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95 歴史的和解

 ホール内はすでに照明が消されていたため、詩織と田之上は若干焦りながら、最前列の自分たちのために用意されたゲスト席を探した。すぐに二つ並んで空いている席を発見し、詩織はその隣に座る人物に「綾川チロリの友達の矢上ですけど、ここ座っていいですか?」と質問した。

「聞いてます」

 屈託のない笑みを浮かべたのは、やや派手めな化粧をした少女である。どこかで聞いた声だと思ったのは気のせいであろうか。「どうぞ、お座りください」

 暗くて詳細は分からないが、髪も明るい色に染めている。秀英祭のはっぴを着ているので彼女も実行委員なのであろう。

 詩織と田之上は席に腰かけ、ふうと次々に息を吐いた。

「すごいねー」

 ホール内のあちらこちらを落ち着きなく見回しながら田之上が言う。詩織はその言葉の意味について考えてみた。二通りの候補があるからである。

 まず一つ。このホール自体がすごい。三千人近くを収容できるという広さもさることながら、照明機材や音響機材の豊富さも一大学の講堂とは思えない。二人が座っている席も映画館のそれと何ら変わりがない。

 そして二つ。二人の位置がすごい。最前列ということで、舞台から非常に近く、しかも真正面であり、後々姿を現すであろう綾香たちの細かい表情まで観察することができそうだ。

「フフ、なんか」

 詩織は苦笑して言った。「綾香の友達ってだけでここまで良い待遇受けるのも悪いね」

「友達?」

 すかさず田之上が意地悪な笑みを浮かべる。「やっぱり許すことにしたんだね」

 詩織は彼を無視し、じっと舞台を見つめ開演を待った。



 キーンコーンカーン、と学内放送と同じ気の抜けたチャイムが鳴り響く。

《今日は秀英祭に足をお運びいただき、そしてチケットをお買い上げいただき、誠にありがとうございます》

 男性の声である。《ただいまより、アイドルお三方をお招きしてのトークショーを開催いたします!》

 ホール内に拍手の音が満ちる。二人も事務的な拍手をする。《と、その前に……。先ほどのサバイバルゲームで最下位だったアイドルさんの罰ゲームをとり行います》

「トークショーの最中じゃなくて、トークショーの前にやるんだね」

 田之上が小声で言った。「そうみたい」と返事をする詩織。

《ご紹介しましょう! サバイバルゲームで見事最下位に輝いた綾川チロリさんでーす!》

 舞台に照明が浴びせられる。やがて、拍手と歓声に迎えられ、舞台袖から白いビキニ姿の綾香が一人で普通に歩いて出てきた。頭にはお馴染みの白いハットも被っている。緊張しているのか、はたまた疲れているのか、その顔は限りなく無表情に近い。もともと色白な肌が照明のおかげで更に白く映えて見えた。彼女は詩織たちに目を向けようとはしなかった。ひょっとしたら二人の座る位置を把握していないのかもしれない。

《こんばんは》

 マイク片手に話し出す綾香。《サバイバルゲームの不可解なルールに破れた綾川チロリです。チロリンって呼んでね》

 左手を腰、マイクを持つ右手をチョキにして額へ。観客たちから失笑が漏れ、『コホン』と咳払いをする。罰ゲームをする前から空気をおかしくしてどうするんだ、と詩織は思った。《えーっと、ビキニ姿での一発ギャグということで……》

 ポリポリと頬をかきながら綾香は続ける。《悩んだ末、親友にささげる一発ギャグをしたいと思います》

 客たちからどよめきの声が上がる。詩織と田之上は顔を見合わせた。

「だってさ」

 そう言って微笑む田之上。詩織は頷くだけ頷いておいた。

《えーっと、実は前に親友にひどいことをしてしまいまして、それをちゃんと謝っていなかったので、今回はこの場を借りて一発ギャグでキチンと謝ろうと思ったわけであります》

 一発ギャグで謝るというのはキチンとしているのか? と詩織は疑問に思ったが、とりあえず聞いてやることにした。《ではいきます》



 左手で拳を作り、それをあご付近に当てる綾香。

《ひげ剃り!》

 続いて左手を腰に当て、上半身を後ろに反らす。《仰け反り!》

 そして今度は左手をひざの上辺りに付け、上半身を逆に前へ倒す。要するにお辞儀である。《アイムソーリー!》

 ……。

 しばしの間、ホール内が神秘的な無音に支配される。《あ、あの……。『そり』と『ソーリー』がかかってまして……》

 その綾香の弁明と時を同じくして、観客たちのざわつきが始まる。詩織と田之上は生気が抜けたように、無言で事の成り行きを見つめていた。

 ざわざわ……。《いや、ですから、『そり』と『ソーリー』……》

 ざわざわ……。《ソ、ソーリー……》

「詩織ちゃん」

 突如、田之上が口を開いた。彼の横顔へ視線を移す。「そろそろ許してあげなよ」

 私のせいじゃないもん!



《えーっと、とにかく私の気持ち、受け取ってくれましたでしょうか、詩織》

「えっ?」

 突然名前を呼ばれ、詩織は驚いて綾香の顔を見る。すると、綾香もこちらを一直線に見つめているではないか。

《本当にゴメン。本当に反省しとるんよ》

 観客にではなく、詩織個人に語りかけるような調子である。《もし許してくれるんなら、黄色いハンカチを頭の上に》

 左手を頭の上にかかげる。《こうやって広げてほしいな》

 また観客のどよめき。詩織たちの周りに座る数人は、綾香の視線から『詩織』がどの人物を指すのか理解している様子である。

 き、黄色いハンカチ……。

 決して何かのパロディではない。詩織が以前より愛用しているハンカチの色が黄色だということを綾香も知っているのだ。

 急いでハンドバッグの中を探る詩織。田之上を始め、近くの観客は皆、彼女を注目している。もちろん、彼女の心は決まっていた。

 もういいんだ。私だって、綾香がそばにいなくてすごく寂しかった。気づいてたのに、ずっと気づいてたのに……。

 ようやくハンカチを発見する。詩織は急いでそのハンカチを広げ、両手で頭の上にかかげてみせた。

 ……。

 ん?

 しばらくして異常に気がつく。舞台上の綾香が何の反応も示さず固まったままなのだ。隣の田之上の様子をうかがってみるが、彼も同様である。詩織は自らが広げているハンカチを正面から覗き込んでみた。

「あ……」

 黄色だと思っていたそのハンカチは実は白で、おまけにでかでかと『NO!』という黒い文字がプリントされていた。それは詩織のセカンドハンカチーフだったのである。「いや、これは……」

 すかさず綾香に顔を向けると、彼女はしょんぼりと肩を落とし舞台袖に消えていくところであった。

《さよなら詩織……》

 慌てて立ち上がる詩織。舞台に歩み寄りながら彼女は叫んだ。

「違うってば! ちょっと待て、バカー!」



 かくして、三ヶ月以上にも渡った親友同士の確執は幕を閉じたのである。


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