5話「180分の二人」
SCARLET5:180分の二人
・午後16時45分。
俺は道場へ来た。
まだ彼女は来ていない。
鍵を開けて暖房をつけ道着に着替える。
「うわっ!」
畳部屋を歩いていると転んでしまった。
畳と杖は相性が悪そうだ。
「・・・大丈夫ですか?」
そこへ丁度彼女が来た。
2年前まではほぼ毎日見ていた制服。
「あ、ああ。杖が突っかかってしまってな。」
杖を手にして何とか立ち上がる。
彼女は靴を脱ぎ、一礼して入ってくる。
「赤羽美咲、更衣にまいります。」
「ああ。」
彼女が更衣室へと入る。
その間俺は昼間のことを思い出す。
彼女のコーチを続けるか伏見道場の指導員として働くか。
心の8割ほどは伏見道場のほうへ傾いている。
けれど、俺はここでの生活を捨てきれない。
まだ一度しかここで稽古をしていないが。
どうすればいい?
「失礼します。」
彼女が真紅の道着姿でやってくる。
初めて来た時と違ってしっかり声を出して礼儀を守っている。
「なあ、聞いていいか?」
「何でしょうか?」
「君はこの稽古をどう思っている?」
「どういうことですか?」
「たとえばここでの状況が失われたとしたら君はどうする?」
「・・・・わかりません。
ですがおそらく私は前にいた道場へ連れ戻されるでしょう。」
「連れ戻される?そんな野暮なのか?」
「私がいたところは三船道場でしたから。」
三船道場。
確か伏見道場と同格のスパルタ道場だ。
確かにあそこなら野暮だな。
確か三船道場は去年年末に問題が起きたと聞いた。
「でも、それがどうかしましたか?」
「・・・ああ。実はな。
今日伏見司令に呼び出されて伏見道場で働かないかと誘われたんだ。」
無表情な彼女の表情。
それがわずかに動いた気がした。
「それで、どうするんですか?」
「俺は迷っているんだ。」
「何を迷う必要があるんですか?
伏見道場といえばすべての指導員の目標ともいえる場所。
こんな私しかいない道場とどうして比べられるのですか?」
彼女の意見ももっともだ。
だがな、声に出た言葉の意味とその色が一致していないぜ。
彼女は俺に行ってほしくないのだろう。
それが、他人とは言えやや知り合いである俺との別れを惜しみたいためなのか
三船道場に返されるのが嫌か
それともまた別の何かなのかは分からない。
「俺は名誉なんていらない。
ただどうしたいか、それだけだ。
ほら、17時だ。稽古を始めるぞ。」
「・・・了解です。」
上司の指示には逆らえないのか彼女は稽古に取り掛かった。
そうだよな、普通上司の指示には逆らえないよな?
・・なら、賭けてみるか。
この子が、俺が残ってでも面倒を見るほどのものなのか。
それとも三船に引き渡すのがいいのか。
・最初の1時間が終わり、休憩に入る。
「いいか?」
「はい、何でしょう?」
「18時からは別メニューだ。しっかり休んでおけ。」
「・・・了解です。」
彼女は短く答えてバッグから出したタオルで汗を拭く。
そして18時。
「それで私は何をすればいいのですか?」
「ああ。非常に自分勝手なことではあるのだが
今から100分間。
一昨日と同じく実戦形式であることをやってもらう。」
「何でしょうか?」
「ルールは前回と同じで俺に一本入れられれば君の勝ちだ。
この100分間で俺に一本入れられなかった場合俺の勝ちとして
俺は君のコーチを辞める。」
「・・・!」
「内容はわかったか?」
「・・・はい。」
「今から19時ジャストまでが第一ラウンド。10分休みを入れて
19時10分から20時までが第二ラウンドだ。」
時計を見る。
「・・・始めっ!」
号令をかける。
だが、互いに動じない。
「どうした!?なぜ打ち込んでこない!?」
「それは・・・・」
「俺に一本打ち込めると思っているのか?
