81 主のもとへ
真一の目に飛び込んできた光景は、彼にとって全く想定外のものであった。百人は超えると思われる人々の群の中心にいたのは、曲芸を披露する露店の店主ではなく、シルクハットを被って、タキシードを着た髪の長い少女であった。
真一は一瞬、その少女がプリンセス雅のコスプレをしているのかと思った。しかし、そうではないことにすぐ気がつく。
「お、おい……」
困惑した様子の的場。眉間にしわを寄せ、口をあんぐりと開けている。「あれ、本物かな」
「ああ」
的場を一瞥してから、真一は頷いた。真っ直ぐに十メートルほど先の少女を見つめる。「間違いない。プリンセス雅だ」
プリンセス雅は口元に緩く笑みを浮かべ、露店の前に立ち、自分を囲む人々の顔を順に見渡していた。
「皆、今日は集まってくれて本当にありがとう」
シルクハットのつばを指でつまみながら、雅は悠長に言った。「夕方からのショーではもっとアンビリーバボーなマジックを披露するよ。皆、観に来てくれるね?」
人々が沸き上がる。それに乗じて、真一と的場も一応手と声を上げておいた。実際、観に行く。「あ、また何人か新しいお客さんが加わったみたい。じゃあ、もう一度自己紹介しておくよ。私はプリンセス雅、以後お見知り置きを」
雅はシルクハットを手に持ち、紳士的なお辞儀をした。パチパチと拍手が起こる。「知ってる人もいると思うんだけど、今日は夕方からのマジックショーとは別に、昼頃からキャンパスのあらゆる場所へと出向き、マジックをさせて頂いてるんだ。まあ、ちょっとした私の気まぐれだね。ビックリさせてごめん」
シルクハットを被り直し、雅は上品に笑った。真一は思わず胸をドキッとさせてしまう。
やっぱ最高だぜ! 雅ちゃん!
彼は雅の上品な仕草や表情、つかみどころのない中性的なキャラクターが特に気に入っていた。マジックを抜きにしても魅力溢れるアイドルなのだ。
「で、今回はこの場所へ赴いたわけだけど、そろそろおいとましようと思う」
雅のその言葉に観客たちが「えー」とブーイングをする。雅は手袋をはめた手の平を見せ、「まあまあ」と皆をなだめた。「だけど、その前に一つ言っておきたいことがあるんだ。私は昭和院大学を愛している。もちろん、お隣の秀英大学よりもね」
また歓声が沸き、真一と的場も参加する。二人はもう完全に人だかりの一部である。「だからこそ、この大学を汚す輩は許せない。皆、ゴミはちゃんとゴミ箱に捨てるようにね」
「お前のこと言われてるぞ」
真一は意地悪くそう言って的場をからかった。「うるせえ」と笑顔で返す的場。
「でもね」
雅は続ける。「今さっき風に運ばれて私のもとに届いたんだ。本当に残念だと思う」
そして、タキソードのズボンのポケットから、二十センチ四方ほどの白い紙を取り出す。その途端、真一と的場はギョッとした。遠くてよくは見えないが、それは先ほど的場がポイ捨てをした、お好み焼きの包み紙に酷似していた。
「何か食べ物の包み紙みたいだね」
二枚紙の中を開き、中を覗きこむ雅。「ソースと青ノリがついてる。どうやらお好み焼きみたいだ。でも、この店のじゃないね」
後ろの露店を見やる。「この店は見てのとおり、容器に入れたお好み焼きを箸で食べるスタイルだ。確か向こうにもお好み焼きの露店はあったっけね」
ある場所を指差す雅。確かにその近くに真一たちがお好み焼きを購入した露店はある。次第に汗ばんでいく真一の身体。的場も青ざめた顔へと変わっていく。
雅は包み紙の端を指先でつまみ、それをひらひらとなびかせながら言った。「私が代わりに捨ててあげてもいいんだけど、せっかくだからポイ捨てした本人に捨てさせようよ。どうやら、ここにいるみたいだし」
「おい……」
的場の肩をひじで突く真一。的場は現実から目を背けるかのように、視線を落としじっと黙っている。
雅はポケットからマジックペンを取り出し、紙に何かを書き込んだ。それから、紙を小さく折り畳み、右拳の中に入れた。右手を軽く上げ、「ワン、ツー、スリー」とカウントをとる。そして、右手を開く。
「確かに返しといたからね」
誰もが予想したとおり、そこに包み紙はなくなっていた。「ちゃんと自分でゴミ箱に捨てるんだよ」
観客たちがまた歓声を上げ、拍手をする。
「おい、的場」
小声で的場に話しかける真一。「どうなんだ? ポケットとか……」
「真一いいっ!
恐怖に顔をひきつらせ、的場が叫んだ。「ヤベエよおおっ! ケツポケットになんか入ってるよおおっ!」
「馬鹿! 声がでかいって!」
もう遅かった。観客たちは皆、的場に注目してしまっている。的場はばつの悪そうな顔で、お尻のポケットからそれを取り出して見せた。そう、たった今まで雅が手に持っていたはずの、小さく折り畳まれた包み紙だ。観客たちの視線に促されるまま、ゆっくりと紙を開いていく的場。紙に書かれた『見つけたよ』という文字を見て、真一は鳥肌を立てた。的場も顔を強張らせる。
「見せてください」
「おーい、見せてくれ」
観客たちのリクエストにお応えして、的場は皆によく見えるように紙を開いて、頭の上に掲げた。まるで雅のアシスタントのようだ。再び沸き上がる観客たち。的場への非難よりも、雅への賞賛が先のようである。しかし。
「あれ?」
一人の男性が声を上げる。その声を発端とし、辺りがざわつき始める。皆が周囲を見回す。「プリンセス雅さんが……。消えた」
真一と的場も雅を探す。確かに、先ほどまで露店の前に立っていたプリンセス雅の姿がどこにもなくなっている。ところが……。
「なんちゃって」
露店の陰から雅がひょっこり顔を出した。その場にいた全員がずっこける。「残念ながら消えるマジックは用意してないんだ。とにかくそこのニット帽の人、今度からポイ捨てしちゃダメだよ」
的場を指差し、雅は言った。そこでようやく観客たちが的場に非難の目を向け始める。的場はチッと舌打ちし、「分かったよ。すみませんでした」とふて腐れたように謝った。
「オーケー」
身をひるがえし、雅は真一たちのいる場所とは逆の方向に向けて歩き始めた。観客たちが道を開ける。「それじゃ、瞬間移動じゃなくて普通に帰るけど、追いかけちゃダメだよ」
最後にしっかりと笑いもとっていく雅の後ろ姿を眺めながら、真一は思った。
こんな子が相手じゃ、綾香(秀英祭)に勝ち目なんてねえだろうな。
その時、真一ランキングが変動した。一位、松尾和葉(−)、二位、プリンセス雅(↑)、三位、沢渡まどか(↓)。