85 支援者たちを背中に
「ありがとう! 恩に着るよー」
去っていく少年たちを見送ってから、綾香は藤岡のもとへ歩み寄った。「聞いた? ちえ美ちゃんたち、亜佐美狙いなんやって。うちらも亜佐美狙いなんやけん、挟み撃ちできるばい」
「どうかな……」
あごに指を当て、考え込む藤岡。「ちえ美チームが亜佐美チーム狙いっていう情報が、亜佐美チームにも届いてる可能性はありますね。少し様子を見たほうがいいかもしれません」
「た、確かに……」
亜佐美チームのスタート時点である安らぎの森広場へ向けて歩き始め、もう十分近くが経過しているというのに、一向に亜佐美たちとはち合わせないというのも不気味である。「じゃあ、亜佐美はちえ美狙いなんかな」
「チロリさんでもそれぐらいの分析はできるんですね」
腕を組み、藤岡は頷いた。イラッとする綾香。「一度正門に戻って、今度は外回りして第四学舎を目指しましょう。他の二チームが潰し合ってくれるかもしれませんから。一番他のチームとはち合わせそうにないルートです」
「ええー」
ペタンと地べたに座り込む綾香。「ここまで歩いて来たっちゃけん、このまま行こうよー」
「……。ったく」
チッと舌打ちする藤岡。綾香はムッとした表情を見せた。彼女は先ほどから、やたらと鼻につく態度を取る藤岡のことがあまり好きではなかった。「あの、はっきり言いますけどね」
綾香の前で仁王立ちし、藤岡は綾香を見下ろした。「俺はチロリさんに絶対勝ってもらいたいから言ってるんです。なんで勝ってもらいたいかというと、チロリさんの罰ゲームに全く興味がないからですよ。つまり、チロリさんのビキニ姿に興味がないということです」
「なんだとー!」
すかさず立ち上がる綾香。「そうやけん、私のパートナーになったっちゃね!?」
「それは違います」
藤岡は心外そうな顔を見せた。「本当はちえ美のパートナーになりたかったんですけどね。先輩に譲ったんですよ。まあ、もしちえ美のパートナーになったとしても、チロリさんを狙うことはなかったでしょう。しつこいようですが、チロリさんのビキニ姿に興味ないんで」
「むー」と綾香は彼を睨みつけた。それから彼を指差し、叫ぶ。
「もうあんたなんかと組みたくない! どっか行け!」
「別にかまいませんよ。俺もあんたみたいなわがままな人は嫌です」
綾香に背を向けながら藤岡は言う。「パートナーと別れちゃダメっていうルールもなかったはずですから。後は一人で頑張ってくださいねー」
そして彼は本当に北の方角へと去っていってしまった。ポカンと立ち尽くす綾香のもとに、彼女よりやや若そうな少女が駆け寄ってくる。
「チロリさん」
「ん?」
少女は綾香に耳打ちをした。「ふん、ふん……。な、なるほど! それいいね」
そう言ってから、綾香は被っていたハットを脱ぎ、少女の頭に被せた。
綾香は藤岡が言っていたように正門へと戻り、そこから北上した。時折、自分の後を追ってくる客たちやテレビクルーに向かって人差し指を立て、「シー」と静寂を要求する。水鉄砲を常に発射できる状態で手に持ち、そそくさと前へ進んでいく。
作戦はこうだ。藤岡と偽綾香(先ほどの少女である)を他のチームと対峙させ、そのチームが気をとられているうちに、背後から狙う。この作戦は偽綾香の口から藤岡の耳にも入っているはずである。彼はきっと協力してくれるだろうと綾香は踏んでいた。先ほどはケンカ別れしてしまったが、結局、彼としても綾香が勝ってくれた方が都合が良いのだ。『チロリさんのビキニ姿に興味がない』と何度も言っていたではないか。
やがて綾香は、やや開けた場所に出た。西側に死角がなくなり、遠くにトークショーの行われる大講堂、更にその向こうまでも広々と見渡せた。そして、大講堂の近くにかなりの人だかりができているということにも気がついた。地面にひざを付け、身体を伏せる。
誰かおる……。
「皆さん」
ボリュームを抑え、そう言いながら、綾香は後ろを振り向いた。やはり、大勢の客たちが自分に尾いてきている。「くれぐれも静かーにお願いしますね」
客たちが次々と頷くのを確認してから、綾香はもう一度大講堂のほうを注目した。
人だかりのせいで、どのチームがいるのかは分からない。「誰か、様子を見てきてくれませんか?」
しばらくして、綾香が送り込んだ刺客である秀英大助教授の中年男性が大講堂のほうから戻ってきた。
「いたよ」
彼が頷きながら言った。「藤岡くんたちとちえ美ちゃんたちが、距離を置いて睨み合いしてる。綾香ちゃんが偽者だってことにも気づいてなさそうだね。あの子(偽綾香)、上手いこと陰に隠れながらハットだけを見せて、存在をしっかりアピールしてる。ちえ美ちゃんのほうは紛れもなく本物だ。パートナーの後ろにピッタリとくっついたよ」
「ありがとうございます」
綾香は礼を言うと、また後ろの支援者たち(と呼ぶことにした)に顔を向け、その中の一人の男性を指差した。「そのジャケット借りちゃダメですか?」
暑くなったため脱いだのであろうか、男性は黒いジャケットを腕にかけていた。
「別にいいっすよ」
綾香にジャケットを手渡す男性。「ただし、濡らさないでくださいね」
「それは保障できませんなー」
ジャケットに腕をとおしながら、綾香はおどけてみせた。
更に別の男性から黒い野球帽を借り、秀大生らしき女性から赤いジャージのズボンを借りた。その女性がジャージを脱ぐ時、少しだけ男たちの目の色が変わったが、下にはちゃんとハーフパンツをはいていた。
「皆さん」
変装を済ませた綾香が、改まった様子で言った。「ちえ美ちゃんみたいな清純派アイドルがビキニで一発ギャグするところ、見てみたいですよね?」
支援者たちがまた次々と頷いていく。綾香も満足したように頷いた。「ならば皆さんはしばらくここで待機しててください。ここからは一人じゃないと目立ってしまうのです。今から私がちえ美をやっつけてきます」
「チロリさん」
ジャージを貸してくれた女性が言う。「これも使ってください」
肩にかけていたスポーツバッグを差し出す。綾香は少し戸惑ったが、すぐに「あ、なるほど」と口にし、バッグを受け取った。
「ありがとう」
礼を言いながら、水鉄砲をスポーツバッグの中に入れる。いつでも取り出せるようにジッパーは閉めないでおく。「それじゃ、行ってくるばい」
支援者たちに見送られながら、綾香は大講堂を目指し歩き出した。