今度は杖ではだめだ。
俺の体に打ち込まないといけない。
上司命令だ!打ち込んで来い!」
こうでも言わなければ彼女は来ない。
彼女は意を決したのか向かってくる。
やはり素人並みな支離滅裂。
前屈立ちからの正拳突き。
俺は軽くかわして彼女を殴り倒す。
一昨日と同じく彼女の体が後方に吹き飛ぶ。
立て、赤羽美咲。
俺に君の可能性を見せてみろ。
「・・・っ!」
彼女は立ちあがる。
一昨日の経験を生かしたのか気絶しなかったようだ。
すぐに打ち込んでくる。
俺は彼女の腕を掴んで止める。
そして、片手で彼女を投げ飛ばした。
「っ!」
「直上正拳突きィィィィ!!」
真上に投げ、落下してきた彼女の腹に正拳突きを叩き込む。
身軽なスピードタイプを殺す十八番だ。
彼女はもう一度上に吹き飛ばされてから畳にたたきつけられた。
覚悟してくれ。
こうでもしないと運命は決められない。
時刻は18時半。
彼女の腹に拳を打ち込んでから10分が経っている。
「・・・うっ!」
それから30秒が過ぎたところで意識を取り戻して立ちあがる。
「はあ、はあ、」
こりゃまた打撲行っただろうな。
だが手加減はしてあげられない。
彼女が拳を握ると同時に俺の正拳が彼女の胸に打ち込まれた。
「!?」
不意に急所を突かれてか彼女の動きが一瞬止まった。
俺はそのまま上着の襟をつかんで彼女を真上に投げ飛ばす。
「直上正拳突きィィィィ!!」
彼女の腹に正拳を突き上げる。
彼女は俺の正拳を両手で受け止めた。
だが俺はさらに拳を開いて彼女の手を掴んで
彼女をそのまま畳にたたき落とした。
「ううっ!」
スピードタイプは地に足がついていれば速いが
地に足が付いていなければ自慢の速足も意味をなさない。
「はあ、はあ・・・・」
彼女は立ちあがった。
どうやら腕をガードに使って落下の衝撃を抑えたらしい。
とはいえガードに使ったその腕はぶらんと垂れさがっていた。
折れてはいないだろうが、ねん挫してるかもしれない。
しかし
この子はよく立ち上がってきてくれる。
それでこそ、俺が期待する戦士だ。
・時刻は18時45分。
あれから何度も俺は拳を彼女にたたきこんだ。
そのたびに彼女のか細い体は吹き飛ばされて畳にたたきつけられる。
それでも立ち上がってくる。
いくら左腕しか使えないとはいえこの俺を相手に立ちあがってくるとは
いい根性をしている。
彼女が拳を突き出す。
俺は彼女の腕の上に飛び乗り、腕の上でさらにジャンプする。
「え・・・?」
「直下正拳突きィィィィィ!!」
彼女の右肩に正拳突きを叩き込む。
本来は脳天にたたきこむ技だがそれは実戦だけだ。
彼女はちょうど真上から衝撃を受けて重力が数倍になったかのように
畳にたたきつけられた。
「くっ!」
着地した俺は足を抑える。
さすがにこの足で直下正拳突きは無理があったか・・・!
気がつけば時刻は18時56分。
あと4分で1ラウンド終了だ。
本来こんな長い間戦うということはあり得ない。
普通ならば長くとも1ラウンドは3分程度だ。
1ラウンド60分間の実戦をするなんてのは世界で俺だけくらいだろう。
今はこの子が二人目かな。
2分間くらいうずくまったが彼女は立ちあがった。
彼女が走ってくる。
走る速度は俺なんかより全然速い。
だけどアスリートのダッシュと戦士のダッシュというのは違う。
現に俺の足払いを受けて簡単に彼女は転倒した。
そして倒れた彼女の襟をつかんで片手で彼女を壁まで投げ飛ばす。
彼女の体が壁にたたきつけられるとちょうど時計は19時を指した。
「1ラウンド終了だ。休憩にしよう。」
「・・・はい。」
彼女は息を切らせながらそばに寄ってくる。
「聞きたい。どうして足技を使わない?」
「・・・まだ実戦での使いどころがわからないんです。」
「それだけか?」
「・・・」
「俺に気遣っているんじゃないのか?」
「・・・・」
「そんな気遣いは無用だ。
俺に一本入れたければ手でも足でも何でも使え。
いいな?」
「・・・了解です。」
彼女は返事をして水を飲む。
一体何発パンチを打ち込まれたのか覚えていないがよく立っていられる。
根性と気合は認めるが、それだけではこの世界で生き残れはしないぞ。
「・・・いいですか?」
「ん?」
彼女から声をかけられる。
もしかして初めてじゃないのか?
