97 面目丸つぶれ
《東京に来てビックリしたことって言えば、なんといっても車の多さですよー》
しりとり野球拳の敗者となった亜佐美がビキニ姿でしみじみと言う。《これじゃあ毎日毎日交通事故が起きるのもしかたないと思います。長野は平和だったなー》
彼女は長野出身だそうだ。
《そうだねー》
地元東京出身のちえ美も同調する。控え室にいた時と同じ、ビキニの上から秀英祭ティーシャツという格好である。亜佐美とチロリも同じ格好でトークショーの舞台に上がったため、しりとり野球拳はたった一回で勝負が着いた。《私も今年に入って免許取ったんだけど、車が多くて運転するのが怖いんだ。このままペーパードライバーになっちゃいそう》
《免許いいなー》
チロリが羨ましそうな声を上げた。《私も免許欲しいんよねー。原チャリでもいいけん、運転してみたい!》
《わー。あんたなんかが運転したらすぐ事故に巻き込まれちゃいそう》
苦笑する亜佐美。《トラックの衝突事故の間できっとペシャンコになっちゃうよ》
《グロイよ!》
チロリのツッコミ。しかし、あまり元気はない。
《綾川ペチャリになっちゃうよ》
ちえ美のその発言に、《誰よ!》とまたツッコミを入れるチロリであったがやはり勢いがなく、観客の盛り上がりは五分咲き程度の末、すぐ枯れた。
「眠いっすねー」
左隣でだらしなく椅子の背にもたれかかって座る藤岡が、あくび混じりの声で言った。「トークショーは失敗でしたね。アイドルさんたち、明らかにくたびれてますもん」
「まあ、でも話はけっこう面白いけどな」
アイドルたちをフォローする橘川だったが、実は彼も眠気を必死でこらえていた。「ね、みなみちゃん」
反対隣に座るみなみに同意を求めるも……。「うっ……」
完全に目を閉じて寝息を立ててしまっている。橘川は慌てて彼女の肩をポンポンと叩いた。「んん……」とうめきながらまぶたを上げる彼女。そして、目をこすりながら言った。
「おはおうございます……」
「ダメだよ」
顔をしかめてみなみをたしなめる橘川。「ここはアイドルさんたちからもよく見える席なんだから、居眠りなんかしてたらアイドルさんたちに失礼でしょ」
「だって眠いんですもーん」
背後を振り向くみなみ。橘川もそれにならってみる。「ほら、お客さんだって何人か眠ってますよー」
確かに、ところどころ目を閉じた人の姿が見える。前を向き直り、溜息を吐く橘川。みなみの一つ向こうに座る、先ほどチロリと仲直りを果たした詩織という女性でさえ大きなあくびをしている。ふと反対側を見ればついに藤岡も眠りに落ちてしまっている。
「プリンセス雅のマジックショーは大盛り上がりみたいだから、このままじゃやばいよ」
「サバイバルゲームが盛り上がったんですから大丈夫ですよ」
あくびをしながらみなみは言う。「うちの勝ちです」
その自信はどこからくるのだろうと橘川は思った。
「皆さーん、もう少しテンション上げてくださーい」
舞台の下からトークショー実行委員の男が泣きそうな声でアイドルたちに指示を出す。アイドルたちの元気がないのはサバイバルゲームが原因であろうから、少々罪悪感を覚えてしまう橘川。サバイバルゲームの言いだしっぺであるみなみはというと、また幸せそうに寝息を立て始めてしまった。
それにしても……。
橘川は左側に視線を向けた。藤岡の向こうには皆岡、その向こうに早苗が座っている(二人はなんとかトークショーに意識を傾けているようである)。そして、更にその向こうに一つ空席が見える。そこは貴美の席なのだが、彼女は全く姿を見せようとはしない。
貴美ちゃん、いったい何やってんだ?
そう考えた矢先、ホール内にキーンコーンカーンとなぜかチャイムが鳴り響き、アイドルたちのトークを途絶えさせた。
《ん?》
キョトンとした顔でキョロキョロと左右の舞台袖を見るチロリ。《今のチャイム、なんなん?》
他の二人も同様である。観客もざわざわとどよめく。みなみと藤岡もいつの間にか目を覚ましているようである。やがて、スピーカーからアイドルたちではない別の女性によるアナウンスが聞こえ始めた。
《ここで臨時特別企画でーす》
橘川はみなみと顔を見合わせた。互いに目を丸めている。《実は先ほど、うちの大学のとある生徒がアイドルお三方の所属するSDPにスカウトを受けました》
どよめきが大きくなる。みなみが「えー、ホント?」と驚いた表情をする。それから橘川に向かってこう意見を求めた。
「いったい、誰なんでしょうね」
橘川は何も答えない。ただ、もちろん彼には心当たりがあった。
《本人は芸能界入りは希望しないということで、デビューは見送りとなってしまいましたが、我がトークショー実行委員必死の説得の結果、今回だけ最初で最後の舞台に上がってくれるということになりました。紹介しましょう! 文学部二年の長岡貴美ちゃんでーす!》
「き、貴美さん!?」
口元を手で覆い、舞台を凝視しながらみなみは驚愕の声を上げた。それから橘川に顔を向ける。「橘川さん、貴美さんがスカウトされたんだって」
「あ、ああ」
二度頷く橘川。「実はさっき、そうゆう話は聞いててさ。ね、藤岡くん」
藤岡に同調を促すが……。
ん?
藤岡は目を見開き、信じられないといったふうに舞台を見つめていた。そして小さな声でこう呟いた。
「あ、あれが貴美……?」
橘川は改めて舞台の上に視線を戻した。すると同時に彼も口をあんぐりと開けてしまうのであった。
《なんだか、すみません》
いつの間にか舞台に登場していた貴美がマイクを片手に頭を下げた。彼女は橘川の知っている貴美ではなかった。ところどころ毛先がピンピンとはねた茶髪のウィッグ。目元を強調させたやや派手目なメイク。そしてカラフルな柄のワンピースとシースルーの白いブラウス。彼女の雰囲気はいつもの控え目でおとなしいものから百八十度転換し、明るく華やかなものに変わっていた。
「すごい……」
感慨深げにみなみは言う。「貴美さん、妖精さんみたいですー」
橘川はトークショー前の貴美との会話を思い出した。南が貴美をスカウトした理由についてだ。今ならその言葉の意味が痛いほどによく分かる。
『君は内に大いなる魅力を秘めている』
《SDPの人に綺麗にスタイリングしてもらいました》
ニコリと笑う貴美。その笑顔の輝きも十倍増である。《今日だけのためにここまでしてもらって大変恐縮です》
「バカヤロー!」
背後で男性客が叫んだ。「可愛いじゃねえか! 考え直してデビューしろー!」
その声に促されるように次々とデビューを勧める声が上がる。やがてそれは大きな『デビュー』コールへと発展し、『貴美』コールへと変わっていく。
「きーみ! きーみ!」
割れんばかりの大歓声。客のボルテージは本日最高潮である。しかしながら、貴美は「いや」とか「その……」などと言いながら苦笑を浮かべるばかりだ。橘川も貴美コールに参加しながら、いつしか舞台の隅に追いやられてしまい、ポカンとした表情でその光景を見つめる三人のアイドルたち、主にチロリの顔を眺めていた。
「チロリちゃん……」
チロリちゃんには悪いけど、いちおう盛り上がったんだから、今回はまあ良しとするかな。