88 罰ゲームほぼ確定
息を乱しながら橘川が安らぎの森広場に到着したのは、ちえ美に遅れること約五分であった。本気モードのちえ美に体力がついていかず、置き去りにされてしまったのだ。
はあはあ、ちえ美ちゃん、大丈夫かな……。
広場の一端で繰り広げられている修羅場を察知するや否や、人の波をくぐり抜け、騒ぎの中心へとまたひた走る。そこで彼は予想外の光景を目撃する。
「な、なんだこりゃ?」
彼は目を丸めた。
なんと三人のアイドルたちが水鉄砲を片手にじっとたたずみ、互いを睨み合っていたのだ。まるでヘビ、カエル、ナメクジの三つ巴である。スカートをはいていたはずのちえ美は全身ビキニになっており、チロリも上半身が白いビキニ、下半身は元のホットパンツという姿に変身している。亜佐美は大きなティーシャツとジャージ。
「橘川さん、遅かったですね」
近くにいた貴美がノートに目を落としながら言った。いつの間に来たのだろう、と橘川は思う。「今まで嵐のような戦いが繰り広げられていました。それぞれのダメージポイントはちえ美さんが五、チロリさんが七、亜佐美さんが三です」
「やった!」
思わずガッツポーズをする橘川。「ちえ美ちゃん、逆転したんだね! ん? ところで今はどうゆう状況?」
「三人とも水が切れたみたいです」
やや困惑したような表情で髪の毛をいじる貴美。「睨み合っているように見えますが、実際のところ休憩中みたいです。すぐそこに水道があるから、そこで補給すればいいわけですが、補給したら休憩が終わってしまいますから」
「な、なるほど、暗黙の了解での一時休戦状態か」
そこで橘川は気がつく。藤岡と皆岡が水の入ったペットボトルを握りしめ、観客に紛れて立っているということを。
お、俺もなんか水を入れる容器を……。
キョロキョロと周りを見回す。そんなものはそう簡単に落ちてはいない。彼は考える。
さて、どうするか。
「気持ち悪くなってきたし、私もそろそろサービスしちゃおうかな」
亜佐美が水鉄砲を置き、ゆっくりとティーシャツを脱ぎ始める。赤いビキニトップスに包まれたボリューム感溢れる胸があらわになると同時に、周りから歓声が上がる。中には拍手する者もいる。元々着ていたドレスは見当たらない。どこかに置いてきたのであろうか。亜佐美は観客の一人、上半身裸の若い男性に脱いだティーシャツを手渡した。「お兄さん、ありがとう。ちょっと濡れちゃいましたけど、許してね」
「かまわねえ、一生宝物にするぜ」
彼の物だったらしい。彼はティーシャツを折り畳み、大事そうに腕にかかえた。それから、匂いをかいで気味の悪い笑みを浮かべる。
「大変、変態ですね」
貴美がシャレなのかなんなのかよく分からないことを言ったが、橘川は聞き流すことにした。
それから亜佐美はジャージも脱ぎ、同じく観客の一人の女子学生に返却した。サッパリとビキニ姿になったところで、身体をねじりセクシーポーズを披露する。そのサービスに男性陣は狂喜乱舞である。
「皆さーん」
不意にチロリが手でメガホンを作り、言った。「滝田亜佐美名物、豊胸おっぱいの登場でーす。とくとご堪能くださーい」 笑いと拍手が巻き起こる。亜佐美が慌てて手を振った。
「ち、違います違います。天然です! くっ……。チロリー!」
チロリに詰め寄る。「あんた、なんてこと言うのよ! 一応私はあんたの事務所の先輩なんだからね! 変な噂がついちゃったらどう責任取るの!」
「べーだ!」
あっかんべーをするチロリ。彼女も水鉄砲を地面に投げ捨てる。「噂がつくほど売れてないから心配せんでいいよ!」
「こなくそー!」
