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94 再会は突然に

 詩織と田之上は大講堂の正面玄関を抜けたすぐ脇にある喫煙スペースにいた。トークショー開始まで残り三十分を切っており、すでに多くの者がホールの中へと消えてしまった。早めに入場しておかないと、良い席を確保することができないからであろう。しかし、詩織たちは一向に喫煙スペースのベンチから腰を上げない。それにはもちろん、理由がある。

「いやー、言ってみるもんだね」

 田之上が缶コーラを手に微笑む。「まさか最前列のゲスト席を用意してもらえるとは」

「まあね」

 ベンチのひじかけに頬づえをつきながら詩織が答える。「せっかく来てやったんだから、それぐらいはやってもらわないと」

 綾香の友達ということでの特別処置である。よって二人はいつ入場しても最前列に陣取ることができるわけだ。

「さてと」

 缶コーラを飲み終え、ベンチ脇の空き缶入れに缶を捨てる田之上。「そろそろホールに入ろうか。詩織ちゃんはなんか飲んでおかなくていいの?」

 ホールは飲食禁止なのである。

「ううん。別にいい」

 そう言いながらも詩織は立ち上がろうとしない。田之上は戸惑った。

「どうしたの? それなら早く行こうよ」

「うーん」

 眉をひそめる詩織。「なんかこのままトークショーを観ちゃうと、まるで綾香を許したかのようになるんじゃないかと思うんだよね。だから今、どうしようか悩んでるところ」

「まだ許してなかったんだ」

 田之上は苦笑した。「いい加減にしなって。まさかここにきて帰るなんて言わないでよ。楽しみにしてたんだから」

 「うん……」と詩織。

「じゃあ、許すか許さないかは別としてトークショーは観ることにする。田之上くんにも悪いしね」

 そして立ち上がる。しかし、それに続こうとする田之上を「待って」と手で制する。「その前にやっぱ私もなんか飲む」

 田之上はまた苦笑した。



 自動販売機にて田之上と同じく缶コーラを購入し、詩織はベンチに戻った。コーラを一口飲み、ふうと息を吐きながら、ぼうっと辺りを見回す。

 六畳ほどのそれほど広くはない喫煙スペース。自動販売機が二台あるが、共に煙草のものではない。ベンチは他に一つだけあり、若い男性が腰かけて煙草をふかしている。彼はホールに行かなくていいのだろうかなどと考えていた時、別の男がこの場に足を踏み入れてきた。

「あっ」

 その男の姿を見た途端、詩織は驚いて口をポッカリと開いた。男は前に綾香と渋谷を歩いている時話しかけてきた、スカウトマンだったのである。見間違えるはずはない。スキンヘッドにサングラス、黒スーツと、その時と全く同じカタギではないナリをしている。

 もう自分のことなど覚えてはいないだろうと詩織は考えたが、予想に反し男は、口元に笑みを浮かべてこちらへと近づいてきた。

「まさかこんなところでお会いできるとは……」

 胸ポケットから煙草の箱を取り出し、彼は太い声を響かせた。「チロリの友達というのはひょっとして詩織さんのことですか?」

 え……?

 そこでようやく詩織は思い出す。

 そうだ。そういえばこの男は綾香の所属事務所、SDPのスカウトマンだったんだ。

「し、知り合い」

 男の異様な外見に圧されたか、田之上は顔を強張らせていた。

「綾香の事務所の人だよ」

 詩織がそう紹介すると、男がまた胸ポケットに手を入れた。しかし「ん?」と眉を曲げ、すぐにポケットから手を出す。

「名刺は忘れてしまいましたが」

 改まった調子で男は言う。「SDPの南吾郎という者です。今はチロリのマネージャーをしています」

 そして「失礼」と言いながら、詩織の隣にドンと腰を下ろした。ベンチを詰める詩織と田之上。「いやー、詩織さんと顔を合わせると今でも未練を感じてしまいますね」

「未練ですか?」

 詩織は目を丸めた。その言葉の意味がよく分からない。

「はい」

 煙草に火をつけながら南は頷いた。「もともと俺はチロリではなく、詩織さんをデビューさせたかったんですよ」

 え……?

 二人の注目を浴びる中、南は美味そうに煙草を吸った。



「と、いうことは……」

 南の話を聞き終え、詩織は複雑な表情で口を開いた。「綾香が私をデビューさせたがってたのは、事務所に雑用として雇ってもらいたいから……。つまり、生活のためだったんですか」

「ええ」

 煙草(二本目である)を口にくわえ、ふうと紫煙を吐き出す南。「少々やりかたが汚かったので、詩織さんを怒らせてしまったようですが、まあ、アイツなりに必死だったんです。許してやってください」

 思わず南から田之上に視線を移す詩織。彼は何かを期待するように目を輝かせて詩織を見つめていた。

「で、でも……」

 唇をとがらせる詩織。「いくら生活のためだからって、私を騙そうとしたのは確かだし、やっぱり許せない。っていうか今私が怒ってるのはドタキャンのことだし……」

「アイツは少々不器用なところがありますからね」

 ベンチ前の灰皿で煙草をもみ消し、南は言った。「少なくとも悪気があったわけではないのです」

 詩織は黙り込んだ。コーラをグイっと飲み干し、ゲップを我慢しながら缶を捨てる。

 『悪気があったわけではない』

 それは彼女としても充分承知していることである。

「まあ、許すか許さないかはトークショーの後に決めるとして」

 ベンチから腰を浮かせながら田之上が言う。「もうぼちぼち時間になるよ。早く行かなきゃ」

「う、うん……」

 詩織も腰を上げたところで、南に「詩織さん」と引きとめられる。田之上と共に詩織は振り向いた。

「もしデビューしたくなったらいつでも声をかけてください」

 ニヤッと不気味な笑みを浮かべる南。「事務所としてでも最大限にプッシュしますよ。チロリのようにね」

「遠慮しときます」

 詩織も微笑み、そう断ってから、「それでは失礼します」とまた南に背を向け喫煙スペースを後にした。


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