彼女から声をかけるのは。
「どうして私なんかと伏見道場を比べられるんですか?」
「そいつは簡単だ。
俺は正規の指導員ではないがはっきりと言える。
成績の優劣はあれど生徒の優劣はない。
伏見道場の生徒も君もどっちも平等。どっちかなんて決められない。
だけど俺はまだ伏見道場には行ったことがない。
今は君しか見えていないからな。」
「・・・そうですか・・・」
安心したのか逆に落胆したのか分からない答えだった。
俺は水を汲んで飲む。
「さて、そろそろ行くぞ。
後1時間。
俺を止めたければ一本入れてみろ。」
「・・・はい!」
気合の入った声だな。
だけど俺も手加減はしない。
「始めっ!」
号令をかける。
今度は彼女が今までにないスピードで距離を詰める。
そしてジャンプして両足で左右からはさみこむような珍しいキックを繰り出す。
「へえ、」
確かに左腕だけでガードは難しい。
だけど俺は半歩引いて右のキックをかわして
左の足を掴んで止める。
「っ!」
「はああっ!」
そのまま壁まで投げ飛ばす。
と。
彼女はクルリと身をひるがえして壁を走る。
比喩でもない。
投げ飛ばされた力を利用して壁を垂直に走っている。
そして壁をけって俺にめがけてキック一直線。
なるほど。
これが彼女のスタイルか。
俺はかわす。
必然的に彼女と空中ですれ違う状態になる。
それをねらっていたのか空中で体をひねって回し蹴りに切り替えた。
なるほど。
上手いな。俺はそれをガードする。
同時に当て身で空中の彼女を撃ち落とす。
右手足が使えない状態ではこれが最善だったはずだ。
彼女は畳にたたきつけられるがすぐに立ち上がる。
そして断続的に回し蹴りを繰り返しながら接近してくる。
面白い攻撃だ。
だが。
回し蹴りのパターンを見切り、一歩踏み込む。
彼女は背中を向けているわずか一瞬。
その一瞬だけあれば十分だ。
襟首を掴んで彼女を真上に投げ飛ばす。
「直上正拳突きィィィィィ!!!」
放つ3発目。
彼女は以前と同じく両手で受け止める。
だがそれはフェイク。
彼女のガードに触れる前に正拳突きを止めて彼女の両手首をつかむ。
杖を離して右拳を構える。
「直上正拳突き・第二段!!」
落下してくる彼女の胸に右拳を打ち込む。
本来はそのまま後方に再び吹き飛ぶのだが
そうさせないように左手で彼女の腕をつかんでいる。
そして彼女を畳にたたきつける。
だが。
彼女は着地していた。
両足をばねのように縮ませて地面にしゃがみ、正面に向けてジャンプする。
ヘッドダイビングとパンチを合わせたナックルダイビングか。
けど。
俺はしゃがんで彼女の真下に回った。
実戦を積んだ戦士にとって1秒間とはとても長い。
彼女の体は2秒間浮かんでいる。
最初の1秒で攻撃をかわして真下に回り込む。
そして彼女のがら空きとなっているボディにジャンピングアッパーを打ち込む。
二人して空中に巻き上がる。
彼女を失神させるべく俺は正拳突きを繰り出す。
刹那。
確かに俺の正拳突きは彼女に命中。
彼女は壁まで吹き飛ばされた。
だが。
「・・・見事だ。」
彼女の拳が俺のボディに打ち込まれていた。
・残りの45分は結局一昨日と同じく治療にあてられた。
やはり彼女の体は打撲だらけ。
勝手がわかったのか彼女は既に道着を脱いで
トップレスの状態になって自らの治療をしていた。
あまりじろじろ見るのは失礼だと思うが
俺も男子高校生。
女子中学生のトップレスが隣にあればつい凝視してしまうのが道理。
だが彼女からきつく睨まれたので背を向ける。
彼女に背を向けたまま口を開く。
「明日、伏見司令と話をする予定だ。」
「・・・・・。」
「君を捨てられない。
伏見道場へのご招待のはまた今度の機会に回しておくよ。」
「・・ありがとうございます。」
背中から暖かい声がする。
まだ2回しか稽古をしていないがこの2回はなかなか大きかったと思う。
相変わらず稽古以外での接点は薄いがな。
その日は治療やストレッチなどに残り時間を使って稽古を終えた。