そのまま亜佐美とチロリが小競り合いを始める。橘川はぼうっとその様子を眺めながら、本当に仲悪いんだなーと感心していた。
「橘川さん、ぼうっとしてないで」
密かに歩み寄ってきていた、ちえ美に小声で話しかけられる。「今のうちに補給しちゃいましょう。水、持ってきたんですよね」
う……。
「ご、ごめん。そこまで考えてなくて」
「えー!」
囁きの上での小さな叫び。「なにモタモタしてるんですか! ってことは私たちが一番不利ってことですよ! 他の二人は水用意してますもん」
「だ、大丈夫。こんなのどう?」
橘川はちえ美にごにょごにょと耳打ちをした。ちえ美はやや不安げな表情ながらも。
「とりあえずはそうするしかないでしょうね。じゃあ、お願いします」
ちえ美は橘川に水鉄砲を手渡した。
「二人とも動かないで!」
その瞬間、ちえ美に視線が集まる。亜佐美とチロリも取っ組み合ったまま、キョトンとした顔でちえ美を見つめる。ちえ美は銃口を二人に向け、水鉄砲をかまえていた。「たった今、橘川さんに水を補給してもらいました。今のところ最下位はチロリちゃんだから、私はもう戦いには参加しないで逃げ続ける。私が見えなくなるまで動いちゃダメ。動いたら容赦なく撃つよ!」
二人は固まったままである。呆気に取られているのか、ちえ美の指示どおりなのかは判断しかねる。
「はい、すみませーん。開けてください」
橘川が観客を移動させ、逃げ道を確保する。勝ち誇った顔をしているが、心中では緊張のピークにあった。ちえ美の水鉄砲にはもちろん水など入っていない。題して『ハッタリ逃亡大作戦』。
よし、このまま逃げ切れば、罰ゲームはチロリちゃんに……。
そう思った矢先である。
「キャー!」
ちえ美の叫び声が聞こえ、橘川は「え?」と後ろを振り返った。同時に彼は目を疑う。なんとちえ美がチロリ、亜佐美から水鉄砲のめった撃ちにあっているではないか。ピシャ、ピシャと何発もの水弾が命中し、ちえ美は身体を丸めてうずくまっている。「き、橘川さん。助けてくださーい!」
「勝ち逃げしようなんてそうはいきません」
皆岡が意地悪な笑みを浮かべて言う。「橘川さんの動きはちゃんと俺が観察してましたよ。橘川さんは補給なんてしてない。するフリだけだ」
くそっ! それに引き換えこの俺は……!
橘川は自分の不注意さを悔いた。皆岡と藤岡がいつの間にか水の補給を済ませていたことに全く気がつかなかったのだ。もうできることは一つしかない。ちえ美の盾になることだ。ちえ美の前に立ち、二人の攻撃を浴び続ける橘川。しかしながら、全てを防ぎ切ることはできない。
「ちえ美ちゃん。うずくまってちゃダメだ。ここは俺に任せて逃げるんだ!」
「じゃあ、お言葉に甘えて!」
ちえ美は動かず、代わりに逃げていったのはチロリであった。チロリと藤岡の後ろ姿をポカーンと眺める橘川の隣を、亜佐美が平然と抜けていく。
「これでラスト」
至近距離からちえ美の頭に、またピシャと水を発射する亜佐美。「あーん」と泣き声に似た断末魔を発するちえ美。「二十五かな?」
「ちえ美さんのダメージポイント二十六です」
貴美が事務的な口調で答えた。亜佐美が「惜しい」と悔しそうな顔を見せる。
「本当はチロリが罰ゲームってのが最高なんだけど、今回は安全策でいかせてもらうわ。じゃあちえ美ちゃん、罰ゲーム頑張ってね」
ポンポンとちえ美の頭を叩き、亜佐美も皆岡と共に、チロリとは別の方角に向け、去っていった。その場がシーンと静まり返る。橘川は顔を伏せたままのちえ美に近づき、優しく言った。
「俺も一緒に一発ギャグ考えるから……」
サバイバルゲーム終了まで残り三十分を切っていた。