にマルクも笑うと、拗ねた様に呟く。

「良かったじゃないよ…」

「そう言えばマスミさんは?」

「安定したからまたぶらっと旅するとって行ってしまったよ」

「そうですか…」

 折角出会えたのに、自分が目を覚ます前にいなくなってしまった寂しさにカラシャは俯く。マルクもそれに倣って寂しそうに笑った。

 真澄は戻ってくるとも、また来るとも言わずに出て行った。だから彼女を元気付ける為に安易に期待を与えるような言葉をかける事も出来ない。

「…カラシャ、子どもが診療所に来た時からずっとネットワーク接続しっぱなしだったろ。後で全部教えてもらった。それまで僕やカラシャやマスミさんの事、個人情報が分からないように選別して映像を流していたのを、そのまま直で流してただろ」

「…判断するのを忘れてしまって…」

「お陰で僕の情報や診療所の事、爆発の事や…カラシャの行動が全部駄々漏れだったよ。

カラシャの視線から映る、介抱している手を見れば、患者の顔を見れば、どんな風に接してくれたかなんて誰にだって分かる。どれだけ僕の事を思ってくれていたのかも」

 言ってマルクは頬を赤く染めた。

 カラシャも思わず赤くなってしまう。

「すみません。私…先生の心配ばかりして、名前を呼んでいた気がします」

 あれだけ呼んで、そして視界に一番多く映っていた人だ。ばれない筈が無いのだ。

 今更になってカラシャは己の失態に気が付いた。

 青くなる彼女の手を取り、マルクは笑う。

「ありのまま君の心のまま流したから良かったんだ。戦争を始めようとしていた両国は機械人形が使い物にならなくなったっていうのもあるけど、映像を見てカラシャに共感した沢山の人たちや国が支援や援助だけじゃない本格的に動き始めて、戦争を止めたんだ」

 カラシャは顔を上げ、マルクを見ると、目を丸くする。

 「それにね」と彼は続ける。

「カラシャが自分で作ったそのプログラム、機械人形をこれから新しく作る時に必ず入れようという動きが世界的に始まっている」

「…まさか…」

「0と1の数字の羅列で出来ている君の心が世界を変えたんだ」

 カラシャはマルクの言葉が初めて上手く飲み込めずにいた。

 呆然とするカラシャにマルクは嬉しそうに笑う。

「でも、僕は何よりも君が帰ってきてくれたことが嬉しい」

 言って、マルクはカラシャを抱き締める。

「おかえり。カラシャ」

 抱き締められる手の温もりに、カラシャは自分も彼の背に手を回した。

 もう一度触れたいと思っていた温もり。

 もう触れられる事はないと思っていた。

「…先生。私、こういう気持ち何て言っていいのか分かりません。ただ…人間であったならきっと泣いていると思います…」

「きっと幸せという感情だよ」

 幸せ。

「だったらプログラムにこの情報を追加したいです」

 そう言うと、マルクはカラシャから少し離れ、そして彼女を見ると。

 笑った。

 彼女が望んでいた表情で。

 幸せそうに。

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